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この手が届いたら

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「みっかどくーん」
という間延びした声とともに、自分の心臓のあたりから青年男性の手がにょきっと生えた。
「ひっ・・・!」
大声を上げる寸前で声を飲み込み、帝人は慌てて振り返る。案の定、黒尽くめの臨也が食えない笑顔でニヤニヤと笑っていた。
「何やってるんですか、小学生みたいに・・・!」
「そう、俺精神年齢低いからー、好きな子の気をひきたくて仕方ないの、あきらめて?」
「冗談・・・っ」
当たり前のように会話をしてから、思わず口をつぐんで辺りを見渡す。特に帝人に注目している人間はいなかったが、よく考えてみれば幽霊と会話なんかしていたら傍から見れば大きな独り言じゃないか。危ない人だと思われてしまう。
「・・・で、どうしたんですか、こんなところで」
大きく息を吐き、小声で問う帝人に、臨也は食えない笑顔のまま「帝人君にお願いがあるんだけど」と言う。
「お願い?」
「そう、昨日さ、なんかほんの少しおぼろげに思い出したんだよね、こっちついてきて」
言われるまま、帝人は黒コートについて歩き出した。はじめは帰路に沿って歩いていたはずが、細い路地を折れ、帝人が踏み入れたことの無いような寂しい裏通りをすいすいと進んでいく。こんな道は相当池袋に詳しくなければ知らないんじゃないかと、帝人が半分びくびくしながら歩を進めていると、前を行く臨也がぴたりと足を止めた。
「ここ」
「え?」
指差されたのは、コインロッカーとシンプルな看板が出ているだけの、プレハブ小屋みたいな場所だった。恐る恐る覗き込めば中は無人で、ただ一列のコインロッカーだけが並んでいる。
「ここは・・・?」
「うん、俺がほぼ自分のために用意したんだけどね。中入って」
言いながら、臨也が自分だけ先にさっさと中に入るので、帝人は躊躇いがちに追いかけた。ごく普通のコインロッカー、のように見える。暗証番号を打ち込んであけるタイプのものらしい。でもこんな人通りの無いところに設置しても、預ける人など居ないだろうに。
「これ」
臨也はそんなコインロッカーの、一番奥から二番目の列、上から三番目のロッカーを指差した。
「・・・あけるんですか?」
「うん、帝人君ハンカチ持ってるよね。出して指紋つかないようにボタン押すとき間において」
「あ、はい」
言われたとおりにハンカチを取り出し、指のほうに巻きつけた。帝人の準備ができたのを確認してから、臨也が口を開く。
「7、2、2、1、4、#、5」
言われたとおりにしっかりとボタンを押せば、ロッカーはあっさりと音を立てて鍵が開いた。
「あれ?」
「ん、どうかした?」
「・・・いえ。今の文字列・・・なんか覚えがあるような気がしたんですけど」
気のせいだと思います。そう言って帝人が慎重にフタをあければ、中には紙袋が一つ入っている。どうしますか、と視線で臨也に問いかけたなら、当然だとでも言うように臨也が告げた。
「取って。そしたら帰ろう」
「・・・はい」
今更ながら、帝人はこの荷物が何かとてつもないものなんじゃないか、ということに思い当たって背中につめたい汗が滑り落ちるのを感じた。だって、指紋をつけるななんて、普通じゃない。
「・・・臨也さん、あの」
「いいから、あとで。ついでに、入口の指紋拭いて」
「は、はい」
ぎくしゃくしながら言われたとおりにした帝人の作業が終わるのを待って、臨也はまたこっち、と手招きをして歩き出す。あとに付いて2つ、角を曲がれば、そこはすでに見慣れた池袋の大通りだった。
「え?あ、あれ?こんなところに出るんですか?」
魔法でも使われたような気分になって、帝人は目を見開く。それに苦笑して、臨也は帝人と細い路地の間に立った。
「今回は俺がいたからいいけど、普段は絶対に、路地裏なんかいっちゃだめだよ。厄介なのがいたりするからね、その筋の人とか」
おおげさに声を潜めてそんなことを言われると、実際にそんな目にあったわけでもないのに冷や汗が飛び出す。知らない路地には入らない、と帝人は心に書き留めた。
「さ、帰ろう。帝人君の家についたら中身見ようね」
「そういえば、これ、何なんです?」
「さあ。覚えてない」
やっぱりあっさりと首をかしげて、臨也が答える。コインロッカーに何かを入れたことは思い出したけれど、何を入れたかは全く覚えていないのだそうだ。帝人は紙袋を少し振ってみたが、あまり重くはないし、なんとなく布っぽいな、と思った。とにかくここからなら家まではそう遠くないので、早く帰ろうと足を早めた、その時だ。


「おい、お前」


不意にそんな、低い声が響いて帝人はぴたりと足を止めた。
自分に言われたような気がしたのだが、周囲を見回してみても知り合いらしき人間は誰もいない。気のせいだろうか、と再び歩き出そうとしたその時。
「お前だ、お前」
がしっと。
肩に手を置かれて、帝人は飛び上がる。
「うわっ、え?あの、僕ですか?」
振り返れば、そこにいたのはやけに長身の、サングラスをかけてバーテンダーの格好をした男の人。え、何この人知らない。誰?
こんなインパクト強い人、知り合いだったら絶対に忘れないはずだ。首をかしげて、帝人は尋ねた。
「あの、どなたですか?僕に何か・・・?」
きょとんと首をかしげたその姿があまりに無防備に見えたのだろう。バーテン姿の男は一瞬怯んだような表情をして、手を放し、あー、と唸った。
「お前、くせえんだよ」
「は?」
何を言われるかと思えば予想外な言葉が飛び出してた。
臭い?
え、そんなまさか。
帝人は思わず制服の裾を嗅いでみたりしたけれど、特に臭がするということはない。昨日ちゃんとお風呂だって入ったし、香水みたいなものも付けていないから、臭いはずがないのに・・・とぐるぐる考えている帝人に、そういう意味じゃねえ、と低い声が再び言う。
「違う、お前から・・・ノミ蟲の匂いがする」
「は?ノミ?」
ますます意味が分からない、それはどういうことだ?自分はノミなんか飼ってないし、いくらあの家が古いといえども、ノミが大量繁殖するようなこともなかったはず・・・。
目を見開いた帝人の視界が遮られたのはその時だ。帝人とその男との間に、臨也が割り込んで立っている。
え、ちょっとなにしてんの、臨也さん?
そんなところに立たれたら会話の邪魔だ、と思っても、帝人に背を向けた格好で立っているので、ジェスチャーで追い払うこともできない。そうこうしている間に、あー、ど低音での唸り声がもう一度響く。
バーテン姿の男が、何か言葉を探しているように口をもごもごさせる。そんな男に向かって、臨也が一言吠えた。


「久しぶりに不愉快な顔見ちゃったなあシズちゃん。その怪物並みの嗅覚さあ、ほんとどうにかなんないの?死ねよ」


ゾクリ、とした。
それは、未だかつて帝人が聞いたことのない類の臨也の声。心底機嫌の悪そうな、温度など欠片も感じない絶対零度の冷たさで。思わず顔をこわばらせた帝人を、バーテン姿の男が軽く睨む。そしてその手が、紙袋を握っていた帝人の右手に伸びた。
「それだ、その紙袋が、臭え」
「え?」
とっさに手を遮ろうと左腕でガードをしたら、その左腕をつかまれた。大きな手のひらは力が強く、払いのけようとしてもびくともしない。
「え?あ、あの!」
作品名:この手が届いたら 作家名:夏野