レイヴンとユーリ(TOV)
「上手な嘘のつき方を教えてあげようか」
呟いたのは気紛れである。レイヴンはおそらく飽いていた。道行きはあまりにも順調だった。たまに魔物に出くわすことがあっても、並の魔物であれば難なく退けることができる。油断さえしなければこれといって危険もない旅だった。裏返せばひどく退屈な道のりだ。
その日、次の街まではあと半日も歩けば着くだろうという頃に、ユーリはここで野営を張ると言い渡した。既に日は西の端に沈みかけている。夜通し歩きつめれば辿りつけぬ距離ではないが、なにぶん年端もいかぬ子どもらを抱えての旅路だ、無理をすればかえって危ないのだと彼は心得ている。おそらくユーリひとりであれば、あるいは同行者が彼の相棒か、自分だけであれば、夜道を踏破したであろう。皮肉屋を気取るくせに、ユーリ・ローウェルという青年は弱い者に対して無条件にやさしい。口の悪さに反して面倒見が良い性質のようだった。一度懐に入れた相手に対しては存外甘いのだろう、とレイヴンは分析している。
夜の色をした長い髪を後ろで括って、器用にじゃがいもの皮を剥いていたユーリは訝しむように視線を寄越した。その間にもナイフを握る手は休めることなく、瞬く間にするりと剥かれた皮が落ちる。
「喋ってないで手を動かせよ、おっさん」
「コツさえ掴めば簡単なのよ。これと一緒で」
レイヴンの手にも大振りのナイフが握られている。本来は料理のための刃物ではないので使いやすいとは言い難いが、扱いさえ慣れてしまえば野菜を刻むのも肉を切るのも容易だった。
「……コツねえ」
呆れたようなため息を混ぜた相槌に、レイヴンは口の端を持ち上げた。
素っ気ないように見えてユーリは意外に付き合いが良い。
「そ、簡単な話だけどね。嘘つく時には半分くらい本当のことを混ぜればいいのよ」
それはレイヴンがこの十年ほどの間に学んだ数少ない真理である。いかに信じがたい話であろうとそこにもっともらしい真実がひとつ見え隠れした途端に、誰もが驚くほどたやすくそれを信じてしまう。疑うよりは信じる方がずっと楽だからだ。
秘伝のレシピの隠し味を教えるような軽い口ぶりに、ユーリが眉をひそめる。
「あー、なるほどな。カプワ・ノールで俺たちをだしにした時もそういうやり口だったんだな」
「そうそう、あそこでどうやって屋敷に乗り込むか相談してる不穏な奴らがいますよーって告げ口したけどほんとの話だもんね。その間におっさんが忍び込もうとしてるってこと黙ってただけでね。――って何、まだ根に持ってんの、青年」
「当たり前だろ、あれはなかなか得難い経験だった。ああもあっさり裏切られるなんてなあ」
「いい加減過去は水に流そうよ、しつこい男は嫌われるわよ」
「それ、リタの前で言ってみるか?」
「ははは、リタっちは女の子じゃなーい。おっさん、女の子にしつこく迫られるのは好きよ」
軽口に軽口で返していると、「あたしがどうしたって?」と背後から胡乱げな声が刺さった。振り向くとそこにはくだんの少女が仁王立ちしている。話の中身自体は聞こえていなかったようで、単純に言葉尻を捉えただけのようだった。そうでなければ沸点の低い彼女のこと、魔術のひとつでも放っているだろう。ユーリは「なんでもねえよ」と肩を竦めた。
「それより火はちゃんとおこしたのか」
「誰に向かって言ってんのよ、当たり前でしょ。たき火をつけるのなんて寝ながらでもできるわよ」
魔物は総じて火を苦手とするから、野宿の際には決まって火をおこす。口調こそ淡々としているが気性は烈火のごとき少女は火属性の魔術を得手としていて、いつのまにか火を熾すのは彼女の役割になっていた。料理をするためのかまどは、手先の器用なカロルが作る。火の番は賢い軍用犬の仕事だ。残りの面子で料理と見張りを交代に担った。そんな風に自然に役割分担ができる程度には彼らの旅は長く続いていた。
共に火を囲んで食事を摂るたびにわずかな居心地の悪さを感じるのは、こんな風に誰かと寝食を共にすることに不慣れなせいであろう。レイヴンに与えられる仕事はたいていが一人で動く方が都合が良かったし、子どもと飯事をするような任務が与えられる立場でもない。
「それより、いい加減がきんちょが目回しそうなんだけど」
「とか言って、リタっちもおなか空いたんじゃないの」
