確信犯
猛雨と言ってもいい。豪雨と言っても過言ではない。いっそ土砂降り、いやハリケーン。暴風警報につき住民の皆様を地域の避難場所へと速やかに誘導せよという指示すら出したくなるこの状況。
いや、そうではない。確かに外は大雨だ。夕方ころからぽつりぽつりと降り出した雨は滂沱と流れ、帰途を急ぐ人々を容赦なく濡らしていく。だが、そうではないのだ。暴風警報につき警戒せよと告げるのは外などではなく中なのだ。私の心の中には今まさに、雨が嵐が吹き荒んでいる。
目の前に立っているのは雨に濡れて、全身水浸しのエドワード・エルリック。「いきなり降って来やがってさ、あ、ほら、オレは宿まで走ろうとか思ったんだけど。なんかアンタの部屋の明かりついてたから雨宿りさせてもらおーってな」
そういいながら彼は、今、私の家の玄関先で盛大に服を脱いでいる。
トレードマークのような赤のコート。黒のボレロ。タンクトップにズボンまで。止める間もなくひょいひょいと脱ぎ棄てて、あっという間に下着一枚になった。惜しげもなくさらされる白い肌。視線をそらすために脱ぎ捨てられた服を一枚一枚拾っていく。
「鋼のっ!こんなところで服など脱ぐな!!」
顰め面を無理やり作り、視線はそらしたままで私は床から拾い上げた衣服をずいとエドワードの目の前に差し出した。
「だってさ、こんなずぶ濡れのままアンタん家、入っていくわけにはいかねーだろ?」
とりあえずシャワー貸せ、というエドワードに「それは構わんが……」と言いかけて……言いかけて…言いかけた口がぱかりと空いた。
私が差し出した衣服の上に、追加とばかりにひょいと乗せられたのは。……凝視をしなくともわかる。彼が一瞬前までは身につけていた最後の一枚。それを乗せたかと思うと、そのまま文字通り一糸纏わぬ姿で、彼はバスルームの方へと歩いていったのだ。
硬直している私に、可愛らしい尻など向けて。すたすたと歩き、ドアの前でくるりとこちらへ向き直る。
「あ、それ。すまねえけどそれ、どっかに干しておいてくれねえか?」
頼むからこちらを振り向くな、見えてしまうだろう……などど叫ぶ心をよそに、私の瞳はしっかりと凝視する。
どこを?とは聞かないでほしい。私も健全な大人の男なのだから。
いや、これは不健全と言うべきなのだろうか?
とりあえず、長年の軍隊生活の中で自然と培ったポーカーフェイスに感謝したい。心の中ではブリザードが荒れ狂ってはいるがそれを顔に出すことはない。だた、エドワードの服だの下着だのを手にしたまま、硬直するのくらいは許容していただきたい。
エドワードは裸身であることをほんの少しも気にかけないで「ほんじゃ、温まってくんなー」とバスルームの中へと消えていく。
シャワーの水音が聞こえだしたところで一安心……とはいかんのだ。頼むから暫し待ってほしい。
今見たばかりの映像が何度も何度も脳内で再生される。
白い肌、項。背中から腰にかけてのライン。機械鎧の手術の後。足の先、手、そして……。彼の裸身が何度も何度も浮かび上がっては私の理性を破壊する。
ちょっと待て、ロイ・マスタング。いいから少し落ち着かないか。
とりあえず、手にした衣服を何とかするのが先決だとハンガーに通し干していく。丁寧に広げて、付いてしまった皺は軽く叩いてそれから干して。うむ、単純な作業というのは思考を冷静にできるものだ。すべての衣類を干し終えたころには動揺した心も落ち着いた。よし、これで大丈夫だ。ではそうだな……。風呂あがりは喉が渇くだろうから何か飲み物でも用意してやろうではないか、と、キッチンを目指して足を一歩踏み出したところで。
「なー、大佐ー。バスタオルどこにあんだー?」
ガチャリと開けられたバスルームのドア。
そこに立っていたのはシャワーを浴びて、そのままの姿のエドワード。
「そそそそそこの棚の中にあるだろうっ!!」
濡れた髪から零れ落ちる雫に蛍光灯の光が反射する。バスルームの蒸気を纏ってほこほことピンク色に染まった肌が柔らかく映って。
……どもるくらいは許されると思う。せめて腰にタオルくらい巻きつけてからあがってきてほしかった。
これはあれか?試練なのか?精神忍耐力耐久テストなのだろうか?……いいや、拷問と言っても過言ではない。
「あー、発見」
棚から一枚だけタオルを取り出し、エドワードは豪快にがっしがっしと髪の毛を拭き出した。拭きながら、「あー、風呂場ん中あっちいぜー」とかなんとかぶつぶつ言ってそのままリビングの方へとやってくる。
……見えて、しまうのだが。その……むき出しのままの下半身が。
想い人の、一糸纏わぬ風呂あがりの姿。せっけんの香りまでがほのかに漂い、私の鼻腔をくすぐって。
……待て、落ち着けロイ・マスタング。
脳内で勝手に進行するピンク色の妄想を現実に実行してしまえばそれは言い訳などできるはずのない立派な犯罪と化してしまう。だから、落ち着け。男同士で裸体を見たところでなんとも思わんのが普通だ。だから、エドワードが警戒をしないのも至極当然なのだ。それを見て動揺する私の方がオカシイのだ。……ああ、当然わかっているとも。エドワードには罪はない。雨に濡れたからシャワーを浴びて、温まったから出て来て。そう、男なら普通の行為だ。風呂上りにはある程度身体が冷えるまで下着すら穿かずにそのままという男は多い。下着一枚でそのまま過ごすという男は多分統計を取ったわけではないから正確なところは言えないが大半がそうなのではないかと思われる。
だが、鋼の。君がその男らしい一糸纏わぬ恰好で過ごすのは止めにしてくれないかな?
そのままでいれば私の理性が決壊するのも、君の身に危険が及ぶのもすぐ先にある未来ということになってしまうのではないかと思われるのだが。
私の懸念などには無関係にエドワードはがっしがっしと髪を拭き続ける。ある程度水分が飛んだのか、そのタオルを彼は自分の肩にだけ掛けて。
「なー、大佐。なんか着るもん貸してー」
とことことこと、足取りも軽やかにエドワードは私の方へとやってくる。
だから待てと言っているのだ。頼むから近寄るな。
「大佐?」
目を見開いて硬直していた私に、エドワードは可愛らしく首なんかを傾げてきて。
「なー、なんか着る物……」
上目遣いで私を見上げてきたりなんかして……。
「そ、そこに私のシャツがあるから!!それから寝室のクローゼットの中にならいくらでも着るものくらいはあるから!好きに選びなさい!!」
ぜいぜいはあはあと、荒い呼吸を無理やりに整えてみる。そうだ理性だ理性!人間であるのなら感情も欲望も理性的にコントロールするべきだ。決して一時の劣情に身を任せ、全てを台無しにするべきではないのだ。
視線を何とか逸らす。拳をぎゅっと握って、歯も食いしばって耐えてみる。
けれど、私の努力をあざ笑うかのように試練はまだまだまだまだ続いていた。私のシャツをはおったエドワードが「大佐のシャツ、意外とでけえのな。ほら、腕がこんなに余ってる」
などとシャツのボタンを留めないまま、羽織っただけのエドワードがひらひらと腕を振ってきて。しかもその上「オレだってすぐにこのくらいにはでっかくなるんだからな~」と笑顔なんかもふりまいて……。