ようかいもの(仮)
「僕は、竜ヶ峰帝人といいます」
竜ヶ峰。それは名のるまでもなく解りきったこと。自分を使役し、あまつさえ封じた一族。
刻み付けられたその血は匂いでわかる。そのことを知らぬわけでもないだろうに、目の前の小さな少年はわざわざその氏と名を名のった。
まさか、自らの口で真名を告げる意味をも知らぬわけはないだろうが。
「舐めてください」
懐から取り出した小刀で自らの親指の先を微かに傷つけて、子供は指先を差し出しながら静雄にそう求めた。
ぷくりと浮いた紅い血の玉。抗えぬ飢えに喉がこくりと鳴る。
それでもすぐにそれに舌先を伸ばさなかったのは、ちっぽけな矜持のためだ。
もう二度と、屈してなるものかと。
心を寄せ、信じて、力を貸し―――そして裏切られた。
同じ轍を踏むつもりは、もう二度とない。
「……困りましたね」
さして困ってもいないような口調で、子供は小さく呟いて、零れ落ちそうになった自らの血をぺろりと舐めた。
噎せ返るような甘い血の匂いが少しだけ薄れる。
そのことに、静雄は内心ほっと息をついたのだが。
「……?!」
小さな両の手で頬を挟まれてぐいと顔を引き寄せられる。近づいてくる子供の唇からちろりと覗く紅い舌に気を取られて、抵抗することを忘れた。
躊躇いなく口付けてきたこどもの唇は柔らかく。差し出された舌に導かれるまま侵入した口内は鉄錆の味がした。血の混じった唾液はひどくあまく感じられて、抗えぬまま嚥下すれば。唇を離したこどもが安堵したようにほうと息をついた。
「私は今から、あなたを解放します」
依然鼻先が掠めそうな距離のまま。黒い瞳が静雄を覗き込む。
「ただひとつだけ、願いを叶えてくれればいい。対価は私の全てです」
一切が終わった後ならば、好きにしてくれて構わない。命でも何でも、持ちうるもの全てをかけると。事も無げにこどもは言う。見た目とは不釣合いな大人びた口調で。嘘のない、真っ直ぐな瞳を向けて。
「だからどうか―――是とこたえてください」
お願いです。続いた声は泣きそうに聞こえた。凍えていたはずの心が、どうにも揺り動かされる。
何十年と封じられていた恨み言だとか。『竜ヶ峰』の血族には詰りたいことが山ほどあった筈なのに。口から零れた言葉は以前からの決め事のように、ただ一つだった。
「―――承知した」
望みをかなえたあかつきには、お前のすべてを貰いうけよう。そう呟いて、獣はわらった。