ようかいもの(仮)
「やっぱり……足りないなぁ」
布団に入ってから、枕元に広げた家計簿を月明かりを頼りにぼんやりと見つめていると、横合いから「まだ寝ねぇのか?」と声が掛けられた。
「もう寝ますよ」
狭い部屋の中に、二つ並べられた布団。すぐ手に届く距離の隣の寝床から伸ばされたおおきな手が帝人の髪をかきまわす。
「寝不足だと大きくなれねーぞ」
「…そうですね」
やっぱり身体が大きいほうがいいのかな。そのほうが食べがいがあるのかな? 少しだけ、訊ねてみたいと思ったけれど、結局口には出さずに胸のうちにとどめるのみとする。
「おやすみなさい」
瞳をとじると、こうべに乗せられた手のひらが優しく髪を撫で付けて、綺麗な低音がおやすみ、と帝人の耳朶を震わせた。
帝人の望みはもう既に叶っている。…いや、叶ったも同然、というべきか。
家という名のあの檻から出て、幼馴染である紀田正臣と、園原杏里と同じ学校に通うこと。ささやか過ぎる少年の願いは、静雄と共に竜ヶ峰の家を出たことでもう半分以上は叶えられているのだ。
一年くらい無事に通えればそれでいいですよ。そう告げれば、卒業まで待つとこたえてくれた。一年も三年も変わらないだろうと、そう付け加えて。
契約以上のものを与えてくれるこのひとに、自分は何が返せるのだろう? 卒業までに、せめてもう少し縦にも横にも身体を大きくしておけばいいだろうか?―――食べられる、そのときまでに。
力のある術者の血肉はあやかしにとって極上の食餌であるらしいので、美味しく食べてもらえたらいいなあ、と。そんなふうに思う。
そして、その先のことを考える。
食べられた後のことを。自らが、静雄の血肉になってからのことを考える。ひとつになってずっと一緒にいられるのだ、そう思えば怖いことなど何ひとつない。ただ、心配なのはその後の静雄のことだ。
(山一つって、幾ら位で買えるんだろう…?)
やっぱりまだまだ足りないよね。効果的なお金の増やし方…やっぱり株とか投資とかかな?
考えながらうとうとと瞳をとじる。自分が居なくなったあとのこと。彼はその名のとおり、静かな場所が好きだから。住まいにするなら池袋のような街中よりも、自然に囲まれた森閑とした場所のほうがいいだろう。
定期的に食餌をあたえることも出来なくなってしまうから、清浄な気に溢れた土地がいい。こんなことで、先祖が彼にした行いの、償いになるのかはわからないけれど。閉じ込められた時間を取り戻すように、永久に静かに、幸せに暮らしていってくれたら……。
(そうすれば―――)
ずっと一緒ですね。むにゃむにゃと呟いて、眠りの淵に意識を沈める。
隣の布団から聞こえてきた規則正しい寝息の音に、知らず詰めていた息をゆっくりと吐き出す。暗闇にも遮られることのない静雄の瞳は、枕に沈む黒いこうべをはっきりと映すことができた。
帝人が静雄にお金を貯めている理由を告げていないように。静雄も帝人に言っていない、秘密にしていることがある。
すべてを貰い受ける。それは嘘ではないのだが、最初にそう告げた時と、今ではだいぶ意味合いが異なっているのだ。
帝人は頭からばりばりと食べられるつもりでいるようだけれども―――
「…こんな細せぇんじゃ、抱き潰しちまいそうだからな」
あと二年と少し。永いときを生きる静雄からしてみれば、瞬きほどの短い時間でしかないけれど。成長期である…はずの少年の身体が出来上がるには十分だろう。
帝人が高校を卒業したら、静雄は彼を伴侶として迎え入れるつもりだ。人が人でないものと、情を交わして交わればその身は人でないものと同じになる。生け贄に代表される、異類婚というのは元来そういうたぐいのものだ。
はやく大きくなれよと呟いて。静雄もまた瞳を閉じる。ほんとうのことを告げるのはまだもう少し先にしようと、そう思いながら。