いただきます、ごちそうさま。
だらだらと抑揚なく流れる教師の声をBGMに、時計を睨み付ける。あと5分。今日の授業の主題であろう部分はちょっと前に終わって、いつもの薀蓄タイムだ。もうノートに取る事はないだろうと、筆記用具はとっくに仕舞っている。教科書もノートも右に同じく。
待つだけの時間というのはいやに長く感じるもので、とにかく秒針が一周するのが遅い。いらいらするのは良くないと深呼吸、して顔を上げる。あと2分。
「今日はここまで」
さっきまで苛立つだけだった教師の声が、まるで天使の声だ。きりーつ、と間延びした声をあげる日直の号令に合わせて立ち上がり、おざなりな礼をひとつ。
がたがたと響く椅子の音を、待ちかねた昼休みを告げるチャイムの音を背中に慶次は駆け出した。もちろん弁当箱を抱えるのは忘れていない。
途中で購買に寄って飲み物だけ買い、急いで屋上を目指す。昼休みは限られているのだ、有効に使わないともったいない。
重いドアを軋ませながら開いたところに、身体を滑り込ませる。薄暗い室内から一気に明るい屋外に出たせいで慣れない目を細めながら、見慣れた人影を探してみる。
「おう慶次」
きょろきょろと探していたら、頭上から声をかけられた。上を見上げ、慶次はぱっと破顔する。風除け室の上から、元親が首を覗かせていた。
「えっ何わっかんないし、そんなとこいたら!」
「だから声かけたんだろうが。上がって来いよ」
ほれあっち、と元親が指す方向を見れば確かに上にあがるための梯子がある。慶次は急いで回り込むと、風除け室の上へ上がりこんだ。
「うへえ、結構高いね」
「まあな。でも今日は風も少ないしよ」
やいのやいのと話しながら慶次は弁当を広げる。いただきます、といつもの通り手を合わせた。
二人は1年の時に同じクラスで、入学してすぐ意気投合した。2年になってからはクラスは分かれたけれど、こうやって一緒に昼食を摂る習慣は続いている。続いているというか、まあ、それなりに理由はあって。
「それ美味そうだな」
元親が指したのは、いかと里芋の煮物だった。慶次はひょいと箸でつまみ上げ、ごく自然な仕草で元親に差し出した。
「はい、あーん」
「ん」
おそらく語尾にはハートマークが付いていたが、元親はそれに動じることもなく、差し出された箸に躊躇なく口を寄せる。餌付けした形になる慶次はそれをにこにこと見守って、もっと食べるかい? などと嬉しそうに聞いている。ついでに言えば、双方でれでれに溶けたような甘ったるい笑顔を浮かべている。
お昼休みはクラスの離れたカップルにとっては数少ない逢瀬の時間であると、まあ、端的に言えば、そういう事だ。
実家を出て一人暮らしの為、昼はパンが主食の元親に、実家で叔父夫婦と暮らす慶次は大抵毎日、こうやって弁当のおかずを分け与えている。料理自慢の叔母の作る弁当は見た目も味も量も申し分なく、大好きなそれを大好きな元親が美味いと言ってくれるのが嬉しいのだ。全くもってご馳走さまと言うほかない。
そうやっていちゃいちゃと昼食を摂り終えたバカップルのする事なんて、古来よりそうそう変わるものでもない。
慶次はちゃっかり元親の膝を枕に、ついでに頭なんぞも撫でて貰って大変ご機嫌だ。見下ろす元親の隻眼だってなんだか優しい。二人ともガタイがそれなりにいいので、なんだか暑苦しい光景のよう気もするが、きっと気のせいだ。
ひとしきり甘えたのち、慶次はふっと時計を見てため息をつく。そろそろ『教室に戻りたくない』とごねはじめる頃合で、勿論元親も心得たものだ、わしわしと乱暴に髪の毛をかき混ぜる。
「何すんだよお」
「今日はごねんなよ、慶次」
「あっひでえ! そんな毎日駄々こねてるみたいな言い方!」
「毎日だろうが」
元親が笑うと、うう、と慶次は唸りながらがっしりとした腰に腕を回して抱きついた。
「同じクラスだったら良かったのになあ……」
ほらきた、と元親が噴き出すのにも構わず、慶次はぐりぐりと元親の腹に頭を押し付ける。
「だって昼休みしか一緒にいられないのつまんない……」
「ま、同感だけどな。しょうがねえだろ、変えようもねえんだし、そろそろ慣れろって」
「やだ」
むくれて即答した慶次の後頭部に、元親の拳がごくごく軽く落ちた。こつりと触れる程度のそれに、何をするんだと顔をあげた慶次の頬が、元親の両手ですくい上げられる。
視界いっぱいに、実は男らしい端整な顔立ちがいっぱいに広がって、慶次は目を見開いた。間近で眼帯に覆われていないほうの瞼が落ちるのを見た。と思えば何かが唇に柔らかく触れて、去って行く。
