春の目覚め ・1
「暗殺計画に関与した疑いが掛けられている。申し開きはあるかね?」
「関わってはいないと言ったところで、端から聞き入れる気は無いのだろう、お前たちは」
「…では、事実を認めると解釈させて頂く」
「実に残念だ。始めはこそはあなたに賛同したが、今となっては嫌悪と失望以外に無い」
「……」
「止めろ! 止めさせろ!」
「お気になさらずに、我が国」
「なにを馬鹿なことを…っ」
「では、元帥。ご自分で飲まれますか? 我々が手伝い―――」
「自分で頂くよ」
「元帥! やめろっ…!」
「ドイツよ永遠なれ!」
そう、男は敬礼した。執務用のデスクを挟んだ正面に立つドイツに向かって。両の腕を掴まれ取り押さえられるドイツへと向かって。
小瓶に入った液体を一気に呷った軍服姿の男が、苦鳴を澪しながら倒れ込んだ。
激しい痙攣を起こし、そして、すぐに動かなくなる。
ドイツは上司の後ろで、身動きが取れないまま、ただ、その姿を見つめ続けるしかなかった。
「静かだな」
「ああ、静か過ぎて気持ち悪ぃ」
至る所が焼け落ち、崩れ落ちた街を歩きながら、ドイツとプロイセンはぽつりぽつりと言葉を交わしていた。
足を止め、プロイセンは焦げた地上とは裏腹に青く晴れ渡った空を仰ぎ見る。
「いずれ、ロシアが来るな。…いや、ロシアとベラルーシか」
「こんな焼けた街にか…」
「焼かれても、この首都はまだ陥落してない。落ちない限りは攻めてくるさ」
「……まだ住民が残っているだろう。避難させられるだろうか」
「どこに避難させたものかね」
「………」
かつて家屋だったと思われる瓦礫。崩れた壁。
街がひどく灰色に見えた。
じゃり、とブーツが炭化した何を踏みつける。ドイツは足を止め、踏んだ何かを確かめた。
「―――、」
「まともに爆撃を食らったか…」
言葉を失うドイツの代わりにプロイセンが呟く。
炭化したものの内部が微かに白い。カルシウムの白さ。
「―――……」
手袋を嵌めたままの右手で、ドイツは顔を覆った。
無言でプロイセンはドイツの頭をわしゃわしゃと撫でまくる。いつもなら「やめろ」とか「離せ」とか言うものだが、今は何も言わずにされるがままだ。
「国といいながら、何を守れると言うんだ…」
呻くような声で呟かれる言葉。プロイセンは無言のままに再び空を見上げた。
春の到来を感じさせる、澄んだ青さ。血なまぐさい地上とは掛け離れた、生命の息吹を見守る優しい青がそこにはある。
「…クソッ」
視線を足下に移し、靴先で瓦礫の欠片を蹴飛ばす。
プロイセンは、今この地を離れることに異様なまでの焦りを感じていた。迷走する上司たちの思惑。現状の凄惨さに心を痛め憔悴しきっている弟。
戦況は考えるまでもなく、すでに敗北が目に見えていた。最前線で戦ってきた軍人たちは、随分と早い段階から敗北を感じていたのだ。しかし、引き際がどれほど重要か、今の上司は最後まで理解を示さないままだった。
クーデターを起こされて尚、引くという決断は有り得ないとした上司たち。
首都ベルリンの爆撃の報を聞き、それまでいた東部戦線を残りの将軍たちに任せて急ぎベルリンに戻ってきたのがつい先日。
そのまま可能な限り最後までここに、弟の傍らに居座ろうと画策してきたのだが上司やその側近たちの意見は違うらしかった。
「ちくしょう。やっと東部戦線から戻ったってのにあのクソ上司め、隙あらば俺をベルリンから引き離そうとしやがる」
なんとか居残れないかと交渉を繰り返してきた。しかし、上司たちは首を横に振るばかりだった。とにかく、数日前にベルリン同様に大爆撃を受けた彼の地へ行ってくれ、現地での指揮と報告をしてくれと、そうを繰り返すばかりだった。
現状視察なんか適当な奴を見繕って行かせろ、と言うのだが、この状況下で隠密に動けるのはプロイセンくらいだと言い張って聞かなかった。
「何が隠密にだ。今更、隠密もクソもねぇだろうが。単に俺をベルリンからヴェストの側から引き離す口実じゃねぇかよ」
忌々しげに吐き捨てる。
国というのは、結局はただの歴史の体現者であり、ただ見届けるだけの存在なのだと、今更に痛感する。自分たちは何の権限も持ってはいないのだ。決めるのは全て上司となった人間と、国民の総意。
国はそれに従うのみ。助言、対案を出すなどをすることはあれ、決定事項に拒否など有り得ない。
「くそ…。何を考えてやがるんだ、あのクソチョビヒゲめ」
ドイツの側を離れるならば、代わりに誰かをドイツの側に置いておきい。それほどに焦りの感情は激しかった。
「ザクセンは動けねぇ。バイエルンは南部戦線で足止めを食らったまま…か」
あまりにも、内部がバラバラだった。バラバラ過ぎる。
