この手が届いたら
陽気な幽霊
幽霊。
普通自分を指さして明るく脳天気に「俺は幽霊だよ!」なんて言う奴がどこに居る。いや、ここにいるのか。そりゃ帝人は他に幽霊と呼ばれるものを見たことがないからわからないけれども、普通そういう存在って言うのは、世の中に未練があるから成仏できないとか、なんかそんな感じで、負のオーラをまとっているものだと思っていた。
だというのに。
「帝人君高校生男子なんだよね?荷物これだけってどうなのさ」
呆れたように溜息をつく「幽霊」こと臨也が、帝人のボストンバックを覗き込んでそんなことを言った。いやそんなこと言われても。
「一応、あとでまた宅急便届きますよ。パソコンと炊飯器だけですけど」
「冷蔵庫それさあ、リサイクルショップでかったやつでしょ?保証とか無いのに安いからってそういうとこで中古品買うと、結局後悔するの自分だかんね」
「なんかやけに実感こもってますね・・・」
「俺は帝人君のために言ってるの」
うろうろうろうろと歩きまわる黒尽くめの男、名前は折原臨也。パッと見普通の人間にしか見えないというのに、決して触れない上、壁を抜けてみせたりすることから、幽霊であるという彼の言葉を疑うすべはない。
だがしかし。
「あの、幽霊だってことは認めるとして、それで、臨也さんはどうしてここに?」
帝人が一番気になるのはそれなのだが。
「さあ、よくわかんないんだけどさ。なんか色々記憶ボロボロ抜けてて」
衣類等を適当に押入れストッカーに詰め込めば、あとはろくにすることもない。ガスの立会いとインターネットの開通工事は明日なので、もとから今日は早めに休むつもりだった。その、開いた時間を少し、彼に使うのもいいだろう。帝人がそう思って話を切り出せば、臨也は待ってましたとばかりに身を乗り出す。
「俺は新宿を拠点にして、情報屋やってたんだよ」
「情報屋・・・?」
「裏の世界の情報を拾ったり売ったりする仕事。だから俺が死んだって言うんなら、それが原因で間違いないんだけどさ」
ちょっとまて、それは一介の高校生にさらっと言ってもいいことなのか。
疑問に思いつつも、本人が気にしないのならまあ、いいかと言葉を飲み込む。そんな帝人の葛藤をよそに、臨也はぺらぺらと話し続ける。
「なんかすっごい長い間眠ってたような気がしてさあ、気づいたらここにいたんだよね。外に出たりもしてみたんだけど、誰も俺のこと見えないし俺の声聞こえないみたいだし。それでも俺は人間が好きで、愛してるから、人間と話せないのはつまらなくて辛いんだ。一応、生前使ってた事務所とか、覚えている場所には一通りいってみたんだけど、どこも引き払った後みたいで何もないし知り合いの中には俺が見える人間はいないし、もうどうすりゃいいんだって感じで」
「は・・・はあ」
「それでも夜になるとここに帰ってきちゃうんだよね、何かを待ってるみたいにさ。もしかして俺ここで死んだのかな?」
「ひっ・・・怖い事言わないでくださいよ!」
人殺しがあった部屋なのだとしたら、この賃貸料が激安なのも頷けるような気がして鳥肌がたつ。帝人のそんな心底嫌そうな態度に、臨也はカラカラと笑った。
「やだなあ冗談だよ」
「ほ、本当に冗談なんでしょうね?」
「大丈夫だって、ほら、畳も壁もぼろぼろだろ?殺人があった部屋って借り手がつかないから、普通は綺麗に改装するもんだよ。ここはそれをやってないから違うって」
臨也は笑いながら、それに、どうせ死体が出てきたとしてもそれは俺だよ?中身のない器なんか怖く無いだろ、と笑う。そういう問題じゃない、と言いたいのを我慢して、帝人は息を飲み込んだ。なんかもう疲れる。
「その、記憶喪失って、いうのは?」
「それだよ!俺は基本的なことは全部覚えてるんだ。家族とか腐れ縁の友人とか、そういうのは完璧。でも、ここ一年位の記憶がさ、全部が無いわけじゃないんだけど、こう、ごそっと何カ所か抜け落ちてるんだよ」
凄く気持ちが悪いんだよね、と臨也は言う。
「ここ一年っていうか、生前の、死んだ時を基準として一年なんだろうけど。何か大事なことを調べてたような気がするんだけど、それがなんなのか思い出せない。何かから逃げていたような気もするんだけど、どうして逃げていたのかわからない。本当に、ごっそりと記憶がないんだ」
だから俺が成仏できないのってさ、その、抜けた部分の記憶のせいだと思うんだよね、と臨也は言う。この時ばかりは真剣な顔をするので、嘘はついていないんだろうなと、帝人はその整った顔を見つめながら思った。
普通に出会っていたならば、変な人だし、極力関わらないのが利口なのだろうけれど、こうして身の上話など聞いてみると、悪霊とは思えない。それに彼は自分に触れないのだから、悪事を働くこともなさそうだ。
だったら、少し位親切にしてあげるべきではなかろうかと、帝人は考える。何しろ帝人は幽霊を見たことなど今まで一度もないし、一度、存在するなら見てみたいと思っていたのだ。その願いを叶えてくれた非日常的存在に、ほんの少し、構うくらいは。
「えっと、事情は、大体把握しましたけど・・・」
さて、なんといってあげるべきだろうか。
しばらく置いてあげてもいいですよ?構ってあげましょうか?それとも、もう少し下手に出て、僕は幽霊に興味があるのでいてください?それも本音といえば本音なので、迷う。そんなことを考えている帝人に、臨也はあのさ、と声をかけてくる。
「君が考えていることを当ててあげようか?」
そうしてニヤリと笑って、
「どうやってこの厄介な男を追いだそうかって思ってるだろ?」
なんて言うものだから、帝人は驚いてしまった。いや、そんなことは欠片も思っていない。むしろいてくれていいんですよ非日常!
「まあねえ、俺が君の立場だったら即刻霊能力者とか呼ばれるのを招集するね。そんで、とにかくとっとと悪霊退散、出てけって強制的にやるさ。それでしばらくお札なんか持ち歩いたりなんかして、霊能力的なことをいくつか試すかな。だって自分の家に自分以外の気配があるって、うざったいでしょ」
「え、そ、そうでしょうか?僕田舎から出てきたばっかりなので、むしろありがたいですけど」
「え、なにそれ予想外。君路上の野良猫拾っちゃうタイプ?」
「いえ、そもそも猫が捨てられてることに気づかないタイプです」
帝人の例えに、臨也はへえ、と眉を吊り上げて意地悪そうな笑顔を見せた。
「つまり、鈍いんだ?」
断言するように言って、楽しそうにクスクスと声をたてる。
「関心しないなあ帝人君!君のような純朴な外見をしているとさあ、色々と損だよ、この都会では。何しろ沢山の人が集まってるんだから、当然悪人の割合だって高いよね。駅を普通に歩いているだけでだって、手相の勉強をしているから見せてください、なんて声をかけられて、どっかに連れ込まれて高い壺とか買わされるのが池袋だよ?君、いかにも騙しやすそうだもんなあ、実に良くない!」