合食禁
学友にひとり、特殊な立場の人間がいる。
名に、ブリタニア、などという大層な名前がついているのだ。
つまり、僕の国。つまり、僕の国の皇族。
つまり、主観はあっちにとっての僕が学友であって、本来僕の立場で学友だなんて呼ばわったら即不敬罪で投獄で一族郎党路頭に迷っちゃうような、でもタダのヒト。
そのヒトが、最近ちょっとぼんやり気味だ。
こういう彼は初めて見るもんだけど、別に興味がそそられることでもないから放っておいた。
ただ、彼の周りをあからさまにおべっかのためだけに存在するような煩い小蝿が唸っていたので、まあ、親切心もちょっとだけ込めて(でも半分は迷惑してた僕のために)
「考え事してらっしゃるの、わかんないのかなあ~」
と呟いて退散させてみた。
それからたっぷり三分くらいは経ったと思う。
僕が論理式を20行も書いた頃に、ぽつりと声が落ちた。
「・・・ロイド・アズブルンド、だったか?」
「・・・・・まさか名前を思い出すのにそれだけ時間が掛かったわけじゃないですよね?」
顔を上げてみたけど、至高のお方は遠くを見つめたまんまだった。
本当、らしくないよなあ、と思う。
現皇帝の次男坊、というだけあって、他の誰よりも次代の椅子争いに参加を強いられている立場だ。
本心がどうであれ、長男サイドも次男サイドもとりあえずどんな時代だって椅子争いはさせられてきた。
国史を授業で紐解くまでもなく、下町の連中でさえ知ってる事実だ。
だから、結構この被学友のヒトも卒なく隙なく、僕からしたら、僕より胡散臭い。
世間の評価ってのは真逆らしいけど。
おかしいよねえ、僕ほど素直に生きてる人間もそうはいないってのに。
「弟のことを、考えていたんだ。」
「へえ。どの弟さんかな?」
「そのとりあえずの相槌は癖か?」
口調は静かで、緩やか、内容は怒り気味。
でも問題ないだろう、今、お互いは学生の身だ。
「講師だろうが誰だろうが、僕の人生の時間に声をかけてるんだから適当にすべきかどうかは僕が決めたいな。」
「そうか、御しがたいのだな。」
「反体制的ってわけじゃないんですけどね。」
「分かっている。興味が自分のもの以外に無いだけだろう。皇帝向きだ。」
それこそ皇帝向きかもしれない、全体をくまなく見ているのだろう発言で、ちょっと癇に障った。
「なにが仰りたいんですかね、殿下?」
「君が気に入ったという話だよ。」
「このところぼんやりしてると思ったら・・とうとうそこまで・・・」
僕だって分を弁えているつもりだ。
周囲の僕に対する評価は良く知っている。
だからはっきりとあきれた。
「ほら、僕がぼんやりしてるって、気付くのはそういないんだよ?
亡くなった乳母くらいだ。」
ふうん、と今度は少し深い意味の相槌をつく。
その、亡くなった乳母の話は憶えている。
単純な食べ合わせ。
それでも体内で死の調合が出来るものが世の中にはあって。
彼の乳母は、同じものを食べる習慣があったから、それを先に食べて命を懸けて彼を守った、という上々階級の噂。
「で、どうしたんですか、気付く僕も珍しいかもしれないですけど、ぼんやりしてる殿下も珍しいですよね。」
そう、はっきり言って異常事態だ。
何が原因かを突き止めないと、回りまわって火の粉がこっちまで来るかもしれない。
上に立つものとはそういうものだ。
貴族にとっては皇族が。
下々にとっては貴族が。
永遠普遍の法則だ。
「・・・弟がね、この間、父にアンタの遺産相続の権利なんか要るかって啖呵を切ったんだ。」
さすがに手が止まった。
何か、凄いことを聞いたぞ?と理性1が言って、何だっけ?と理性2が尋ね、知性1が「あれだろ、皇位継承権を放棄するって意味だろ?」という傍らで知性2が「まだレース会場も整ってない状態から出場辞退、ってことだよな?どういうことだ?」とわめく。
「・・・また、なんと申せば良いのか・・・。」
「君が率直な意見を言わないのは却って不敬な気分だな。」
「その場に居合わせたかったな。」
即座に本音が出る。
本当に本当に勿体無い。
遅かったのだと痛感した。
「余りにも愚かしくて笑えなかったけれど、そういう方法もあるんだな、と思った。
父から与えられるのではない、自らの道、というのが。
啓蒙された気分でね、このところ少し浮かれているんだ。」
くすり、と口角を上げる仕草は確かに浮かれているのだろう。
いつも見目麗しく秀でている彼の、どこかマイナーな気配が漂う、計算できていない表情だ。
「で、その弟さんは?」
訊いた意味はいろいろだ。
どの皇妃の?何番目の?弟さんのその後は?