そのまま仰向けにひっくり返され、慶次は戸惑った表情で頭上で人の悪い笑みを浮かべている男を見上げる。
「え、え……? 何?」
「何じゃねえだろ。今まで散々してんじゃねえか、キスくらい」
ぶわっと一瞬で慶次の顔が耳まで真っ赤になる。え、とかうあ、とか意味をもたないつぶやきを零して、慌てて口元を覆った。
「慶次ー。なあに真っ赤になってんだよ、今更」
「え、あ、だって! 不意打ち卑怯! ここ学校だし!」
「学校でだって隠れて皆してんだろ、このくらい」
そんな事、と言いかけた慶次の口は、覆った手を優しくどかせた元親の唇で再び覆われてしまった。上唇を食まれ、ノックするように舌先でくすぐられて、あっさり陥落してしまう。
向かい合ってするのとはまた違って、不自由なのにいつもとは違う場所を攻められるのが良かった。慶次にとっては不本意なことに。
たとえば、下唇の内側を舐められると不思議なくらい気持ちいいのは知っていたけれど、執拗にされるとまた感じ方が違うのは新たな発見だった。それから、歯茎の裏なんかや、舌の表面をざらりと撫でられるのもぞくぞくする。した事がないキスに夢中になって、求められるままに幾度も応えていると、遠くで微かにチャイムの音がした。おそらくは予鈴だ。いそいでダッシュしないと午後の授業には間に合わない。でも、もっとしていたいような気がする。どうしよう、とぼんやり考えていると、元親が唇を離した。
「予鈴鳴ったな」
「うん……」
返事が思った以上にしょぼくれた声音になってしまって、慶次は慌てた。なんだか非常に格好悪いし女々しい。じゃあ俺行くから、と早口で言って身体を起こし、と立ち上がろうとした、その腕を捕まえられた。
「まあ待てって」
「だって予鈴鳴ったじゃん!」
「ん? 戻りたくねえんじゃなかったのか?」
捕まえた腕を引き込まれ、向かい合って座らされる。そのまま抱き込んでくる腕から、逃げる振りをしてみたけれど、それで逃がしてくれる相手じゃなかった。額を合わせ、目を覗き込まれる。元親は、なんだか人が悪い笑みを浮かべていた。絶対に、からかわれている。
「慶次?」
「……恥ッずかしいんだよばかチカッ!」
耐え切れなかった慶次の絶叫に、元親の笑い声が重なった。ぎゅっと抱き込まれて、ううと唸り声をあげる。
「ほんっと押されんのに弱いのな」
「しょうがねえじゃん…っ! そんなの、慣れてないし」
待つだけの時間というのはいやに長く感じるもので、とにかく秒針が一周するのが遅い。いらいらするのは良くないと深呼吸、して顔を上げる。あと2分。
「今日はここまで」
さっきまで苛立つだけだった教師の声が、まるで天使の声だ。きりーつ、と間延びした声をあげる日直の号令に合わせて立ち上がり、おざなりな礼をひとつ。
がたがたと響く椅子の音を、待ちかねた昼休みを告げるチャイムの音を背中に慶次は駆け出した。もちろん弁当箱を抱えるのは忘れていない。
途中で購買に寄って飲み物だけ買い、急いで屋上を目指す。昼休みは限られているのだ、有効に使わないともったいない。
重いドアを軋ませながら開いたところに、身体を滑り込ませる。薄暗い室内から一気に明るい屋外に出たせいで慣れない目を細めながら、見慣れた人影を探してみる。
「おう慶次」
きょろきょろと探していたら、頭上から声をかけられた。上を見上げ、慶次はぱっと破顔する。風除け室の上から、元親が首を覗かせていた。
「えっ何わっかんないし、そんなとこいたら!」
「だから声かけたんだろうが。上がって来いよ」
ほれあっち、と元親が指す方向を見れば確かに上にあがるための梯子がある。慶次は急いで回り込むと、風除け室の上へ上がりこんだ。
「うへえ、結構高いね」
「まあな。でも今日は風も少ないしよ」
やいのやいのと話しながら慶次は弁当を広げる。いただきます、といつもの通り手を合わせた。
二人は1年の時に同じクラスで、入学してすぐ意気投合した。2年になってからはクラスは分かれたけれど、こうやって一緒に昼食を摂る習慣は続いている。続いているというか、まあ、それなりに理由はあって。
「それ美味そうだな」
元親が指したのは、いかと里芋の煮物だった。慶次はひょいと箸でつまみ上げ、ごく自然な仕草で元親に差し出した。
「はい、あーん」
「ん」
おそらく語尾にはハートマークが付いていたが、元親はそれに動じることもなく、差し出された箸に躊躇なく口を寄せる。餌付けした形になる慶次はそれをにこにこと見守って、もっと食べるかい? などと嬉しそうに聞いている。ついでに言えば、双方でれでれに溶けたような甘ったるい笑顔を浮かべている。