「んなわけないでしょ。無駄口叩いてる暇あったら手を動かしなさいよ」
冷めた言葉と共に膝裏に蹴りが入る。たいして力もこもっていないそれを大袈裟に痛がって泣き真似をしていると更に拳を追加された。
「んもう、リタっちったら退屈なのね? よし、じゃあおっさんが面白い話をしてやろう」
「うざっ」
「だから口の前に手を動かせよ、手を。聞いてんのかおっさん」
「この辺りに昔から伝わる話なんだけどね、」
黙々と下ごしらえをしていたユーリのため息混じりの苦言はさらりと流す。そうして芝居がかった仕草で声を潜めた。
「こんな風に月のない夜には、出るんだそうよ」
「――で、出るって何が!?」
わざとらしく低い声で勿体ぶってみせると、途端にリタは身を強張らせた。予想通りの反応にレイヴンは内心ほくそ笑む。アーセルム号探索の折りに少女は意外な弱点を露呈させていた。子どもだましの怪談にすら声を裏返らせて強がってみせるので、実にからかい甲斐があった。
レイヴンはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「この近くの街道沿いに墓地があったでしょ。その墓地から死人が起き上がって夜な夜な動き回るんだって」
「ば、バカなこと言わないでよ死体が動くなんて非科学的なこと、あるわけないじゃない」
目に見えて顔色を悪くしたリタはそれでも強がってみせたが、かわいそうなほどに声が裏返っている。レイヴンは笑いを堪えて駄目押しとばかりに続けた。
「死人って言っても生きてる人間と同じように見えるから、こうして街道で休む旅人の中にいつの間にか混じって仲間のふりをしてね、何食わぬ顔して一人ずつ攫っていくのよ。――あ、ほら、リタっちの後ろにも」
言い終えるよりも先に少女の絶叫が夜の闇を割いた。堪えきれずにレイヴンがくつくつと笑い出すと、ようやくからかわれたと知ったリタが眦に涙を浮かべながら詠唱を始める。それを慌ててユーリが止めた。おっさんはともかく食材まで消し炭にする気かと諭されて、しぶしぶと詠唱を中断したリタは、渾身の力でレイヴンの背中を蹴り飛ばしてから見張り番のエステル達の元へと駆けていった。
呟いたのは気紛れである。レイヴンはおそらく飽いていた。道行きはあまりにも順調だった。たまに魔物に出くわすことがあっても、並の魔物であれば難なく退けることができる。油断さえしなければこれといって危険もない旅だった。裏返せばひどく退屈な道のりだ。
その日、次の街まではあと半日も歩けば着くだろうという頃に、ユーリはここで野営を張ると言い渡した。既に日は西の端に沈みかけている。夜通し歩きつめれば辿りつけぬ距離ではないが、なにぶん年端もいかぬ子どもらを抱えての旅路だ、無理をすればかえって危ないのだと彼は心得ている。おそらくユーリひとりであれば、あるいは同行者が彼の相棒か、自分だけであれば、夜道を踏破したであろう。皮肉屋を気取るくせに、ユーリ・ローウェルという青年は弱い者に対して無条件にやさしい。口の悪さに反して面倒見が良い性質のようだった。一度懐に入れた相手に対しては存外甘いのだろう、とレイヴンは分析している。
夜の色をした長い髪を後ろで括って、器用にじゃがいもの皮を剥いていたユーリは訝しむように視線を寄越した。その間にもナイフを握る手は休めることなく、瞬く間にするりと剥かれた皮が落ちる。
「喋ってないで手を動かせよ、おっさん」
「コツさえ掴めば簡単なのよ。これと一緒で」
レイヴンの手にも大振りのナイフが握られている。本来は料理のための刃物ではないので使いやすいとは言い難いが、扱いさえ慣れてしまえば野菜を刻むのも肉を切るのも容易だった。
「……コツねえ」
呆れたようなため息を混ぜた相槌に、レイヴンは口の端を持ち上げた。
素っ気ないように見えてユーリは意外に付き合いが良い。
「そ、簡単な話だけどね。嘘つく時には半分くらい本当のことを混ぜればいいのよ」
それはレイヴンがこの十年ほどの間に学んだ数少ない真理である。いかに信じがたい話であろうとそこにもっともらしい真実がひとつ見え隠れした途端に、誰もが驚くほどたやすくそれを信じてしまう。疑うよりは信じる方がずっと楽だからだ。
秘伝のレシピの隠し味を教えるような軽い口ぶりに、ユーリが眉をひそめる。
