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トリカゴ 2

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 開くことのない窓に、柔らかな生地で作られた白いカーテンが僅かに震える。高い位置にあるこの部屋に吹き付ける風が、時折窓を揺らしているからだ。だが、その部屋にいる人間は少しも気にすることはなかったし、窓が音を出して震えるほど強かろうと、その窓の下でどんな世界が広がってようと、興味はなかった。むしろその世界から除外されている立場に安堵を覚える程。
 うとうととまどろんでいたソファーから身を起こすも、部屋には一切の音は存在しない。テレビやパソコン、ラジオなど、音を出す機器が揃っているにしても、そして彼が始終大きなヘッドフォンとipodを身に着けていようと音を発することはない。

 だが、この頃、気がついたらあまり電源を入れないipodを作動させ、繰り返し一つの歌に耳を傾けるようになった。先日初めてまともに聞いたとあるアーティストの歌。むしろ、歌というよりその声に耳を傾けていた。旋律で彩られる言葉というより、音を象る歌声の力強さとその真っ直ぐさ。これまで聞いたどの音や声とは全く違う、鮮烈な印象。波江の声でさえ、時々聞くのも怖いというのに、その歌声なら、むしろその声ならいつまでも聴いていたくなる。
 生まれてこの方感じたことのない衝動と感情に、戸惑い、しかし何かせずにはいられないまま曲を作ってしまった。受け止めてくれたことだけでもいいと思っていたのに、それを歌う声を聞きたいとどんどん欲は膨らんだ。そうして創作意欲以外で望むことは初めてで、発売日や発表日がいつになるだろうと昇り沈む太陽を眺めて待った。
日付も季節も、サイケには感じ取れていない。常に空調が一定で保たれているし、高みから見下ろす街並みもそう変わらないからだ。ただ、波江の服装を見て、厚着をしている時は空の色が濃いし、薄着のときは太陽が近くなるなと思えるだけだ。
 波江が厚着をする頃、眼下では色とりどりのイルミネーションが綺麗だと思えてもきたが、それがどんな意味を持つのかも、そう理解できてない。

 ソファーから身を起こし、ぼんやりと辺りを見渡して時計を探す。ポケットにねじ込んでいたipodを取り出して時間を見ればそろそろ波江が来る頃だろうか。あまり多くをしゃべろうとしない彼女、常に無愛想で冷たい気はするが、彼女が作る料理は好きだ。だからこそここに来ることにそう拒絶しなくなったのもある。波江が来るまでは、出来合いの配達ディナーが主だったためか、なんだか味気なく、冷たい気がして嫌いでもあった。味覚的にはおいしくとも、サイケには何だか食べるに辛い食事でもあった。いかに高級であろうと、栄養を考えてあろうとだ。
 こんなところに押し込められ、人との関わりを断とうとしたサイケに、手料理の暖かさを不本意ながら教えた波江。そんな些細な事が、サイケの自我がまだ紙一重で保たれている要因でもあった。
 今日は何を作ってくれるんだろうと、サイケなりにわくわくしつつ、ソファーに再度寝転んでipodを操作してまた再生を押す。いつもと同じ、延々と繰り返される曲。他にも歌う曲はあるだろうが、今はまだこれだけでいいと、目を閉ざして歌の世界に浸る。

 旋律で溢れる世界は、とても鮮やかな色彩で彩られるとサイケは思える。彼の、津軽の声はそのどんな色であれ彼の色にあっという間に染めて変幻自在に操るような、とても奥の深い力強さを感じる。ただ一つ残念なのは、奇麗事の言葉と音で、彼の声の良さが充分生かされていないこの曲だろう。何かがたりないと思えたからこそ彼に曲を作れた。目を閉ざした闇の中、脳裏に浮かぶのは真っ白な空間に流れ込む色。曲で押さえつけられて遠慮がちに流れ込む津軽の声の色は、眩くて、色んな色を見せる。だが、それは、どんな色かはっきりとしないという不思議な印象もある。
 これだけ素晴らしい声をしてるのだから、勿体無いと、二度三度繰り返して曲を聴いていると、玄関が静かに開かれる気配がした。

「・・・あら、起きてたの。ちょうど良かったわ」

 いつものように、静かに現れた波江とはたりと目が合う。食材を入れた袋とバッグをキッチンカウンターに置くと、その中から何かを取り出していく。また仕事かな、とぞんざいな心持ちでソファーに寝転がり、繰り返される歌の再生時間をぼんやりと眺めていた。その時に、すっと視界を遮ったのは同じ機体のipod。同じ色、同じタイプに差し出された意味がわからず、きょとんと波江を見返すと、波江がにこりともせず電源を入れた。

「・・・今日、津軽のレコーディングだったそうよ。一番いいテイクをこれに落としたからチェックしてくれって」

 機体に入れられているのは2曲。波江の手からするりとサイケの手に滑るよう渡され、そのままヘッドフォンのプラグを差し込んでいく。再生を促す操作に指が震える。自分が作った曲、なのに歌っているのがあの人なのかと思えば再生を押してもいいものかと戸惑ってしまう。怖いような、まだ楽しみをとっておきたいような。
 それでも早く聞きたいという焦りから、細い指は震えながらそのボタンを押す。

 インストのアレンジが利いたギターとベース音は確かな技術を持つメンバーのお陰で、イメージよりずっと力強くも繊細に出来上がっている。ほっとしつつも数小節の前奏の間、来るタイミングまで殆ど息をせずに待ち構えてしまっていた。
 寝転んだ姿勢なのにそのipodを握り締めている手に力が篭る。イメージしていた曲、そして、それに合わさる声。

 心の中でリズムをとっていた。Aメロに入る前からipodを指で軽く叩くように拍子を取って。そして、短い息づきが聞こえて。
 低く響く、声。そして歌。
ロックでもない、しかしエモでもポップでもない、津軽らしい歌をと考えた結果、メロコアに近い曲調になっていた。しっとりと力強さを損なわず、低音で歌い上げる箇所は響くように、高音は突き抜けるような叫びにも近くその世界を創り出す。

 そうだ、これが、彼だ。

 何者にも屈しない強さを感じるのに、どこか繊細に音を愛する彼の一面が見え隠れするような、初めて彼の声を聞いた時から感じていた孤高な印象。それを表現したいばかりに創り出した旋律が彼の歌でより完全な音に変えられている。
 真っ白な世界が蒼い色で染められる。深くも浅くも、鮮やかに。冷たい近寄り難い暗い蒼でも、その冷たさに慣れてしまえばじわりと温められていくような心地よさ。たった4分が何と短くて、幸せな時間であったろうか。

 これまで感じたことのない達成感と高揚感に、サイケは呆然と再生を終えたipodを眺めて座り込んでいた。胸が高鳴って苦しい、彼が描いた通りの歌を歌うことがどうなるかなんて少しも思いつかなかった。まさか、こんなに感情をかき乱されるなんて。
 しかしそれは決して嫌なものじゃない。胸の奥に淡い傷跡を残すよう、強く引っかかれたような、押し付けられたような。
 どれほど座り込んでいたのかわからないが、波江が呆けているサイケに声をかけようかちらちらと窺ってしばらく。サイケは思い立ったように立ち上がると、作曲と収録の機材を揃えている部屋へ走りこむよう飛び込んでいった。
作品名:トリカゴ 2 作家名:ヨモギ