お昼休みはクラスの離れたカップルにとっては数少ない逢瀬の時間であると、まあ、端的に言えば、そういう事だ。
実家を出て一人暮らしの為、昼はパンが主食の元親に、実家で叔父夫婦と暮らす慶次は大抵毎日、こうやって弁当のおかずを分け与えている。料理自慢の叔母の作る弁当は見た目も味も量も申し分なく、大好きなそれを大好きな元親が美味いと言ってくれるのが嬉しいのだ。全くもってご馳走さまと言うほかない。
そうやっていちゃいちゃと昼食を摂り終えたバカップルのする事なんて、古来よりそうそう変わるものでもない。
慶次はちゃっかり元親の膝を枕に、ついでに頭なんぞも撫でて貰って大変ご機嫌だ。見下ろす元親の隻眼だってなんだか優しい。二人ともガタイがそれなりにいいので、なんだか暑苦しい光景のよう気もするが、きっと気のせいだ。
ひとしきり甘えたのち、慶次はふっと時計を見てため息をつく。そろそろ『教室に戻りたくない』とごねはじめる頃合で、勿論元親も心得たものだ、わしわしと乱暴に髪の毛をかき混ぜる。
「何すんだよお」
「今日はごねんなよ、慶次」
「あっひでえ! そんな毎日駄々こねてるみたいな言い方!」
「毎日だろうが」
元親が笑うと、うう、と慶次は唸りながらがっしりとした腰に腕を回して抱きついた。
「同じクラスだったら良かったのになあ……」
ほらきた、と元親が噴き出すのにも構わず、慶次はぐりぐりと元親の腹に頭を押し付ける。
「だって昼休みしか一緒にいられないのつまんない……」
「ま、同感だけどな。しょうがねえだろ、変えようもねえんだし、そろそろ慣れろって」
「やだ」
むくれて即答した慶次の後頭部に、元親の拳がごくごく軽く落ちた。こつりと触れる程度のそれに、何をするんだと顔をあげた慶次の頬が、元親の両手ですくい上げられる。
視界いっぱいに、実は男らしい端整な顔立ちがいっぱいに広がって、慶次は目を見開いた。間近で眼帯に覆われていないほうの瞼が落ちるのを見た。と思えば何かが唇に柔らかく触れて、去って行く。
そのまま仰向けにひっくり返され、慶次は戸惑った表情で頭上で人の悪い笑みを浮かべている男を見上げる。
「え、え……? 何?」
「何じゃねえだろ。今まで散々してんじゃねえか、キスくらい」
ぶわっと一瞬で慶次の顔が耳まで真っ赤になる。え、とかうあ、とか意味をもたないつぶやきを零して、慌てて口元を覆った。
「慶次ー。なあに真っ赤になってんだよ、今更」
「え、あ、だって! 不意打ち卑怯! ここ学校だし!」
「学校でだって隠れて皆してんだろ、このくらい」
そんな事、と言いかけた慶次の口は、覆った手を優しくどかせた元親の唇で再び覆われてしまった。上唇を食まれ、ノックするように舌先でくすぐられて、あっさり陥落してしまう。
向かい合ってするのとはまた違って、不自由なのにいつもとは違う場所を攻められるのが良かった。慶次にとっては不本意なことに。
たとえば、下唇の内側を舐められると不思議なくらい気持ちいいのは知っていたけれど、執拗にされるとまた感じ方が違うのは新たな発見だった。それから、歯茎の裏なんかや、舌の表面をざらりと撫でられるのもぞくぞくする。した事がないキスに夢中になって、求められるままに幾度も応えていると、遠くで微かにチャイムの音がした。おそらくは予鈴だ。いそいでダッシュしないと午後の授業には間に合わない。でも、もっとしていたいような気がする。どうしよう、とぼんやり考えていると、元親が唇を離した。
「予鈴鳴ったな」
「うん……」
返事が思った以上にしょぼくれた声音になってしまって、慶次は慌てた。なんだか非常に格好悪いし女々しい。じゃあ俺行くから、と早口で言って身体を起こし、と立ち上がろうとした、その腕を捕まえられた。
「まあ待てって」
「だって予鈴鳴ったじゃん!」
「ん? 戻りたくねえんじゃなかったのか?」
捕まえた腕を引き込まれ、向かい合って座らされる。そのまま抱き込んでくる腕から、逃げる振りをしてみたけれど、それで逃がしてくれる相手じゃなかった。額を合わせ、目を覗き込まれる。元親は、なんだか人が悪い笑みを浮かべていた。絶対に、からかわれている。
「慶次?」
「……恥ッずかしいんだよばかチカッ!」
耐え切れなかった慶次の絶叫に、元親の笑い声が重なった。ぎゅっと抱き込まれて、ううと唸り声をあげる。
「ほんっと押されんのに弱いのな」
「しょうがねえじゃん…っ! そんなの、慣れてないし」
作品名:いただきます、ごちそうさま。 作家名:さいとうはな