池袋の猛獣使いの話
目にも留まらぬ速さでメールを一本作成して送信すると、すくりと立ち上がって隣の男に声を掛けた。
「静雄さん」
「お? おお、美味かった。サンキューな」
「いえ、そんな飲み掛けじゃ申し訳ないですから、ちゃんとしたものを静雄さんに差し上げたいんです。これからちょっと、付き合っていただけませんか?」
「あ? 学生から奢って貰おうなんざ思ってねえ――」
「お願いします、静雄さん。私に付き合って下さい」
「お、おぉ……?」
何故か抗いがたい空気に押され、静雄は頷いてしまっていた。
折り返しすぐに届いたメールを見ながら件のブティックに案内される、直前の出来事だった。
飲み掛けのドリンクの代わりというようなことを言っていた為、喫茶店にでも連れて行かれるのかと思っていたら、そこは静雄が一度も入ったことのない類のブティックだった。意味がわからない。
混乱しながらも表情には出さずに少年の後を着いて歩くと、小物が並んでいるコーナーで足を止めた。
「あ、ありましたよ、静雄さん」
「これか?」
「はい。正臣に聞いたとおり、色んな種類が揃ってるお店ですね」
一分以内に知ってる店を返信しろと指示した割には、ちゃんとした店を教えてくれたみたいですと笑う帝人の表情は嬉しそうだった。
しかし静雄は笑う気にはなれなかった。
「――いや、でも、これ……」
「はい?」
帝人は静雄を見上げたまま可愛らしく小首を傾げた。
本当に、可愛い。まるで小動物のようだ。
きっとここに並んでいる商品は、帝人のような子の方が似合うだろう。
いやそれ以上に、こんな子供にこんなものを奢ってもらう訳にはいかない。なにしろ静雄が想像していた金額よりも2桁多い。
「さっき言ったとおり、僕からのプレゼントです。静雄さん、少し落ち込んでいるようでしたから……迷惑でしょうか?」
「あー、んなこと……いや、でもな……コイツ、どれも結構高ェぞ?」
「そんなこと、気にしないで下さい。僕がしたくてすることですから。それに今月は潤ってるので、大丈夫です」
「でもよ――選んでくれたら、自分で買うってんでどうだ? それでいいだろ?」
「ダメです!」
帝人は有無を言わせぬ勢いで宣言した。
「私が買ってあげることに意味があるんです。ですから静雄さんはありがとうって受け取ってくれればいいんです」
竜ヶ峰帝人は普段は大人しいくらいの平凡な少年だというのに、時々逆らえない空気を発することがある。
この店に来ることを決めたとき然り、今然りだ。
それ以上拒絶できなくなってしまった静雄は、上機嫌で品物を選んでいる帝人を見守ることしかできない。
「静雄さんはいつも黒い服を着ていますし、黒とか赤とかのはっきりした色のがいいでしょうかねぇ。でも、いつも綺麗に髪を金色に染めてますから、こっちの明るい緑も似合いますよね。――困りますね、静雄さん、格好いいからどれもこれも似合いそうで。デザインも、こういう細くて綺麗な物もいいですし、太くて金属の飾りの一杯着いたゴツイのも合いますし。――ああ、やっぱり良く似合いますね。こっちも。――迷います。格好いいひとはなんでも似合うからこそ、一番いい物を選ぼうとすると返って迷ってしまいます」
商品をあれこれ手にとっては、見比べてみたり静雄に押し当ててみたりしながらうんうん唸っている。
普通ならばこういうときは店員がさり気なく近づいてきて、大して似合いもしないものを大げさに褒め称えながら購入を勧めてくるものだと思うのだが、皆遠巻きに眺めているだけで声を掛けてくることはない。静雄を知る地元の店では、近年は常にこうだ。
ひとりでは決めかねている帝人の為に、店員が助けにならないならば、静雄が自分の意見を言ってやればいいのかも知れないが、静雄もこういうものにはひどく疎い。
それに真剣に選んでいる今の帝人には、妙に声を掛けづらいものがある。
帝人はひとりで悶々と悩み続けていたが、ふと何かに気付いたように顔を上げた。
「――わかりました」
そう言うと、帝人は目の前に並べていた静雄に似合いそうな製品をすべて棚に戻して、今まで手を伸ばしていなかった一点を取り上げた。
「静雄さんにどれが一番似合うかではなくて、どれが一番私らしいかで決めれば早いんです」
帝人が選び取ったそれは、余計な装飾の殆ど着いていないシンプルなデザインの物だった。
色は透明感のある白だ。
決まってしまうと後は早かった。
静雄が止める間もなくさっさと会計を済ませてしまうと、贈り物ですかとの確認に着けて帰りますので包装は不要ですと答えて品物を手に入れてしまった。
それから静雄を振り返るとにっこりと笑って言い放った。
「じゃあ静雄さん、着けてあげますので少し屈んで下さい」
「あぁ?」
帝人の台詞に、店員達が皆引いた。ちなみに客はふたり以外には誰もいない。
しかし予想に反して、静雄はキレることもなく穏やかな表情のまま小柄な少年を見下ろすのみだった。
「いやでもな、竜ヶ峰。やっぱりよ――」
「もうお金は払ってしまったんですから、静雄さんが受け取ってくれなければ無駄になってしまいます」
「ああ――」
少し言い合いはしたがそれは険悪なものではまるでなく、空気はむしろ柔らかい。
やがて押された形になった静雄が申し訳なさそうに腰を折って頭を下げた。
「――なんか、悪ィな……つーか、メシ奢ってやるな。これからしばらくずっとできるだけ毎日」
「気にしないで下さい。単なる僕の勝手な思いつきでしたことですから。――はい、できました。どうですか?」
帝人が静雄の首元から手を離すと、静雄は設置されている鏡を覗き込んだ。
「――どうって言われてもなぁ――こーゆーのは着けたことがねえからよくわかんねえが、似合うか?」
「どうでしょうね? 僕もファッションとかアクセサリーとかにはまったく詳しくないですし、センスもまるでないので、よく――苦しくはないですか?」
「ああ、キツくはねえ。詳しくねえのは俺も同じだし、センスもねえからなぁ。――けどよ、オマエはそれでよくこんなモンひとに贈る気になったよな?」
「あはは。似合うかどうかはあまり問題ではなかったので」
帝人は満面の笑顔で不適切な発言をしてから、更にとんでもない爆弾を投下した。
「唯、静雄さんに首輪を着けたかっただけですから」
店員達はこの瞬間、彼らの職場が壊滅するのを覚悟した。
しかし彼らの予想を裏切って、池袋の自動喧嘩人形がキレることはなかった。
唯、首に着けられた白く輝く真新しい首輪を指先に引っ掛けて軽く引っ張りながら、不思議そうに小首を傾げて見せただけだ。
「? こんなモン俺に着けて、なんか楽しいのか?」
「楽しくはありませんよ。カッコイイとは思いますけど」
「けどよ、似合うかどうかはどーでもいいんだろ? なにがしてぇんだ?」
本気で意味がわからないというように、静雄は首を傾げている。
当然だろう。いつもお金に苦労している苦学生が大枚をはたいてするような意味がこの贈り物のどこにあるのか、まったくわからないに違いない。