純愛イミテーション
「――この度は、総領に就任おめでとうございます、悦史様。
重ねて、咎送りの件も本当にお疲れ様でした。お陰様で皆、今年も穏やかに過ごせるでしょう」
そう言って鴻森典彦は自分のことのように嬉しそうな笑みを浮かべた。しかし、典彦がこの世界で唯一、想いを寄
せ忠誠を誓っている唯一神であり絶対神、はたまた天使、初恋の人、畏れるべき化け物、そして愛すべき飼い主で
ある浦戸悦史は――・・・・・・少しも嬉しそうではなかった。
腰まで届く真っ直ぐな赤毛。闇を切り取ったように光を吸わない漆黒のドレス。葡萄酒のように深い瞳。作り物め
いた容貌を、無表情で更に作り物のように装う少女。
彼はつい先日、15になった。来年の春には典彦と共に高校へ進学する。
「先日の祭りでの総領様の振る舞い、とても立派でございました。私酷く感服致しまして――」
「……うるっせえんだよ典彦」
美しい主人は、犬を睨めつけて舌打ちする。
「わたくしィ?感服だァ?…きっもちわりィ。
指揮する俺見て、テメェがおっ勃ててたのを俺が気付いてねーとでも思ってたのかァ?俺がそんな鈍いと思ってん
のか、あァ?」
…典彦は、悦史が気付いていないと思っていた。いつもは嘲笑しか浮かべることのない典彦の顔に、さっと朱が差
す。
悦史はもう一つ舌打ちして、椅子の肘置きに肘を付くと、さっと足を組み換えた。真っ赤なワンストラップと白い
靴下、僅かに覗く膝頭に典彦の目が釘付けになる。
……が、ずっと見つめていてはあまりに無礼だと典彦はさっと目を背けた。もちろん、その華奢な膝頭が頭に浮か
んで、決して離れることはなかったが――……
「おい、典彦」
蔑みも明らかに、悦史が声を掛けた。典彦は心臓をどぎまぎさせたまま、視線を悦史へと戻す。悦史は典彦の内心
を見透かしたように笑うと、立てた親指を、ぐっと下へ向けて見せた。囁いたのは、甘美な誘惑。
「跪け」
それから華奢な足を、ひらりと典彦へ差し出して見せる。
「先日の咎送りのせいで、足が疲れちまってなァ……典彦、脱がせてくれるか?」
なァ?と笑い掛けられればもうひと堪りもない。典彦は犬は犬でも、待てのできない犬である。
早速悦史の足元に跪いた典彦は、犬よろしく、がじりとその靴に噛み付いた。主人を怪我させようとかそんな理由
からではもちろんない。一重に、ストラップを外すためである。
器用に歯でストラップを外した典彦は、それからそっと、両の掌で踵と爪先とを包み込んでそうっと靴を脱がせた
。初めからストラップも手で外せなんて言う野暮な人間はどこにもいない。
両方の靴を脱がせ、これでいいかと典彦は視線で問った。しかし、問ったのはそれだけではない。悦史は更なる行
為を望む典彦に鷹揚に頷いて見せた。
典彦は恍惚とする顔を早鐘のような心臓を押さえ付けようと努力しながら、恐る恐る悦史の膝頭へ口付けた――と
言うと、語弊がある。典彦は恐る恐る、まるで悦史の膝頭へ口付けるように、レースのハイソックスの端を咥えた
。
息を止めて、ゆっくりと引き下ろすと、段々露になる剥き身の玉子のように綺麗な足。
悦史は愉快そうに笑うと、典彦が咥えているのと逆の足で、勃ち上がりかけた典彦のものをやわらかく踏んだ。
思わずびくりとした典彦に、悦史は意地悪く笑う。
「あァ、ごめんなァ典彦…うっかり踏んじまったよ、うっかり。気にせず続けろよ」
「そ、う領様……」
「続けろ」
靴下の足でそれをにじって悦史は嫌な笑みを浮かべた。