「まとまりが無ぇにも程があるってんだよ…」
苛立ちを隠そうともしない口調で呻く。
「……兄さん。どうか、気を付けて行ってくれ」
「気を付けんのはお前だよ、ヴェスト」
「…俺は、大丈夫だろう」
悲しげな眼差しのまま言葉を発するドイツの頭を、プロイセンはポンポンと叩く。
「ドレスデンの様子を見たらすぐに戻るからな」
「そんなに心配してもらうほど、俺も子供じゃないぞ」
「分かってぇよ。別に子供扱いしたいわけじゃねぇ。ただな、上司どもの動きがどうにも気に入らねぇ」
「……また上司、か。…分かった、気を付けておく」
何をどう妥協したのか、そうドイツは答える。
「はぁ…。なんだかんだ言ってお前は流されやすいとこあるからなぁ。そこを付け込まれにゃいいが…」
「やはり子供扱いしているじゃないか」
「心配なんだよ、お兄ちゃんは!」
「何が、お兄ちゃん、だ」
「ヴェスト」
「なんだ?」
「あの上司には、本気で気を付けろ。絶対に隙を見せるな」
「………」
「俺たちの敵は内部にもいることを肝に銘じておけ」
いつになく生真面目な物言いに、ドイツはプロイセンの顔をまじまじと見つめてしまった。
「お前は大国ドイツだということを忘れんじゃねぇよ。上司の為に国は存在してんじゃねぇ。民の思いと総意で国という概念が生まれんだ。迷う時は、国民を思え。お前の中の声に従え。国民というのは意外としぶといもんなんだよ。国民さえ残っていれば国は存在し続ける」
どうしたんだ、いきなりそんな真面目なことを言い出して。そんな言葉が頭を過ぎるが、口に出すことは出来なかった。プロイセンは本気だ。本気で上司を見限り始めている。いや、すでに遙か以前から見限っていたのかも知れない。
「俺は、お前さえ無事なら良いんだよ。ぶっちゃけてしまえば、上司がどうなってようが知ったこっちゃねぇ」
「兄さん!」
どこに誰のスパイがいるかも分からない状況下。不用意な言動は身の破滅を招きかねない。
「兄さん、思っても口に出すな」
「お前はな。お前は気を付けろ」
「俺なんかよりも、兄さんが―――」
「ヴェスト、何があっても生き残れ」
「…何を、そんな」
「嫌な予感が治まらねぇんだよ。しかも、こういう予感は高確率で当たってくれる」
「………」
困惑しきった様子で立ち尽くすドイツの頭を、プロイセンはもう一度くしゃりと撫でてやった。
「関わってはいないと言ったところで、端から聞き入れる気は無いのだろう、お前たちは」
「…では、事実を認めると解釈させて頂く」
「実に残念だ。始めはこそはあなたに賛同したが、今となっては嫌悪と失望以外に無い」
「……」
「止めろ! 止めさせろ!」
「お気になさらずに、我が国」
「なにを馬鹿なことを…っ」
「では、元帥。ご自分で飲まれますか? 我々が手伝い―――」
「自分で頂くよ」
「元帥! やめろっ…!」
「ドイツよ永遠なれ!」
そう、男は敬礼した。執務用のデスクを挟んだ正面に立つドイツに向かって。両の腕を掴まれ取り押さえられるドイツへと向かって。
小瓶に入った液体を一気に呷った軍服姿の男が、苦鳴を澪しながら倒れ込んだ。
激しい痙攣を起こし、そして、すぐに動かなくなる。
ドイツは上司の後ろで、身動きが取れないまま、ただ、その姿を見つめ続けるしかなかった。
「静かだな」
「ああ、静か過ぎて気持ち悪ぃ」
至る所が焼け落ち、崩れ落ちた街を歩きながら、ドイツとプロイセンはぽつりぽつりと言葉を交わしていた。
足を止め、プロイセンは焦げた地上とは裏腹に青く晴れ渡った空を仰ぎ見る。
「いずれ、ロシアが来るな。…いや、ロシアとベラルーシか」
「こんな焼けた街にか…」
「焼かれても、この首都はまだ陥落してない。落ちない限りは攻めてくるさ」
「……まだ住民が残っているだろう。避難させられるだろうか」
「どこに避難させたものかね」
「………」
かつて家屋だったと思われる瓦礫。崩れた壁。
街がひどく灰色に見えた。
じゃり、とブーツが炭化した何を踏みつける。ドイツは足を止め、踏んだ何かを確かめた。
「―――、」
「まともに爆撃を食らったか…」
言葉を失うドイツの代わりにプロイセンが呟く。
炭化したものの内部が微かに白い。カルシウムの白さ。
「―――……」
手袋を嵌めたままの右手で、ドイツは顔を覆った。
無言でプロイセンはドイツの頭をわしゃわしゃと撫でまくる。いつもなら「やめろ」とか「離せ」とか言うものだが、今は何も言わずにされるがままだ。
「国といいながら、何を守れると言うんだ…」
呻くような声で呟かれる言葉。プロイセンは無言のままに再び空を見上げた。
