真夜中の子供たち
ようやくことばを発するようになったカイネの言葉遣いは、愛らしい外見に似つかわしくなくかなり乱暴だった。どこで知ったのか聞くと、自慢げにおばあちゃん、と言った。直すほどのことはなかったので、ニーアは放って置いた。ニーアの他には誰とも話したりしなかったからだ。ポポルとデボルでさえも。ふたりに逢うと、ニーアの後ろに隠れてしまった。
「仲が良いのね」とふたりは、ほっとしたように笑っていた。
ニーアと一緒ならば、村にもでるようにもなった。一度は服を着たまま水浴びをして、怒らなくてはならなかった。ニーアの村では、水が貴重なので泳いだり釣りをすることは禁じられていた。代わりに木の実を拾ったり、花を摘んだりして遊ぶようになった。
やがて、ニーアは、しばらく放置していた畑に手をいれ、月の花の種をもらってきて、畑の一角に植えた。カイネが、興味深そうに見つめていた。
「これは月の花の種だよ」
「つきのはな」
「月の花の中でも、白い花を月の涙って呼ばれるんだ」
「つきのなみだ! カイネ、知ってる。おばあちゃんが教えてくれた」
「ああ、ただ白い花は滅多に咲かないんだってさ」
「つきのなみだがあれば、なんでもねがいがかなうって、おばあちゃんが言ってた」
カイネは、祖母の話をするとき、きらきらと目を輝かせる。
「うん今日から、世話係はカイネだ。カイネの仕事は、ときどき水をあげること。月の涙が咲くまで、頑張ろうな」
「うん」
カイネは真面目な顔で、深く頷いた。
畑の世話をはじめてから、カイネはぐっすりと眠れるようになったようだった。 別々のベッドで休んでいても、夜中にニーアのベッドにやってきた。寝ぼけて「おばあちゃん」とつぶやく。その目には、涙で濡れていた。
ニーアは、かつての記憶が呼び戻されて、せつなさを感じる。かつて妹の背中をこうして撫でた。からだが弱くて、いつも咳をしていた。熱を帯びていつもからだは温かかった。おばあちゃん、とカイネは寝言をつぶやくたびに、ニーアは更に背中をあやした。ぎゅうとしがみつかれる。子供の体温が、染み入るように伝わってきた。
カイネと暮らしはじめてから、時間はあっという間に流れた。カイネは、ニーアが作る食事を食べるようになった。病弱だったヨナと違って、カイネは健康でよく食べて、背も伸びた。手足は子供らしくひょろひょろとしていたが、頬には赤みがもどってきた。ニーアが毎日梳かすようになってから、光の加減によっては青くも見える細い髪は、つやつやとしはじめた。すっかり伸びた髪を、リボンで結んでやると、カイネはよろこんだ。もじもじと「ありがとう」とつぶやいては、水面や鏡をのぞき込んでいた。
カイネが来てからしばらく、一日で戻れる仕事しか受けていなかったのだが、カイネの様子を見て、日を跨ぐような仕事も引き受けることにした。
ヨナのために必要だった高価な薬も、もう必要はなかった。ほそぼそとかんたんな仕事を引き受けるだけでも、生活はできたが、誰かのために何かをしたいというのは、
それに、背の伸びたカイネに服をあげたいと考えていた。おばあちゃんからもらったものではなく、ヨナのお古でもない、新しい服や、髪飾りを。
「ちゃんといい子にしててくれよ」
ニーアが頭をなでると、カイネは幼く、こくん、と頷いた。
今度の仕事は、ロボット山に棲み着いたマモノを倒すことだった。ロボット山の傍で暮らす家族からの依頼だった。
失われた技術を利用して道具を作る。貴重な資源であり、いくら危険でも、必要なのだ。他の村からやってきた数人の傭兵たちと、山に入った。ここにはマモノだけではなく、ロボットの数も多い。それを倒し、残骸を拾いながら最深部へと向かった。
「地図じゃあ、ここらへんらしいな」
「ここは、日がささないからな、マモノにはいいんだろう」
ロボット山に棲み着いていたのは、予想よりも遥かに多いマモノたちの集団だった。彼らはニーアたちを見るやいなや、襲ってきた。
数が圧倒的だった。倒しても倒しても、彼らは襲いかかってきた。マモノを斬るのはとても嫌な感触だった。人を斬るのに似ている。
傭兵たちは、次々に倒れた。マモノの中には魔法を使う者もいた。避けきれず、次々と倒れていく。壮絶な時間が過ぎた。からだは血でまみれ、剣が重たく感じられた頃、ようやくマモノの姿はなくなった。血の臭いに、顔をしかめつつ、ニーアはほっと安堵の溜息を漏らした。
「おい、アンタ」
ああ、とふりかえろうとした瞬間、強い痛みが走った。これまで必死で気付かなかったのだ。
「あんた、ひでぇ怪我を…!」
腹のあたりに大きな傷ができていた。血まみれ、と思ったのは自分の血も混じっていたことに気付き、ニーアは薄く笑った。意識があったのはそれまでだった。
どうやって、村まで戻ってきたのかニーアは記憶になかった。気付いたときには、家のベッドで横になっていて、薬草の独特の香りを感じた。重たい瞼を押し上げた。
(おにいちゃん!)
ヨナに呼ばれたような気がした。自分をのぞき込む少女が、ヨナの姿に見えたが、やがてカイネだとわかった。
「ニーア…!」
カイネの幼い声が、届いた。それもどこか遠くからのように聞こえた。視界はぼやけたままで、まるで夢の中にいるようなここちだった。
「目が覚めたのね」
「ポポルさ…」
「喋らなくていいわ。今は、眠りなさい」
ポポルの指先が、額をそっと撫でてくれた。自分が子供であやされるように感じて、ニーアはまた眠りの中におちた。指の先をぎゅうっと握られた気がした。
ニーアは、夢の中をさまよった。父が旅先で亡くなり、やがて母までも亡くなった日。赤子だったヨナはまだその意味もわからなくて、ただ延々と泣いていた。ニーアはヨナを抱きしめた。これからは、自分がヨナをまもらなくてはいけないと強く思った。それからはただ、ヨナのために夢中で生きた。
ヨナが亡くなって、ニーアはいつ死んだってかまわないとも思っていた。自分が生きてきたのは、ヨナのためだ。それでも自ら命を絶とうとはしなかった。そして、カイネを引き取ることになった。
またある夢では、ヨナは生きていて、やはり病だった。ヨナの病を治すために、ニーアは仲間と、ともに戦う――。喋る本、骸骨のような風貌の少年、そして、ひとりの女性…。それがカイネの成長した姿のようにも見えた。
またある夢では、カイネは死にたがっていて、そして死んでしまう。ニーアはそれでようやく、そのカイネが喪いたくないものだと気付く。
ニーアはいくつもの悪夢の中をゆらゆらとさまよった。
ひと月ほど、ニーアはベッドで過ごすことになった。その間、カイネはちいさなからだを動かして、甲斐甲斐しくニーアの世話をした。村に生えている薬草を摘んできたり、水を持ってきた。その様子は必死だった。
ようやく起き出せるようになり傷の痛みも消えた頃、ひとつの事件が起こった。
これまで、風邪ひとつ引いたことのないカイネが腹痛を訴えて、高熱を出して寝込んだのだ。ニーアは青ざめて、看病をはじめた。薬草も何も効かなかった。苦しむカイネを見て、何もしてやれない、自分が歯痒く、また喪ってしまう恐怖に、震えた。