「あー、なるほどな。カプワ・ノールで俺たちをだしにした時もそういうやり口だったんだな」
「そうそう、あそこでどうやって屋敷に乗り込むか相談してる不穏な奴らがいますよーって告げ口したけどほんとの話だもんね。その間におっさんが忍び込もうとしてるってこと黙ってただけでね。――って何、まだ根に持ってんの、青年」
「当たり前だろ、あれはなかなか得難い経験だった。ああもあっさり裏切られるなんてなあ」
「いい加減過去は水に流そうよ、しつこい男は嫌われるわよ」
「それ、リタの前で言ってみるか?」
「ははは、リタっちは女の子じゃなーい。おっさん、女の子にしつこく迫られるのは好きよ」
軽口に軽口で返していると、「あたしがどうしたって?」と背後から胡乱げな声が刺さった。振り向くとそこにはくだんの少女が仁王立ちしている。話の中身自体は聞こえていなかったようで、単純に言葉尻を捉えただけのようだった。そうでなければ沸点の低い彼女のこと、魔術のひとつでも放っているだろう。ユーリは「なんでもねえよ」と肩を竦めた。
「それより火はちゃんとおこしたのか」
「誰に向かって言ってんのよ、当たり前でしょ。たき火をつけるのなんて寝ながらでもできるわよ」
魔物は総じて火を苦手とするから、野宿の際には決まって火をおこす。口調こそ淡々としているが気性は烈火のごとき少女は火属性の魔術を得手としていて、いつのまにか火を熾すのは彼女の役割になっていた。料理をするためのかまどは、手先の器用なカロルが作る。火の番は賢い軍用犬の仕事だ。残りの面子で料理と見張りを交代に担った。そんな風に自然に役割分担ができる程度には彼らの旅は長く続いていた。
共に火を囲んで食事を摂るたびにわずかな居心地の悪さを感じるのは、こんな風に誰かと寝食を共にすることに不慣れなせいであろう。レイヴンに与えられる仕事はたいていが一人で動く方が都合が良かったし、子どもと飯事をするような任務が与えられる立場でもない。
「それより、いい加減がきんちょが目回しそうなんだけど」
「とか言って、リタっちもおなか空いたんじゃないの」
「んなわけないでしょ。無駄口叩いてる暇あったら手を動かしなさいよ」
冷めた言葉と共に膝裏に蹴りが入る。たいして力もこもっていないそれを大袈裟に痛がって泣き真似をしていると更に拳を追加された。
「んもう、リタっちったら退屈なのね? よし、じゃあおっさんが面白い話をしてやろう」
「うざっ」
「だから口の前に手を動かせよ、手を。聞いてんのかおっさん」
「この辺りに昔から伝わる話なんだけどね、」
黙々と下ごしらえをしていたユーリのため息混じりの苦言はさらりと流す。そうして芝居がかった仕草で声を潜めた。
「こんな風に月のない夜には、出るんだそうよ」
「――で、出るって何が!?」
わざとらしく低い声で勿体ぶってみせると、途端にリタは身を強張らせた。予想通りの反応にレイヴンは内心ほくそ笑む。アーセルム号探索の折りに少女は意外な弱点を露呈させていた。子どもだましの怪談にすら声を裏返らせて強がってみせるので、実にからかい甲斐があった。
レイヴンはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「この近くの街道沿いに墓地があったでしょ。その墓地から死人が起き上がって夜な夜な動き回るんだって」
「ば、バカなこと言わないでよ死体が動くなんて非科学的なこと、あるわけないじゃない」
目に見えて顔色を悪くしたリタはそれでも強がってみせたが、かわいそうなほどに声が裏返っている。レイヴンは笑いを堪えて駄目押しとばかりに続けた。
「死人って言っても生きてる人間と同じように見えるから、こうして街道で休む旅人の中にいつの間にか混じって仲間のふりをしてね、何食わぬ顔して一人ずつ攫っていくのよ。――あ、ほら、リタっちの後ろにも」
言い終えるよりも先に少女の絶叫が夜の闇を割いた。堪えきれずにレイヴンがくつくつと笑い出すと、ようやくからかわれたと知ったリタが眦に涙を浮かべながら詠唱を始める。それを慌ててユーリが止めた。おっさんはともかく食材まで消し炭にする気かと諭されて、しぶしぶと詠唱を中断したリタは、渾身の力でレイヴンの背中を蹴り飛ばしてから見張り番のエステル達の元へと駆けていった。
作品名:レイヴンとユーリ(TOV) 作家名:カシイ