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ありえねぇ !! 4話目 前編

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ありえねぇ!! 4話目 1





《トムさん、おはようございます♪》
「トムさん、おはよっす」

「あー、ミカドちゃんに静雄、おはよ」

事務所に出社すると、いつも陽気なトムが珍しくどんよりと暗い。

「なんすか? 今日はえらく渋い顔ですね?」
「ああ最低。二週間くらい前からさ、俺達が執拗に追い込みかけてたエロ教師がいただろ?」
「あー、誰だっけ?」

物覚えが抜群に悪い後輩に、トムはいつものように諦め半分に溜息をつく。

「……テレクラで五十万使い込んだ来良だべ。これを見てみろ、あいつ死にやがった」
「はい?」
「これで未回収処理決定、社長にまーた、嫌味言われちまう……」

五十万とは確かに痛い穴だ。
けれど教師?
そういや、すっかり忘れていたが、粟楠会の闇金から金を借りただけの分際で、『俺にはヤクザのバックがついている』なんて言って、自分達から踏み倒そうとしたアホが、確かに居た。

(……粟楠会? ……来良学園の教師?……)

嫌な予感がした。

昨日、新羅の電話で聞いた名前はなんていったっけ?
「確か『ナスにタカ』」
1月2日の初夢で見たがるのと、思いっきり被るめでてぇ奴だ。

トムが読んでいた新聞を慌てて開き、記事を探す。
この手のは大抵、三面記事に有る筈だ。
静雄の目論見通り、紙面の左片隅、僅か四センチ×四センチぐらいしかないたった数行に、目的のものがあった。

【○月×日の深夜 来良学園の臨時教師【那須島隆志】(25)さんが、高架から飛び降り、『回送列車に撥ねられ死亡』した。同教師は同学校の女子生徒に、セクハラで訴えられており、解雇が決まっていた。警察は将来を悲観しての自殺と断定】

三月は学期末。時期的に教師の移動や採用や昇進や左遷の人事が色々飛ぶ頃。
警察は自殺と断定しているが、どう見ても保険金をかけられた上、粟楠会に始末されたと見ていい。

つくづく教師は世の職に比べ、神聖視されていると思う。
こんなテレクラに金をつぎ込み、ヤクザが運営している闇金に手を出し、返済不能に陥って高飛びを決め込んだ馬鹿だとしても、ささやかだが新聞記事になるのだから。

「あー、俺って本当に人名覚えられねえよなぁ」
確か帝人の事も、暫く『竜ヶ崎』と呼んでいた気がする。
《何ですか?》

気がつけば、帝人が目をキラッキラさせ、ふよふよと静雄の真横に浮きつつ、彼が手にしている新聞を、一生懸命覗き込もうと頑張っている。

《来良って、私が通っていた学校ですよね? 何かあったんですか?

「あー、竜ヶ峰?」
新聞を閉じてソファーに放り捨て、ふわふわ浮いていた彼を、ちょいちょい呼び寄せる。
上目遣いで小首を傾げつつ、警戒心の欠片も無く近寄ってくる彼を捕まえると、くるりと顔面を己の胸に押し当てた。

《何!! 何?》
「ここから先は、教育に悪ぃんだよ!!」
黒手袋を嵌めた手で、すっぽり彼の耳の穴を、人差し指で勢い良く塞ぐ。
 

《あだだだだだ!? 私、………鼓膜、破れるぅぅぅぅぅぅぅ!!》
「うるせぇ、静かにしてろ!! 幽霊なら平気だろ」
「静雄、お前に悪気が全く無いのは判ってるが、無理だべ。可哀想な真似をするなよ、な?」


トムが慌てて黒手袋をはめ、若干顔を引きつらせながら、本気でもがいて暴れる帝人の首を、やんわりと取り上げた。
「その代わり、ごめんね♪ 静雄が怒っちゃうからさ、大人の話が終わるまで、外でちょっと遊んで来てね♪」
ここは三階だというのに、窓の外に放り出す。
《みぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!》