春の到来を感じさせる、澄んだ青さ。血なまぐさい地上とは掛け離れた、生命の息吹を見守る優しい青がそこにはある。
「…クソッ」
視線を足下に移し、靴先で瓦礫の欠片を蹴飛ばす。
プロイセンは、今この地を離れることに異様なまでの焦りを感じていた。迷走する上司たちの思惑。現状の凄惨さに心を痛め憔悴しきっている弟。
戦況は考えるまでもなく、すでに敗北が目に見えていた。最前線で戦ってきた軍人たちは、随分と早い段階から敗北を感じていたのだ。しかし、引き際がどれほど重要か、今の上司は最後まで理解を示さないままだった。
クーデターを起こされて尚、引くという決断は有り得ないとした上司たち。
首都ベルリンの爆撃の報を聞き、それまでいた東部戦線を残りの将軍たちに任せて急ぎベルリンに戻ってきたのがつい先日。
そのまま可能な限り最後までここに、弟の傍らに居座ろうと画策してきたのだが上司やその側近たちの意見は違うらしかった。
「ちくしょう。やっと東部戦線から戻ったってのにあのクソ上司め、隙あらば俺をベルリンから引き離そうとしやがる」
なんとか居残れないかと交渉を繰り返してきた。しかし、上司たちは首を横に振るばかりだった。とにかく、数日前にベルリン同様に大爆撃を受けた彼の地へ行ってくれ、現地での指揮と報告をしてくれと、そうを繰り返すばかりだった。
現状視察なんか適当な奴を見繕って行かせろ、と言うのだが、この状況下で隠密に動けるのはプロイセンくらいだと言い張って聞かなかった。
「何が隠密にだ。今更、隠密もクソもねぇだろうが。単に俺をベルリンからヴェストの側から引き離す口実じゃねぇかよ」
忌々しげに吐き捨てる。
国というのは、結局はただの歴史の体現者であり、ただ見届けるだけの存在なのだと、今更に痛感する。自分たちは何の権限も持ってはいないのだ。決めるのは全て上司となった人間と、国民の総意。
国はそれに従うのみ。助言、対案を出すなどをすることはあれ、決定事項に拒否など有り得ない。
「くそ…。何を考えてやがるんだ、あのクソチョビヒゲめ」
ドイツの側を離れるならば、代わりに誰かをドイツの側に置いておきい。それほどに焦りの感情は激しかった。
「ザクセンは動けねぇ。バイエルンは南部戦線で足止めを食らったまま…か」
あまりにも、内部がバラバラだった。バラバラ過ぎる。
「まとまりが無ぇにも程があるってんだよ…」
苛立ちを隠そうともしない口調で呻く。
「……兄さん。どうか、気を付けて行ってくれ」
「気を付けんのはお前だよ、ヴェスト」
「…俺は、大丈夫だろう」
悲しげな眼差しのまま言葉を発するドイツの頭を、プロイセンはポンポンと叩く。
「ドレスデンの様子を見たらすぐに戻るからな」
「そんなに心配してもらうほど、俺も子供じゃないぞ」
「分かってぇよ。別に子供扱いしたいわけじゃねぇ。ただな、上司どもの動きがどうにも気に入らねぇ」
「……また上司、か。…分かった、気を付けておく」
何をどう妥協したのか、そうドイツは答える。
「はぁ…。なんだかんだ言ってお前は流されやすいとこあるからなぁ。そこを付け込まれにゃいいが…」
「やはり子供扱いしているじゃないか」
「心配なんだよ、お兄ちゃんは!」
「何が、お兄ちゃん、だ」
「ヴェスト」
「なんだ?」
「あの上司には、本気で気を付けろ。絶対に隙を見せるな」
「………」
「俺たちの敵は内部にもいることを肝に銘じておけ」
いつになく生真面目な物言いに、ドイツはプロイセンの顔をまじまじと見つめてしまった。
「お前は大国ドイツだということを忘れんじゃねぇよ。上司の為に国は存在してんじゃねぇ。民の思いと総意で国という概念が生まれんだ。迷う時は、国民を思え。お前の中の声に従え。国民というのは意外としぶといもんなんだよ。国民さえ残っていれば国は存在し続ける」
どうしたんだ、いきなりそんな真面目なことを言い出して。そんな言葉が頭を過ぎるが、口に出すことは出来なかった。プロイセンは本気だ。本気で上司を見限り始めている。いや、すでに遙か以前から見限っていたのかも知れない。
「俺は、お前さえ無事なら良いんだよ。ぶっちゃけてしまえば、上司がどうなってようが知ったこっちゃねぇ」
「兄さん!」
どこに誰のスパイがいるかも分からない状況下。不用意な言動は身の破滅を招きかねない。
「兄さん、思っても口に出すな」
「お前はな。お前は気を付けろ」
「俺なんかよりも、兄さんが―――」
「ヴェスト、何があっても生き残れ」
「…何を、そんな」
「嫌な予感が治まらねぇんだよ。しかも、こういう予感は高確率で当たってくれる」
「………」
困惑しきった様子で立ち尽くすドイツの頭を、プロイセンはもう一度くしゃりと撫でてやった。