けれどどの意味も正しくは受け取ってもらえなかったらしい。
彼はコミュニケーション能力に定評があるから、いつも問題があると判じられる僕の方が悪かったのだろうか。
いや、このヒトなら分かっていて無視しそう。
「そう、歳はいくつだったか、9つだったかな?
生半な大人よりよほど見込みのある子だよ。
すぐ下の弟より、光るかもしれない原石だ。」
「・・・って、すでにその歳で・・・いや、例が無いわけじゃないですね。」
「そうだね、7つで立派に女王を務めた皇族だって、わが国にはいた。」
そう。わずか7つで女王としての責を負い、ロンドン塔で死した皇族。
エリザベス女王様はその女王を殺した姉女王を追いやって玉座についた。
なんて血で血を洗う、王国史。
学校では習わない、けれどきっとどこの貴族も綴っているだろう、その貴族だけが家に残す歴史。
「黒髪のとても綺麗な子でね。
その意味でも光っているよ。
とりわけクロヴィスは気に入っている。」
「・・・自分を追い落とすかもしれないのにですか?」
「楽しいんじゃないかな?
チェスに負け続けていてね。
あの子の方はどうにも論理的な思考に関してまだ精進が必要だな。
絵画や文学なんかがとりわけ好みなくせに数学が苦手というわけでは無いのだけが不思議だが。」
「ああ、数学は美しいですもんねえ。」
いかにも、美しい美術品などを好むという第三皇子なんかは、数学が芸術であることを理解しているのだろう。
美というものに関する感性は一級だと、専門家もすでにお墨付きをだしたとか、新聞の社交欄に載っていた。
「お前も同類か・・・。」
「はあ、しかしチェスで負け続けとは。
普通、諦めるでしょうに。
今って、シニアでらっしゃいましたっけ?」
彼は答えなかったので、勝手にハイスクールなんだなと判断する。
「・・・あの庭は美しかったからなあ。」
だからクロヴィスは愚かなんだ。と、彼は小さく呟いた。
ああ、彼は知っている。上のものが立つ場所は、下のものの上なんだと。
下のものに近づくことは、図らずも踏みにじり、足場にすることなんだと。
大事にしたければ、近づいてはならないのだと、傲慢なその理論を知っている。
「あなた、結構見所ありますねぇ。」
「・・・さすがに不敬罪に問いたくなる発言だな。」
肩を竦める仕草に、眉根が寄っている。
どうしようか、僕は本当に彼の学友になっているぞ、今。
「じゃあお見逃しください。ええとー、爵位の記念に。」
第二皇子は目を丸くした。
「この間、身内に不幸がありまして。
名に、ブリタニア、などという大層な名前がついているのだ。
つまり、僕の国。つまり、僕の国の皇族。
つまり、主観はあっちにとっての僕が学友であって、本来僕の立場で学友だなんて呼ばわったら即不敬罪で投獄で一族郎党路頭に迷っちゃうような、でもタダのヒト。
そのヒトが、最近ちょっとぼんやり気味だ。
こういう彼は初めて見るもんだけど、別に興味がそそられることでもないから放っておいた。
ただ、彼の周りをあからさまにおべっかのためだけに存在するような煩い小蝿が唸っていたので、まあ、親切心もちょっとだけ込めて(でも半分は迷惑してた僕のために)
「考え事してらっしゃるの、わかんないのかなあ~」
と呟いて退散させてみた。
それからたっぷり三分くらいは経ったと思う。
僕が論理式を20行も書いた頃に、ぽつりと声が落ちた。
「・・・ロイド・アズブルンド、だったか?」
「・・・・・まさか名前を思い出すのにそれだけ時間が掛かったわけじゃないですよね?」
顔を上げてみたけど、至高のお方は遠くを見つめたまんまだった。
本当、らしくないよなあ、と思う。
現皇帝の次男坊、というだけあって、他の誰よりも次代の椅子争いに参加を強いられている立場だ。
本心がどうであれ、長男サイドも次男サイドもとりあえずどんな時代だって椅子争いはさせられてきた。
国史を授業で紐解くまでもなく、下町の連中でさえ知ってる事実だ。
だから、結構この被学友のヒトも卒なく隙なく、僕からしたら、僕より胡散臭い。
世間の評価ってのは真逆らしいけど。
おかしいよねえ、僕ほど素直に生きてる人間もそうはいないってのに。
「弟のことを、考えていたんだ。」
「へえ。どの弟さんかな?」
「そのとりあえずの相槌は癖か?」
口調は静かで、緩やか、内容は怒り気味。
でも問題ないだろう、今、お互いは学生の身だ。
「講師だろうが誰だろうが、僕の人生の時間に声をかけてるんだから適当にすべきかどうかは僕が決めたいな。」
「そうか、御しがたいのだな。」
「反体制的ってわけじゃないんですけどね。」
「分かっている。興味が自分のもの以外に無いだけだろう。皇帝向きだ。」
それこそ皇帝向きかもしれない、全体をくまなく見ているのだろう発言で、ちょっと癇に障った。
「なにが仰りたいんですかね、殿下?」
「君が気に入ったという話だよ。」
「このところぼんやりしてると思ったら・・とうとうそこまで・・・」
僕だって分を弁えているつもりだ。
周囲の僕に対する評価は良く知っている。
だからはっきりとあきれた。
「ほら、僕がぼんやりしてるって、気付くのはそういないんだよ?
