真夜中の子供たち
ふと、ゴミ箱の中にある物を見つけた。鮮やかな色の木の実の欠片だった。神話の森の樹に成る……。
それに、気付いたニーアは、慌てて家を飛び出して、北平原を走った。その間、ニーアの頭の中には、カイネのことしかなかった。ふたたび大事なものを喪う恐怖しかなかった。
神話の森から帰ったニーアは、カイネに解毒剤を飲ませた。一日経った後、カイネの熱が下がりはじめた。ほっとしたニーアは、カイネを叱った。
「これは食べちゃダメだって、言っただろう?」
カイネの顔があおざめた。ニーアの怒りをはじめて見たのだ。顔を歪めるニーアの顔を、熱にうるんだ目で見上げた。カイネのおびえが、暴力の気配に対するものなのだと気付き、ニーアはふ、と肩の力を抜いた。なだめるように笑顔を浮かべようとしても、できなかった。確かに彼は、怒っていたのだ。
カイネのくちびるは、小さく動いたが、声は聞き取れなかった。
「これは毒があるって教えたよね、カイネ」
カイネはじっと動かなかった。
「おれ、怒ってる。でも、もう叱ったりしないから。理由を教えてほしいんだよ、カイネ」
カイネは、俯いたままで、ぼそぼそと喋りはじめた。
「カイネ、は……カイネはのろわれている。だからニーアをふこうにする」
ニーアは今すぐカイネのことばを止めたい気持ちをおさえた。
ちいさな子どもには、不釣り合いな、ことばで語り続けた。おそらく、ずっとそのことばを聞かされ続けていたのだろう。それこそが呪いだ。カイネから、笑顔をうばい、幸福を奪おうとする。
「ニーアも、しんじゃうんだ。ニーアがひどいけがをしたのは、カイネのせいなの」
カイネは、ぎゅうっと自分の手を握りしめた。強く握っているせいで、痛々しいほど白くなっている。
「カイネは、ふきつだから。のろわれているんだ。のろわれてうまれてきたんだ。だから、パパもママも、おばあちゃんもしんじゃったんだ」
カイネはふりきるように、つぶやく。淡々としているからこそ、悲痛だった。カイネのからだが呪いではない。
「カイネは、ふきつだから、まものがきて、おばあちゃんをふみつぶした。だから、カイネなんてしんじゃったほうがいいんだよ」
そこで等々こらえきれなくなったのか、叫ぶような声だった。
「だってニーアだってしんじゃう! マモノに殺されちゃうよ!」
カイネは顔を歪めた。泣くのをこらえているのがわかった。いつも、カイネは涙をためこんでいた。たまらなくなった。ニーアの顔までも、歪んだ。
「死んじゃだめだよ」
ニーアはようやくそれだけを告げた。
「呪われてなんかいない。カイネ。みんな、カイネのせいじゃないんだよ」
自分のことばが、あまりにも陳腐だと思えた。カイネが悪いわけではない、
救いになるのだろうか。
「おれも、ヨナが死んでどうしようかとおもったけど、だけど、カイネがきてくれた」
それは真実だった。いつ死んだって構わないと思っていた。ヨナのための命だ。けれど、今は、そうじゃなかった。
「カイネがいてくれたから、今のおれがあるんだ。カイネがいてくれなかったら、おれ」
小さな女の子にいうようなセリフではなかった。ただ、怪我をしている間、なぜかカイネが自分よりも年上で、とても助けてもらったような、おかしな夢をみていた。そのときも、カイネがいたから自分はなんとかやってこれたのだ、とニーアは思った。
欠落したものを埋めるには、代わりの何かが必要だ。代わりはやがて、欠かせないものになる。ニーアに抱きしめられても、カイネはじっとしていた。やがて手をニーアの背において、そっとなでた。
ニーアもカイネも、大事なものを喪った。喪ったものを、お互いで埋めようとしていた。
ある晴れた日、雲ひとつなく、太陽の光が降り注ぐ平原を、ニーアとカイネは村を出、南平原を抜けて海岸の街へと向かった。ふたりは、手をつないで歩く。マモノの姿は、見えない。どこかに姿を隠しているのだろうか。
村の門をくぐるとき、ふたりとも、最初はぎこちなかったが、やがてそれが自然になった。目が合うと、お互いにおずおずと微笑みあった。ニーアの手をカイネは離れないように必死に握った。カイネの髪を、白い花―月の涙が飾っていた。月の涙、それを手に入れた者は、なんでも願いが叶うと云う。カイネとニーアが育てたものだった。かつて闇の夜に、空に見えたという月の光を集めたような花は、カイネの銀色の髪にやさしく煌めいていた。
これまで語ってきた、物語はここで終わりを迎える。めでたし、めでたし。
ふたりが、ただ海岸の街へと買い物に出掛けただけなのか、あるいは港から外国への船に乗ったのか、わからない。
それから、このふたりがどうなったのか。ある話では、ふたりはいつまでもいつまでも、幸福に暮らしたという。どちらかが死ぬまで、幸せに。
わたしが語る物語の結末は、いつだってハッピーエンドだ。ただ、その終わりの先に、どんな話がはじまるのか、わたしは語らない。物語は大抵、悲しみであふれ、幸福におわり、そのつづきには悲しみがあり、それは延々とくりかえされる。
そして、この、せかいはくりかえされつつも、ゆっくりと滅びつつあり、どんな幸福もやがては消えてしまうのだから。