総領様。典彦は悦史に縋るような視線を向けたが、悦史はただ笑うばかり。恨めしげな視線で悦史を見上げた典彦
は、しかしまた作業を再開する。
視界を占める悦史の足だけで典彦はたまらないと言うのに、悦史の嫌がらせまで加わってはもうどうしようもない
。
煩悩を何とか圧し殺して靴下を脱がせた典彦は、ご褒美を期待して悦史を見上げた。
いい子だ、と悦史は天使のように笑って――……ほら、次。
悪魔の笑みでもって、もう片方の足を差し出した。
***
ざーっと水の流れる音。
浦戸邸、洗面所。
典彦はレースのハンカチを水に浸して絞ると、主に蹴られた頬へそれを押し当てた――……はあ。
これまた思い切りやってくれたもんだ。
典彦は主がいないのを良いことに、大きく舌打ちする。ハンカチを退けて鏡を覗き込むと、そこは真っ赤に腫れて
いた……また溜め息。
ちょっとくらい良い目見してくれてもいいんじゃねえの?と言うのが典彦の持論だ。
悦史に尽くしてもう八年。典彦は、悦史が望むことなら何でもやってきた。
それなのに悦史がくれたものと言ったら、時折気紛れに与えられる折檻くらい。与えられれば与えられるほど、よ
り多くが欲しくなるのは人間の道理だ――……典彦はもう我慢出来なくなっていた。思わず主の足指にしゃぶりつ
こうとしたことで、強かに蹴られた頬が痛い。
「…只今戻りました。」
部屋に戻った典彦は、悦史を見て深々と頭を下げた。悦史は典彦を見ない。
「…………」
典彦は内心溜め息を吐いて、後ろ手にドアを閉めた。錆びた蝶番の立てる重い音が、部屋に二人きりだと言う事実
を尚更浮き彫りにした。
「……典彦。」
悦史が先程哄笑を上げていたのは別人だったんじゃないか?と疑いたくなるほど冷めた声色で囁いた。
「お前今、ナイフ持ってるか」
「……え。あ……はい。」
「そうか」
来い。悦史は視線を虚空に彷徨わせたまま、指先で典彦を招いた。
典彦は悦史に歩み寄りながら、尻ポケットにいつも突っ込んであるバタフライナイフを取り出す。
悦史にナイフを手渡す典彦の手は微かに震えていた。
「典彦」
「…………」
「典彦」
「………はい、総領様」
悦史は無表情に頷くと、感情の読めない目で手の中のナイフを見下ろした。銀色の矩形が室内の光を弾いて光る。
……ぱちん。悦史の白い指がバタフライナイフを開いた。その刃先は悦史の細い指など、簡単に切り落としてしま
えるほど鋭い。典彦は肝が冷えるのを感じた。
「……典彦。おまえ、俺の言うこと聞けるな?」
平坦な口調。
「お前、昔自分で言ったこと覚えてるか」
「…………」
「覚えてねえなら言ってやる。お前――……」
「いや、覚えてます。…忘れるわけが、ないでしょう」
幼い日の約束――……と言うには、汚すぎるそれ。悦史と典彦の汚い関係の、契約の始まり。
「…そうか」
悦史は柄を向けてナイフを典彦に差し出した。典彦には、受け取る以外の選択肢はない。掌に汗が滲んだ。
「切れ」
「・・・・・・はい」
「あ?お前何切ろうとしてんだ」
「え?」
「お前の血なんざに興味はねーよ・・・・・・ほら」
悦史は深々と溜め息を吐くと、今まさに手首を切ろうとしていた典彦へ、悦史が本当に切らせたい対象を示して見
せた。さあ、切れ。
「・・・・・・できません」
「・・・はあ?俺の言う事聞けるんだろ」
「いや、でも、それは」
「いやもでももクソもあるか。切れ」
悦史が切れと言ったのは、髪だった。腰まで届く真っ直ぐな赤毛。それを一房見せ付けるように持ち上げて、悦史
