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彼女は彼に凱旋歌を歌い続ける

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人口過密といえ、夜は人の出入りも疎。そんな時間に雪崩れ込むように人の波が駅へと流れ、または駅から流れ、最後の足掻きとばかりに人がごった返す駅前とは打って変わって、ここには人の気配がない。一度とて刺されればその忠告通り、雑踏に紛れることを諦める他ない。そんな理由で折原臨也は夕闇迫る街中を人の波から外れて、しかし飽きもせずに人間観察のために池袋を出歩いていた。

 突然の殺気、天敵出現かと取り敢えず前方へと跳ぶ。振り返ってみれば女性用のスーツを纏い、日本刀を携えた女が今まで臨也がいた場所にその刀を振り下ろしていた。これは殺す気だな、と護身の為に愛用の折り畳み式ナイフを袖口から掌中へと滑らせ、パチン、と開くと女へと向けた。

「やあ、久し振りだね、園原杏里ちゃん」
「害虫と会話するつもりはありません。死んで下さい」

言い終わるが早いか、杏里は踏み込んで横一文字に刀身を振るう。しかし持ち前の運動能力で斬撃の届かぬ距離ギリギリのところへ回避。

「あのさぁ、いくら粟楠の幹部候補に挙がってるからって、人殺しは拙いんじゃないの?」
「罪歌が貴方に愛を向けません、貴方は人間じゃない。先に言った通り、害虫です」

斜め下から振り上がる刀身の峰を踏んで押さえつけようとすると、それは杏里の中へ引っ込み、臨也の足が届かないところへ移った右手から再び生えて、腹部を両断しようと迫る。斬られてはかなわない、とナイフで刀を受けると単純な力では押し負ける杏里は一度距離を取る。しかしすぐに地を蹴り低い位置を、逃げる為の脚を排してしまおうと刀を振るう。
 天敵程ではないが杏里は充分に強い。高校生だった頃から、否、恐らく彼女が罪歌をその身に宿した時から強かったがそれは妖刀の経験で彼女のものではなく、それを現在の彼女は自分の身体に合わせ、より使い易いように改良している。それに加えて感情の不揃いな、人間らしくない(と臨也は思っている)杏里の感情は読み難く、彼は内心で舌打ちした。

「数年前に君達にしたこと、まだ怒ってるの?」

激昂でもしてくれればいくらか隙を作れるか、と彼女が最も気にしているだろう記憶を掘り返すようなことを言ってみるも宣言通り、もう言葉を返してくる様子もない。先程と同じく脚を狙って斬りかかってくる。逃げる為の大事な道具だ、くれてやるわけにはいかない、とやはり避け、彼の武器の一つでもある口述を止めることもしない。

「アレはさ、君達一人ひとりの秘密が積もり積もって成した結果だろ? 俺に当たるのはお門違いだ」

接近戦を諦めたのか杏里はやや間合いを開くと、右手を大きく振るう。刀身が臨也の頭部を貫こうと伸びた。これだから異形は、と眉を寄せつつ刀身をナイフで弾くと、それは近くの壁に突き刺さる。

「そもそも何が不満なわけ? イロイロあったけどそれも終結したし、正臣君は池袋に戻ってきたし、君達の関係は元通り。ああ、もしかして正臣君が彼女連れだったのが面白くない?」

顔の横で刀がギチリ、ギチリと震えて耳障りな音を立てる。それが無表情にも見える杏里の怒りのようで、いっそ笑えた。

「だったらさっさと告白するなり何なりすれば良かったんだよ、彼が池袋からいなくなる前に」

ガ、ガ、ガ、と刀身が壁を削り始める。

「それとも正臣君にフラれたから帝人君に鞍替えしようとしてた?」

 ギン、とナイフと刀がその刃を交差させる。

「彼を……、帝人君を返しなさい!!」

交えた刃をそのままに、左手からも刃を出しながら杏里は更に踏み込んでくる。

「返せ、って言われてもね、俺が預かってるわけじゃない。それに」

先に受けた刃を流し、次にくる刃を留める。腕力では勝てないと分かっている筈だが、杏里は執拗に刀を押し込んでくる。

「帝人君が姿を消したのも彼自身の意思だ」

急に刀を押す力が軽くなったと思えば、突如、腹に圧力がかかる。蹴られた、と分かったのは咳き込んでからだった。

「ッ、は。足癖悪いね、帝人君も何だって君なんかが好きだったんだろ」

こういう時、女物の靴は凶器だ、と腹を押さえながら体勢を整える。

「ま、最終的に君は選ばれなかったわけだ。でも泣かせるよね、好きな女の子をこれ以上巻き込みたくないからって、何もかも無理矢理にでも終わらせて行方を暗ますなんてさ。おかげで俺も予定が狂っちゃったし」
「そう……、ですか」

刀を元の一本のみ、それ以外は引いた杏里が薄らと笑う。

「帝人君の居所は知らないんですね。計画を狂わされて何もしない性格とは思えません、彼の所在を貴方が掴む前に、やっぱりこの場で死んで貰います」

睨みつけてくる真紅の瞳は、より輝きと赤みを増す。これは拙いか、と臨也は周囲を見回し、逃走経路を確認する。

「逃がしません」
「いや、逃げるよ」

三十六系逃げるに如かず、と臨也は壁を蹴った。










 結局逃げられてしまった杏里は仕方なしに罪歌を引っ込めた。それと同時に携帯電話の震えを感じて取り出してみれば、正臣からだ。

「……もしもし?」
『お、やっと繋がった。暇か? 沙樹と飯食いに行こうかって話してたんだよ』
「ごめんなさい、今日はちょっと」
『そっか、残念。……あのさ、もしかして泣いてる?』
「……折原臨也を殺し損ねてしまいました」
『おいおい1人で殺すなよ、俺も混ぜろ――――ってコラ、沙樹、喜ぶな、あいつは池袋住民の敵だ――と、悪い。あー、じゃあまた連絡するわ。……帝人のことも、何か分かったら知らせる』
「お願いします。……私も、ダラーズに登録しておけば良かったです」
『っても帝人の情報なんて上がってこねえけどな。ま、今は止めとけ。上司に止められてるんだろ?』
「赤林さん、心配性なんです」
『それだけ愛されてるんだよ、杏里は』

 俺も愛してるからな、と昔と変わらない軽口を叩いて正臣は通話を切った。杏里は苦笑して電話をしまう。眼鏡を外して潤んだ眼を拭えば、もう血の如き赤色は影もなく引いていた。時計を見れば、そろそろ仕事場に出向かなければならない時刻になっている。
 息をついて彼女は歩き出した。



 私は力を手に入れました。
 貴方に守られているだけの荷物にはなりません。
 だからどうか帰ってきて―――――― ……