亡くなった乳母くらいだ。」
ふうん、と今度は少し深い意味の相槌をつく。
その、亡くなった乳母の話は憶えている。
単純な食べ合わせ。
それでも体内で死の調合が出来るものが世の中にはあって。
彼の乳母は、同じものを食べる習慣があったから、それを先に食べて命を懸けて彼を守った、という上々階級の噂。
「で、どうしたんですか、気付く僕も珍しいかもしれないですけど、ぼんやりしてる殿下も珍しいですよね。」
そう、はっきり言って異常事態だ。
何が原因かを突き止めないと、回りまわって火の粉がこっちまで来るかもしれない。
上に立つものとはそういうものだ。
貴族にとっては皇族が。
下々にとっては貴族が。
永遠普遍の法則だ。
「・・・弟がね、この間、父にアンタの遺産相続の権利なんか要るかって啖呵を切ったんだ。」
さすがに手が止まった。
何か、凄いことを聞いたぞ?と理性1が言って、何だっけ?と理性2が尋ね、知性1が「あれだろ、皇位継承権を放棄するって意味だろ?」という傍らで知性2が「まだレース会場も整ってない状態から出場辞退、ってことだよな?どういうことだ?」とわめく。
「・・・また、なんと申せば良いのか・・・。」
「君が率直な意見を言わないのは却って不敬な気分だな。」
「その場に居合わせたかったな。」
即座に本音が出る。
本当に本当に勿体無い。
遅かったのだと痛感した。
「余りにも愚かしくて笑えなかったけれど、そういう方法もあるんだな、と思った。
父から与えられるのではない、自らの道、というのが。
啓蒙された気分でね、このところ少し浮かれているんだ。」
くすり、と口角を上げる仕草は確かに浮かれているのだろう。
いつも見目麗しく秀でている彼の、どこかマイナーな気配が漂う、計算できていない表情だ。
「で、その弟さんは?」
訊いた意味はいろいろだ。
どの皇妃の?何番目の?弟さんのその後は?
けれどどの意味も正しくは受け取ってもらえなかったらしい。
彼はコミュニケーション能力に定評があるから、いつも問題があると判じられる僕の方が悪かったのだろうか。
いや、このヒトなら分かっていて無視しそう。
「そう、歳はいくつだったか、9つだったかな?
生半な大人よりよほど見込みのある子だよ。
すぐ下の弟より、光るかもしれない原石だ。」
「・・・って、すでにその歳で・・・いや、例が無いわけじゃないですね。」
「そうだね、7つで立派に女王を務めた皇族だって、わが国にはいた。」
そう。わずか7つで女王としての責を負い、ロンドン塔で死した皇族。
エリザベス女王様はその女王を殺した姉女王を追いやって玉座についた。
なんて血で血を洗う、王国史。
学校では習わない、けれどきっとどこの貴族も綴っているだろう、その貴族だけが家に残す歴史。
「黒髪のとても綺麗な子でね。
その意味でも光っているよ。
とりわけクロヴィスは気に入っている。」
「・・・自分を追い落とすかもしれないのにですか?」
「楽しいんじゃないかな?
チェスに負け続けていてね。
あの子の方はどうにも論理的な思考に関してまだ精進が必要だな。
絵画や文学なんかがとりわけ好みなくせに数学が苦手というわけでは無いのだけが不思議だが。」
「ああ、数学は美しいですもんねえ。」
いかにも、美しい美術品などを好むという第三皇子なんかは、数学が芸術であることを理解しているのだろう。
美というものに関する感性は一級だと、専門家もすでにお墨付きをだしたとか、新聞の社交欄に載っていた。
「お前も同類か・・・。」
「はあ、しかしチェスで負け続けとは。
普通、諦めるでしょうに。
今って、シニアでらっしゃいましたっけ?」
彼は答えなかったので、勝手にハイスクールなんだなと判断する。
「・・・あの庭は美しかったからなあ。」
だからクロヴィスは愚かなんだ。と、彼は小さく呟いた。
ああ、彼は知っている。上のものが立つ場所は、下のものの上なんだと。
下のものに近づくことは、図らずも踏みにじり、足場にすることなんだと。
大事にしたければ、近づいてはならないのだと、傲慢なその理論を知っている。
「あなた、結構見所ありますねぇ。」
「・・・さすがに不敬罪に問いたくなる発言だな。」
肩を竦める仕草に、眉根が寄っている。
どうしようか、僕は本当に彼の学友になっているぞ、今。
「じゃあお見逃しください。ええとー、爵位の記念に。」
第二皇子は目を丸くした。
「この間、身内に不幸がありまして。