トリカゴ 2
津軽はこのところずっと機嫌が悪い。新曲も上々に売り上げも認知も伸びているし、人気も不動たるものを築き上げていた。だが、それでも納得できていない、今ひとつ手ごたえを感じていない。それは自分に歌えと課せられる歌に原因があった。
どれも大衆が好みそうな曲調で、歌いやすくも深くもなる津軽の歌。しかし、手を抜くことなく歌い上げるも自分が歌いたいのはこんな歌じゃないと常々思えてしまうのだ。それを表立って文句言おうにも、歌えることに感謝しているのがあって中々いえないが、マネージャーの新羅は気づいてくれている節がある。いつか「本当に歌いたい歌」に会うまで、待ってくれないかな、というニュアンスの言葉も言われている。わかっていても、これまでの歌で自分という存在が安く見られやしないだろうかという焦りが苛立ちになってしまっていた。
そんな事を打ち合わせする会議室で新羅を待っていれば、やたら浮き足立つ新羅が待たせていることを詫びながら現れた。
「ごめんね津軽。実はさ、この前新曲出したばかりなんだけど、また次の曲を歌わないかい?」
二週間と空けずに次ぎの歌とは、とそれには津軽も驚いた。そんなに早く次が決まってもいいのだろうかということと、新しい曲、という期待感と一抹の不安。またどうしようもない、売れ線だけの軽い歌なのかと恐々差し出された譜面を手にした。
だが、珍しく歌詞がない。音だけの譜面とは珍しいと重いながらじっと目を落とし、譜面の音を頭の中で取っていく。隣で神妙な顔で津軽を窺う新羅の存在が、意識から遠ざかって音だけの世界が広がる。
旋律を追えば追うほど、これまで見てきた歌には感じなかった感情が湧きあがる。音に引き込まれる、歌詞こそなけれどこの歌を自分が歌えると思えば酷くしっくりと、ぴたりと型にはめ込まれたかのような。自分が漠然と描いていた理想の歌に近い、そんな高揚感。
「これ・・・どうしたんだ」
まるで津軽の声に合わせて、ましてや歌う癖を見抜くような旋律に、驚きを隠せないまま新羅に譜面をひらつかせる。こんなに自分を見抜いてくれる作曲者なんて、居ないと諦めていたのに。
ぎこちない表情に、喜びや高揚感を垣間見せる津軽に、新羅はその様子から一息置いて、あえて笑って見せる。その表情が一転するだろうと覚悟を決めて。
「・・・それね、ある歌手が君にって作ってくれたんだよ。君の歌と声にほれ込んで、是非歌ってくれないかって。歌詞は勝手に書いていいそうだ。・・・サイケが」
声を落として呟かれた最後の名前で、やはり津軽の表情が一転する。ぴしりと凍りついた表情は酷く複雑そうだ。
「・・・なんであいつが。サイケって、あいつだろ?お前、俺があいつを嫌ってるって知ってるじゃねえか」
「そう、そのサイケだよ。だけどいい歌だろう?君の癖や個性を見事に見抜いてくれている。これは誰のでもない、君だけの歌だ。サイケは君の事をアーティストとして凄く尊敬していて、是非とこれを提供してくれた。君にとっては気に食わない奴だろうけど、折角この歌を提供してくれたんだ。わだかまりは捨てて歌ってみないかい?」
ただサイケが嫌いだからといって、つき返すには酷く惜しい曲だ。歌わないと意地を張れば、この曲を二度と手にすることはなくなる。それでサイケが傷つくことには何ら思いもしないが、歌詞を乗せて歌ってみたいと、苛立ちとは逆にうずうずする気持ちが大きくなっていく。
「プライドだとかわだかまりだとか、名作の前じゃ無意味だろう?歌いなよ。歌って君が本当はこんな歌を歌いたかったと世間に見せるいい機会じゃないか。あいつの・・・サイケのことはその後で考えるといい」
打ち合わせはそれだけだよ、と新羅はさっさと席を立ち、津軽を残して部屋を去ってしまった。もしかしたら譜面を捨ててしまうんじゃないかと危惧していたが、ここは津軽に任せようとした。つまらない意地でぐるぐると悩み、それでも彼は歌うだろうとわかっていても、これでサイケに対する不快感が一層深まるんじゃないかと残念で仕方がない。
折角同じ立場、同じ存在、唯一お互いのその心奥まで理解しあえるはずだというのに、すれ違い、相成れない。
「・・・サイケと仲良くなってくれたら、あいつだって、・・・なあ」
昔、無邪気に笑ってくれていた幼い笑顔が霞んで消える。いつからあの笑顔が消えてしまったのだろう、どうして大人たちの言うことを鵜呑みにして彼と会うのを辞めてしまったのだろう。悔やむ過去、そして津軽に縋り贖罪を頼もうとしてしまう。一番の卑怯者は、僕じゃないかと新羅は悔しげに笑い、津軽の返事を離れて待った。
そして、異例のコラボで成された津軽の新曲が決まったのは三日後のことだった。