重ねて、咎送りの件も本当にお疲れ様でした。お陰様で皆、今年も穏やかに過ごせるでしょう」
そう言って鴻森典彦は自分のことのように嬉しそうな笑みを浮かべた。しかし、典彦がこの世界で唯一、想いを寄
せ忠誠を誓っている唯一神であり絶対神、はたまた天使、初恋の人、畏れるべき化け物、そして愛すべき飼い主で
ある浦戸悦史は――・・・・・・少しも嬉しそうではなかった。
腰まで届く真っ直ぐな赤毛。闇を切り取ったように光を吸わない漆黒のドレス。葡萄酒のように深い瞳。作り物め
いた容貌を、無表情で更に作り物のように装う少女。
彼はつい先日、15になった。来年の春には典彦と共に高校へ進学する。
「先日の祭りでの総領様の振る舞い、とても立派でございました。私酷く感服致しまして――」
「……うるっせえんだよ典彦」
美しい主人は、犬を睨めつけて舌打ちする。
「わたくしィ?感服だァ?…きっもちわりィ。
指揮する俺見て、テメェがおっ勃ててたのを俺が気付いてねーとでも思ってたのかァ?俺がそんな鈍いと思ってん
のか、あァ?」
…典彦は、悦史が気付いていないと思っていた。いつもは嘲笑しか浮かべることのない典彦の顔に、さっと朱が差
す。
悦史はもう一つ舌打ちして、椅子の肘置きに肘を付くと、さっと足を組み換えた。真っ赤なワンストラップと白い
靴下、僅かに覗く膝頭に典彦の目が釘付けになる。
……が、ずっと見つめていてはあまりに無礼だと典彦はさっと目を背けた。もちろん、その華奢な膝頭が頭に浮か
んで、決して離れることはなかったが――……
「おい、典彦」
蔑みも明らかに、悦史が声を掛けた。典彦は心臓をどぎまぎさせたまま、視線を悦史へと戻す。悦史は典彦の内心
を見透かしたように笑うと、立てた親指を、ぐっと下へ向けて見せた。囁いたのは、甘美な誘惑。
「跪け」
それから華奢な足を、ひらりと典彦へ差し出して見せる。
「先日の咎送りのせいで、足が疲れちまってなァ……典彦、脱がせてくれるか?」
なァ?と笑い掛けられればもうひと堪りもない。典彦は犬は犬でも、待てのできない犬である。
早速悦史の足元に跪いた典彦は、犬よろしく、がじりとその靴に噛み付いた。主人を怪我させようとかそんな理由
からではもちろんない。一重に、ストラップを外すためである。
器用に歯でストラップを外した典彦は、それからそっと、両の掌で踵と爪先とを包み込んでそうっと靴を脱がせた
。初めからストラップも手で外せなんて言う野暮な人間はどこにもいない。
両方の靴を脱がせ、これでいいかと典彦は視線で問った。しかし、問ったのはそれだけではない。悦史は更なる行
為を望む典彦に鷹揚に頷いて見せた。
典彦は恍惚とする顔を早鐘のような心臓を押さえ付けようと努力しながら、恐る恐る悦史の膝頭へ口付けた――と
言うと、語弊がある。典彦は恐る恐る、まるで悦史の膝頭へ口付けるように、レースのハイソックスの端を咥えた
。
息を止めて、ゆっくりと引き下ろすと、段々露になる剥き身の玉子のように綺麗な足。
悦史は愉快そうに笑うと、典彦が咥えているのと逆の足で、勃ち上がりかけた典彦のものをやわらかく踏んだ。
思わずびくりとした典彦に、悦史は意地悪く笑う。
「あァ、ごめんなァ典彦…うっかり踏んじまったよ、うっかり。気にせず続けろよ」
「そ、う領様……」
「続けろ」
靴下の足でそれをにじって悦史は嫌な笑みを浮かべた。
