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湯治余談

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 何がそんなに面白いのか、と思いながら秀吉は憮然として湯をかき回した。おそらく、半兵衛はこの話をこのまま避け通してしまうつもりだろう。それが少々気に食わないのだ。
 ぱしゃん。半兵衛の爪先で水音が鳴る。ぱしゃん。秀吉の手の中でも水音が鳴る。
 どう言い返してやろうかと考えながら、それを聞くともなしに聞いているうちにふと思い付いたことがある。
 悪い案ではない、と思った。
「半兵衛」
「なんだい、秀吉」
 改めて己の名を呼んだ友人を、美しい顔が見上げる。
 そこでもぱしゃん、と水音が鳴った。秀吉が大きな掌で湯をすくい、半兵衛の顔に浴びせかけたのだ。
 予想もしていなかったのだろう。避けることもできずに直撃だ。
「ちょ……!?」
 両の手を合わせて汲んだ湯は、大ぶりな茶碗程もあっただろうか。それをいきなり顔に浴びせられたものだから、半兵衛は目を白黒させている。
「ちょっと、いきなり何をするんだい秀……うわっ!!」
 そう問いかけたところに秀吉の追撃が飛んだ。それも避け損ねて、半兵衛は髪までぐっしょりの濡れ鼠である。
 想像以上の戦果に、秀吉は呵呵と笑った。
「水合戦、いや湯合戦だな。これならば殴り合いや口喧嘩よりは勝負になろう」
「待ってよ、僕はそんな勝負受けな……」
 半兵衛の反論はまた途中で遮られた。秀吉が三度、湯を浴びせたからである。
 流石にこれはかわされたが、水というものは槍や刀と違って一直線に飛ぶものではないし、落ちれば派手に飛沫も上がる。それがまた半兵衛の顔に飛んだ。
「……秀吉ッ!!」
 そのあたりでとうとう、半兵衛の堪忍袋の緒が切れたらしい。
 傍らの手桶を引っ掴み、なみなみと湯を汲み上げる。流石は知恵者、秀吉が奇襲で来るなら、物量作戦で対抗しようということか。
 今度はぱしゃん、などという可愛らしい音はしなかった。ざばあと湯を掛けられた秀吉は、その一度でずぶ濡れである。
「こら半兵衛、それは反則ではないか?」
「君の手は大きいんだから、これぐらいいいじゃないか」
「我の手は桶並みか。言いよるわ、手加減せぬぞ!」
「望むところだよ!」
 どちらの言も嘘はなく、そこから先は盛大な湯合戦となった。
 顔に湯がかかる。髪が濡れる。浴槽の中が海のように波立つ。座ったままでは飽き足らず、立ち上がったのはどちらが先か。
 だがこの勝負、見た目ほど公平というわけではない。
 一見、手桶を使う半兵衛の方が有利に見えるかもしれないが、水合戦の勝敗はどちらが多くの水を浴びせたかで決まるわけではないのだ。最後はどちらかが参ったと根を上げたところで決まる。
 となれば結局は体力勝負、秀吉の方が断然有利である。しかも両の手しか使っていない秀吉に対し、手桶を使う分だけ半兵衛の負担の方が大きい。
 結末は明らかだった。
 見る間に半兵衛の動きは鈍り始め、湯を汲み上げる頻度もがくんと減っていく。そうこうするうちに、桶が手から滑り落ちた。湯に落ちた桶は最後の奉公とばかりに水飛沫を上げたが、それは秀吉には届かない。
 半兵衛が湯の中にふらふらと座り込んでしまったのは、それとほぼ同時だった。湯の中で動き過ぎてのぼせたのだろう。全身が紅に染まっている。
「大丈夫か半兵衛」
「へ、平気だよ。ちょっと疲れたのと、湯当たりしただけだから……」
 だが、湯の中で荒い息をついて喘いでいる様子はとても平気とは思えない。
「……少し休めば落ち着くよ。大丈夫」
 不安げな秀吉の様子を見て付け加えたのにも、さっぱりいつもの説得力がない。
「そこにいては余計につらいだろう。せめて湯から上がれ」
「そうしたいのは山々なんだけど、今は……ちょっと無理かな」
 どうやら湯船の縁にもたれているのがやっとのようだ。しかしそうしていては茹る一方。これはいかんと、秀吉は大きな声を上げた。
「誰ぞいるか」
 今回の湯治にはあまり多くの供は連れて来ていない。だが一行を迎えるにあたって、地元の者も手伝いに参じている。何人かは近くに控えているはずだ。
「冷たい水と手ぬぐいを持て」
 はい只今と答える声を待たず、秀吉はぐったりした半兵衛を抱えて湯船を跨いだ。体を拭いてやっている余裕はない。用意の湯帷子に乱暴に袖を通し、半兵衛にも着せ掛けてやると、髪からぽたぽたと水滴を零しながら手近な部屋の襖を開ける。
 そこに半兵衛を寝かせてやり、水滴の跡を追ってやってきた小姓に用意させた手ぬぐいを、同じく用意させた冷水に浸して額に当ててやった。ひどい湯当たりだ。落ち着くにはしばらく時間がかかるだろう。
 それにしても、一体どうしてこのようなことになったのやら。別の手ぬぐいで髪を拭きながら、秀吉は長い溜息をついた。
 あの状況で手桶を使い続ける愚に半兵衛が気付かぬはずがない。激情に捉われた初めはともかく、冷静になれば必ず気が付くはずだ。
 だが半兵衛は意地になったように手桶を振り回した。その結果がこれだ。あまりにも半兵衛らしくない失態である。
 なぜこのようなことを。秀吉の髪が半ば乾き、紅に染まった半兵衛の肌がようやく薄桃色ほどに冷めるまで、秀吉は何度も繰り返し考えた。
 その果てに、気が付いた。
「もしや半兵衛、お前は最初から我に負けるつもりであったのか?」
 思えば半兵衛は、最初からこう言っていたのである。『君を敵に回すのなんて御免だ』と。
 そう考えれば全て納得がいく。争いたいというのが秀吉の望みなら、半兵衛はそれに逆らわない。逆らわないが、長々と続けたくもない。それなら秀吉の機嫌を損ねない程度に自然を装って、早々と負けてしまうのが一番だ。
 君と戦いたくなんてない。君の敵になんかなりたくない――深く考えずに聞き逃していたが、それこそが半兵衛の、掛け値なしの真意だったのだろう。これは悪いことをしたと思いつつ、秀吉は横たわる半兵衛を見た。
 己が身をこのようにしてまで秀吉との戦さを避けた半兵衛は、未だ苦しそうに悶えている。
「そこまで嫌なら、素直にそう言えばいいものを……我を相手にする時まで策を練るな。我もお前に無理強いなどせぬわ」
 半ば呆れたように言う秀吉の声が聞こえたのか、何か言いたげに半兵衛が呻いた。だがそれは、やはりまともな言葉にはならない。
 その代わり、せっかく白み始めていた肌がまた朱に染まった。秀吉に本心を見抜かれたのが恥ずかしかったのだろうか。半兵衛らしからぬ、やけに俗っぽい反応だ。
 それを見て、秀吉は全てのきっかけとなった湯殿での幻想を思い出す。
 夢幻のような男だ、と時折思う。天下という夢そのものが寄越したような男だと思う。だが夢ならば湯当たりなどせぬだろうし、幻ならば羞恥に肌を染めることもあるまい。
 ああ、これもまた人であったか。
 秀吉がそんな安堵を得て、穏やかに己を見つめているのを半兵衛は知らない。
作品名:湯治余談 作家名:からこ