愚かしくも愛おしい
「頼む!儂を助けてくれ!!」
ついこの間まで、その命を狙っていたくせに、ひとたび己が身に危機が迫るとなると、絶大なる力を持つ者に縋りつき命乞いをする醜き人間。
(醜悪だねぇ)
臨也はにやにやと笑いながら、その光景を眺める。この場に居るのが静雄や正臣だったら、即刻帝人を連れて消え去っていただろう。しかし臨也はそのようなことに労力を使うことはしない。帝人とは契約を結ぶ関係ではあるが、基本的に臨也は傍観という立場を取る。
(護衛役なら、戦うしか能のない静ちゃんが居れば充分だしー)
なんといっても、契約者である帝人を中心に渦巻く人の世を観察するのが臨也の娯楽のひとつだ。ゆえに帝人が何かに巻き込まれていたとしても、臨也は手をだすことはしない。
まあ、薄汚い手が帝人の身体に触れるのであれば、話は別だが。
「申し上げたはずです。僕は国を持たぬ者、国籍無き人間で旅人です。この争いが個々のものであるならともかく、国家の争いならば力をお貸しすることは出来ないと」
帝人のような国を持たぬ人間は少なくない。しかし国籍はしかるべき手続きと多少の金さえあれば手に入るものだ。それでも帝人は国籍を持つことはしなかった。己という存在が他者に与える価値を知っているからこそ。
臨也は帝人の華奢な背中を見つめる。その小さな身体に国を、いや世界を統べる力を持っているなんて、初めは半信半疑だった。
しかし臨也は見たのだ。
唯一と呼ばれる力の一端を。
それを持つが故の、絶望と悲哀を。
「な、ならばお前にこの国の籍をやろう!何なら地位も付けてやってもいいぞ!」
「・・・・・いりません。僕は今の現状で充分満足しております。放浪の身ゆえ不必要なものはあまり持ちたくもありませんので」
それでは御前失礼致します、と帝人は一度頭を下げ、踵を返す。背後に控えていた臨也に向いた彼の顔は、無表情の中に疲れを滲ませていた。帝人は臨也の前まで来ると、「すみません、お待たせしました」と漸く笑みを見せる。主の癖に、未だ取れぬ敬語は少しだけ不満の種であるが、そんな彼を嫌いではないので臨也は先ほどとは違う笑顔で彼を迎えた。
「別にいいよ。帝人くんのおかげでまた面白いものが見れたしね」
「何時もの『観察』ですか?」
くすくすと鈴の音のように笑う顔は好きだ。臨也は彼の白い頬を一度だけ撫ぜてから、外へと促すように背中に手を添えた。従者のような行為に帝人の顔が僅かに歪む。己の立ち位置を理解しているくせに根は平凡である帝人は、主のように(いや現に主なのだが)扱われることを嫌う。
―――嫌うというよりは、慣れないというのが妥当の表現だろう。
臨也はそれを知っている癖に知らない振りをする意地の悪い大人だ。なので、帝人は無言で臨也の脇に肘を入れた。斜め上で 「ぐっ」といううめき声が聞こえたが、無視を決め込む。ある意味空気の読めていないやり取りを、帝人に縋りつき臨也に醜悪だと称された男は呆然と見つめていたが、我に返るや否や控えていた兵士に「その者らを ひっ捕らえよ!」と喚きだした。
(煩いなぁ)
臨也の興味はもう男には無い。帝人が切り捨てた以上、臨也の中で存在価値が無くなったに等しい男に意識を向けるのすら面倒だ。
(殺してもいいよね)
聞くのも無駄な罵詈罵倒を振りかける男も。周りを取り囲む兵士も。
帝人の邪魔をするものは全部、全部。
(殺しちゃおう)
臨也は嗤う。
仄暗く、混沌と。
つい、と上がる指先。それだけで臨也は周りを支配する。ぎしりと固まり動こうとしない身体に男達の顔が次第に恐怖へと歪んでいくのを臨也は嘲笑う。二人に向けられた剣が傾き、兵士達は己の喉に切っ先を向けた。やめろ、と口が戦慄くが、それすらも自由にならない。
臨也が今度こそ、死の言葉を口にしようと唇を薄く開けた時、
「臨也さん」
凛とした声と共に、細く頼りない手が臨也の伸ばされた指に触れる。臨也は淡く輝く蒼の眸を振り向いた。だめです。小さな唇が音無く語る。それだけで臨也の行動は塞がれる。結局、彼は主で契約者なのだ。契約を交わした者達には絶対であり唯一になる存在。臨也は「・・・残念」と呟いて、腕を降ろす。その眸は僅かな苛立ちと、久方ぶりに沁み込む彼の『力』により命令への歓喜で彩られていた。帝人は臨也から目を逸らし、無様に震える一国の王たる人間を見据える。それだけでひきつった悲鳴を上げる愚者に臨也は声を上げて笑いたくなった。もちろん 帝人の手前止めたけれども。
(見ろ)
臨也はまるで宝物を見せびらかす子供のような顔で帝人の横に佇む。
これがお前らが欲しがった『力』だ。
俺のような、俺達のような化け物を付き従え、支配できる唯一のもの。
お前らには到底扱えぬ、気高き『力』だ。
「国を統べる王よ。私が恐ろしいですか?」
(力とは何だ)(強さとは何だ)
子供は喉が潰れるまで泣き叫び神に問うた。
「恐ろしいでしょう?絶対である力など他人の手に余り、助けになるどころか破壊しか齎さない」
(命とは)
問うて問うて問うて。
「私の力はひとの為にすらならない」
それでも、前を。
「生きたいのであれば、己の力で生きてください」
向きたいのだと。
臨也の足元から闇が溢れだす。細い肩を引き寄せれば、大きな目が見上げてきた。
(もういいよ)
臨也は帝人にしか見せた事の無い笑みを浮かべた。
(もう、帰ろうか)
小さく頷いた仕草に、臨也は指先を滑らせる。闇が二人を包み込み、融けていく。愛しい子供を他人の目から隠すように抱いて、臨也は愚かな人間共を最後に見据えた。
「そうそう、面白いものを見せてくれたお礼に教えてあげる。あと少ししたら、この国の王を滅ぼさんと民衆が宮殿へ押し寄せてくるよ。手に剣や槍を持ってね」
紅い眸が毒のように滴り堕ちた。
「国が滅びるか、王が滅びるか。まあ、俺達にはどうでもいいことだけどね」