総領様。典彦は悦史に縋るような視線を向けたが、悦史はただ笑うばかり。恨めしげな視線で悦史を見上げた典彦
は、しかしまた作業を再開する。
視界を占める悦史の足だけで典彦はたまらないと言うのに、悦史の嫌がらせまで加わってはもうどうしようもない
。
煩悩を何とか圧し殺して靴下を脱がせた典彦は、ご褒美を期待して悦史を見上げた。
いい子だ、と悦史は天使のように笑って――……ほら、次。
悪魔の笑みでもって、もう片方の足を差し出した。
***
ざーっと水の流れる音。
浦戸邸、洗面所。
典彦はレースのハンカチを水に浸して絞ると、主に蹴られた頬へそれを押し当てた――……はあ。
これまた思い切りやってくれたもんだ。
典彦は主がいないのを良いことに、大きく舌打ちする。ハンカチを退けて鏡を覗き込むと、そこは真っ赤に腫れて
いた……また溜め息。
ちょっとくらい良い目見してくれてもいいんじゃねえの?と言うのが典彦の持論だ。
悦史に尽くしてもう八年。典彦は、悦史が望むことなら何でもやってきた。
それなのに悦史がくれたものと言ったら、時折気紛れに与えられる折檻くらい。与えられれば与えられるほど、よ
り多くが欲しくなるのは人間の道理だ――……典彦はもう我慢出来なくなっていた。思わず主の足指にしゃぶりつ
こうとしたことで、強かに蹴られた頬が痛い。
「…只今戻りました。」
部屋に戻った典彦は、悦史を見て深々と頭を下げた。悦史は典彦を見ない。
「…………」
典彦は内心溜め息を吐いて、後ろ手にドアを閉めた。錆びた蝶番の立てる重い音が、部屋に二人きりだと言う事実
を尚更浮き彫りにした。
「……典彦。」
悦史が先程哄笑を上げていたのは別人だったんじゃないか?と疑いたくなるほど冷めた声色で囁いた。
「お前今、ナイフ持ってるか」
「……え。あ……はい。」
「そうか」
来い。悦史は視線を虚空に彷徨わせたまま、指先で典彦を招いた。
典彦は悦史に歩み寄りながら、尻ポケットにいつも突っ込んであるバタフライナイフを取り出す。
悦史にナイフを手渡す典彦の手は微かに震えていた。
「典彦」
「…………」
「典彦」
「………はい、総領様」
悦史は無表情に頷くと、感情の読めない目で手の中のナイフを見下ろした。銀色の矩形が室内の光を弾いて光る。
……ぱちん。悦史の白い指がバタフライナイフを開いた。その刃先は悦史の細い指など、簡単に切り落としてしま
えるほど鋭い。典彦は肝が冷えるのを感じた。
「……典彦。おまえ、俺の言うこと聞けるな?」
平坦な口調。
「お前、昔自分で言ったこと覚えてるか」
「…………」
「覚えてねえなら言ってやる。お前――……」
「いや、覚えてます。…忘れるわけが、ないでしょう」
幼い日の約束――……と言うには、汚すぎるそれ。悦史と典彦の汚い関係の、契約の始まり。
「…そうか」
悦史は柄を向けてナイフを典彦に差し出した。典彦には、受け取る以外の選択肢はない。掌に汗が滲んだ。
「切れ」
「・・・・・・はい」
「あ?お前何切ろうとしてんだ」
「え?」
「お前の血なんざに興味はねーよ・・・・・・ほら」
悦史は深々と溜め息を吐くと、今まさに手首を切ろうとしていた典彦へ、悦史が本当に切らせたい対象を示して見
せた。さあ、切れ。
「・・・・・・できません」
「・・・はあ?俺の言う事聞けるんだろ」
「いや、でも、それは」
「いやもでももクソもあるか。切れ」
悦史が切れと言ったのは、髪だった。腰まで届く真っ直ぐな赤毛。それを一房見せ付けるように持ち上げて、悦史