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神月みさか
神月みさか
novelistID. 12163
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池袋の猛獣使いの話

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 帝人が生まれてこの方一度も入ったことのない種類の店舗は、帝人とはまったく異なる系統の客と店員ばかりで、入り口から一歩踏み入っただけでUターンして帰りたくなってしまった。
 そんな情けない行動を取らずに済んだのは、思わず振り返ってしまったときに真後ろに立っていた青年と目が合ったからだ。

 ファッションに気と金を惜しみなく使う若者にしか用のないブティックに、彼もまた相応しいとは言えない服装だった。高校の制服姿である帝人以上に、違和感のある格好だった。
 しかしそれでも帝人は彼の姿を見て勇気を貰った。
 そしてなんとかきらびやかな店内に入ることができたのだ。

「いらっしゃいま――」

 帝人達の姿に気付いた店員の声が途中で止まったのは、ふたりが彼らの店に相応しくない客だと判断したからではない。
 金もなければファッションセンスもないお仕着せの格好のふたりから興味が失せたからでもない。
 いや、確かにふたり連れの片方、後ろから入ってきた背の高い青年の格好を見て台詞を途切れさせたのだが、その理由は大きく違っていた。

 このブティックは、池袋にある店舗だった。
 そしてふたり連れの青年の方は、池袋事情に詳しい人間ならば知らない者のいない有名人だった。そういう理由だ。

 帝人は金髪のバーテンダー姿の青年を引き連れて、ずかずかと店内の奥へと進んだ。
 そしてその一角で目当ての物を見つけて足を止めた。

「あ、ありましたよ、静雄さん」
「これか?」
「はい。正臣に聞いたとおり、色んな種類が揃ってるお店ですね」
「――いや、でも、これ……」
「はい?」

 帝人は小首を傾げながら隣に並んだ静雄を振り仰いだ。
 静雄は微妙な表情で帝人を見下ろしていた。
 そんな表情をさせたくてこの店に連れてきた訳ではない。帝人は困ったように眉を下げた。

「さっき言ったとおり、僕からのプレゼントです。静雄さん、少し落ち込んでいるようでしたから……迷惑でしょうか?」
「あー、んなこと……いや、でもな……」

 静雄はなんとも言いがたい表情で言った。

「コイツ、どれも結構高ェぞ?」

 商品にぶら下がっている値札達には、小さなサイズに似合わない5桁の数字が打たれている。

 静雄が困惑気味になっている理由を知って、帝人は心配など要らないというようににっこりと笑った。
 物が気に入らないという訳でないのならば、値段など多少高くても構わなかった。入ったばかりのネットビジネスの収入を途中で寄ったコンビニで全額下ろしてきてある。

「そんなこと、気にしないで下さい。僕がしたくてすることですから。それに今月は潤ってるので、大丈夫です」
「でもよ――選んでくれたら、自分で買うってんでどうだ? それでいいだろ?」
「ダメです!」

 帝人はきっぱりと言い切った。

「私が買ってあげることに意味があるんです。ですから静雄さんはありがとうって受け取ってくれればいいんです」

 有無を言わせないその勢いに、静雄は喉の奥で呻くような声を上げて小さく頷いた。







 平和島静雄がキレて暴れる様は素晴らしく非日常な光景だったが、暴れること自体は池袋における日常だった。
 生来のキレやすい性質に加えて、数年前からイラつく人間を相手にせねばならない仕事に就いた為、暴れる頻度が激増しているのだ。
 当然、新宿の情報屋が絡めば暴れ方も激しく派手になる。
 そして今日も今日とて平和島静雄は、池袋の空に赤い自販機を舞い上げた。


 喧騒を人垣の外側から見物していた帝人だったが、騒ぎが収まると近くの公園へと足を向けた。
 そしてペットボトル入りの清涼飲料水を買うとベンチに腰掛けて休んでいた。

 肩を落としたバーテンダー姿の男が公園に現れたのは、それから20分程経ってからだった。
 ひと目で落ち込んでいるとわかる風情に、帝人は思わず大丈夫ですかと声を掛けてしまった。いつもは『こんにちは』か『お疲れさまです』だというのに、あまりの消沈ぶりについうっかり口が滑ってしまったのだ。

「竜ヶ峰、か」

 声を掛けたことでようやく帝人に気付いた静雄は、そのまま大股でベンチへと歩み寄ってきてどかりと座った。

「あー……クソ……」

 思わずという風に、ぼやきが漏れる。
 静雄は友人であるデュラハンに愚痴を零すことは多いが、8歳も年下の帝人に対してはそういったことは殆ど言わない。
 頼りにならないと思われているのか、それともそこまで親しいとは思われていないのか、帝人としては寂しい限りだ。
 この日もまた小さな呟き以外は漏らしてはくれなかった。

「――静雄さん」
「あん?」
「えっと――なにか飲み物でも買ってきましょうか? お疲れのようですし」
「あー……いや、いい。お前のそれ、ひと口寄越せ」

 静雄は帝人の持っているペットボトルを指差した。

「あ、はい、どうぞ」
「サンキュ」

 差し出せば礼と共に受け取って、キャップを開けてひと口飲んだ。

 帝人としては、飲み物を買ってくると言ったのは、席を外そうかという意味でもあったのだが、静雄には通じなかったようだ。
 平和島静雄という男は周囲の人間のことなどなにも考えていないようで、実際は紳士だというのが帝人の認識だ。
 帝人が傍にいるときには愚痴も零さないし、イラつきを表に出すこともあまりしないし、煙草を吸うことも控えてくれる。

(きっと公園まで休みに来たのに、一服もできないなんて、悪いよね。でも――他に席を外す言い訳なんて――まさか静雄さんが来た途端に帰ります、なんてまるで迷惑がっているような態度も取れないし……)

 帝人は空気の読める少年だったが、その場に合った適切な対応を苦労なく選べる程世慣れた人間ではまだなかった。
 むしろ対応はぎこちない部類に入る。好意を抱いているのにまだあまり親しくない相手の場合、テンパることも多い。

(静雄さん、暴力が嫌いなのに、今日も暴力を振るわされて、不機嫌になってるんだよね。でも――それ以上に自己嫌悪に陥っちゃってる。静雄さんが悪い訳じゃないと思うんだけど、きっと僕みたいな子供に言葉で慰められてもウザがられるだけだろうし――どうしたらいいんだろ)

 ベンチの隣で背もたれに体重を預けて空を仰いでいる青年の心情はこんなにもよくわかるというのに、ならばどうすれば一番彼の為になるのかがわからない。己の年齢の若さと経験の浅さが悔やまれる瞬間だ。

(静雄さんは悪くないって、どうやったら思って貰えるんだろ。静雄さんを怒らせたひとに責任が――ってのは誰に言われるまでもなく自己催眠みたいに繰り返し自分で自分に言い聞かせてる筈だし――ああ、ホントに僕なんかよりも煙草の一本の方がよっぽど今の静雄さんを落ち着かせる役に立つだろうに、でも気にしないで吸って下さいって言っても『子供が気ィ使うな』とか言わせちゃうだけだろうし……)

 ぐるぐると埒もない考えばかりが頭をまわる。

(ええい! もういいや!)

 池袋一キレると恐ろしい男が平和島静雄ならば、キレるとなにを仕出かすかわからないのが竜ヶ峰帝人という少年だ。
 そして、いざというときの行動力とその意外性でも群を抜いている。
作品名:池袋の猛獣使いの話 作家名:神月みさか