どっちが可哀想だか。
半泣きだった首は、悲鳴を延々と上げつつフェイドアウト……、急降下していってしまう。
意外だった。
目も点になった。
彼なら空を風船のように、ふわふわと長閑に漂い、鳥と戯れるかと思っていたし。
どうやら帝人は、気合を入れてないと浮けないらしい。


地面と景気良く顔面キスしたであろう、哀れな生首を窓から見降ろした後、生唾を飲み込み自分を振り返った上司の顔は、蝋人形のように真っ白に変わっていた。
「今すぐ拾ってくるからさ、怒らないでくれ、な?」
静雄はゆうるりと首を横に振った。
今頃、泣き虫な彼の事だから、えぐえぐすすり泣いている筈。

「……竜ヶ峰はあれでも男です……。急いで回収に行けば、きっと恥をかかせてしまうっす……」
「……そ、そうだよな……」

正直、やったのが悪気無かったトム以外なら、今頃帝人と同じように、三階の窓から景気良く放り投げていただろうが。
兎に角、これで帝人が泣き止むまで時間ができたのだ。

「トムさん。正直な話、この【那須島】が女連れて逃げていた場合、粟楠会ならどうしますかね?」

闇金融会社から、金を踏み倒して逃げた事事態は、よくある話であまり問題ではない。
ただあの馬鹿は、自分達を含めた他の一般会社の取立人相手に「俺のバックには粟楠会がついている!!」と公言し、組の名前を散々利用し、まんまと逃げおおせた。
それが一番重要なのだ。

彼らは面子を何より大切にする。
世間が暴力団を恐れるのは、彼らが暴力的だからではない。

粟楠会の看板や名前、それに構成員が胸につけている代紋、それを見て世間が恐れてくれるのは、現在刑務所や病院、または死んで墓に入ってしまった幾多の組員が、長い年月かけて築き上げた歴史そのものがあるからだ。
なのに、血と汗と涙と金と命を多々使い、仲間が本当に命がけで守った大切な名前を、軽々しく勝手に使われ、権威を振りかざし放題されて。

男の命を取ったぐらいで、納まるとも思えない。

「そりゃ、男に散々面倒かけさせられ、コケにされた訳だしな。見せしめに、最低な猟奇物かゲテモノ系のアダルトAVに出演させ、社会的に抹殺。その後組運営の風俗店に沈められて、客が取れねぇ年になるまで、本番専門のソープ嬢かデリヘル嬢だろ。で、逃げりゃあ折檻され、最終的に海外へ売り飛ばしか臓器売買…かな? 薬使われねー分まだクリーンだけど、ヤクザはヤクザだしよ。幹部の誰かの情婦になれりゃあいいけど、そんな組にとって最低の前科者はまず無理だべ。一生終わったな」

「その娘が高校一年生でもですか?」
「……お前の知人か?……」
「顔見知り程度っす。ただ竜ヶ峰がここ一年、ずっと片思いしていた女らしく、一緒にクラス委員してた優等生なんっすけど」
「何でそんな真面目っ娘が、那須島なんぞと?」
「同意か強制かは知らねーっすけど、十日以上前から【駆け落ち】したって」
「うわっ、最悪」


《……静雄さぁん……、トムさぁん、……私を……仲間外れにしないで……、くださぁい……》


開いた窓の外では、暖かい春の陽だまりの中、三階の窓までよじ登ろうと、ぽむぽむと壁を跳ね、頑張る生首がいる。
【好奇心は猫も殺すと】言うけれど、この子の場合、人一倍凄いかも知れない。

のどかで頑張れと声援を送りたくなるような光景だが、根性を見せた首は、もう二階を越えている。
ここに到達するまで、もう僅かな時間しかないだろう。
話が済んでいない二人の顔色が、ますます青くなる。


「そりゃぁ、記憶が無いっつっても、ショックだべ」
「うすっ」