家庭教師情報屋折原臨也5
玄関らしきドアの所に立ち、臨也がさぁ鍵を開けようと鍵を鍵穴に刺そうとしたところ、閉まっているはずの家のドアが、まるでタイミングを見計らったかのように開いた。
「おかえりー!!」
「…帰…」
室内から飛び出してきたのは二人の可愛い女の子だった。そして彼女たちはそのまま臨也の腰へと抱きついた。その勢いに臨也は少しよろめいたが、こけることなく踏みとどまった。
一人は眼鏡をかけて長い髪を三つ編みにしており、もう一人はショートでボーイッシュなイメージだった。互いに顔の造形が非常に似通っていたので、双子なのだろうと静雄は思った。彼女たちの雰囲気が、醸し出す空気が臨也と近かった。確認を取ろうと臨也の方を見ると、なんだかとても嫌そうな顔をしていた。しかしそこに不審者を見る目は無かった。
「…何でお前らがいるの?」
「今日遊びに行くって言ったよ?ねー、クル姉」
眼鏡の少女が隣にいたボーイッシュな女の子に言った。すると彼女は頷き、静雄の方を見た。それに倣うように眼鏡の少女も静雄の方を見た。
「あー!あの時の先輩だー!」
「…謝…忘……」
「…え?」
完全アウェーな状況であった中突然声を掛けられ、静雄は反応が遅れた。
ふと視線を下せば、先ほどまで臨也の腰に抱きついていた彼女たちが、自分の腰に抱きついていた。そしてぐいと下に引っ張られ、女の子相手に力を使うわけにはいかず、静雄はそのまま膝を折った。
「あの時はありがとうございました!」
「…心…謝……」
そう双方の耳から聞こえたかと思えば、頬に柔らかい感触があった。
「ぅわッ?!」
その感触に驚き、何をされたのか理解すると、静雄はそのまま腰を落とした。見上げれば、彼女たちは笑顔を浮かべていた。
「お前ら…」
臨也はため息をつくと、彼女たちの襟周りを掴み、静雄から引き離した。
「あややや…」
「……」
「ほら、出かけてくるんじゃないのか?」
「あ、そうだった!クル姉急がないと!バウムクーヘンなくなっちゃう!」
「急…!」
二人は互いに頷きあうと静雄たちが乗ってきたエレベーターに乗り、下の階へと降りていった。
急に静かになった。
「……」
「とりあえず…家、入ろうか」
驚いて呆然と膝をついたままの静雄に、臨也は声をかけた。静雄ははっと我に返り、ばっと立ち上がった。
中に入ってみれば、普通に家と呼べる光景が広がっていた。ワンルームに近い構造をしているが、棚や段差でスペースが区切られていた。奥には階段もあり、二フロア分を使っていることが分かった。
静雄が案内されたのはリビングだった。触り心地の良い黒いソファに座り、キッチンへと消えていった臨也を待った。
「……」
頭の中は、先ほどのことでいっぱいになっていた。あの衝撃で、彼女たちを見たことがあったことを静雄は思い出していた。それは入学式が済み、学校全体が落ち着き始めていた頃のことだった。久しぶりに喧嘩を売られず何事もなく一日を過ごせたなぁと思いながら校門へと歩いていたところ、校門前が騒がしかった。見れば昨日負かした集団が女子二人を囲んで何か言い争っていた。セーラー服を着た女子が体操服を着た女子を庇うようにして一人男たちに立ち向かっていた。生徒たちはみな巻き込まれまいとそこを避けて通っていたが、静雄は迷うことなくそのまま突っ込んだ。
セーラー服の襟に伸ばされようとしていた手を掴み取り、そのままぎりぎりと言わんばかりに静雄は握力で締め付けた。
「昨日ケンカ売ってきたと思えばよ…今日は女を脅して…男として最低だよな手前らああぁぁッ!!」
そしてそのまま男を校門前の道の向こう側へと飛ばしてやった。昨日の今日なので、まだ静雄に対する恐怖が抜けきっておらず、そのまま集団は散り散りとなって消えた。そして大丈夫かと後ろを振り返ったところ、女子たちもすでに姿を消していた。
その時の女子二人が、彼女たちであった。
――― あの時の奴らか
すると、臨也が戻ってきた。手にはグラスの乗ったお盆を持っていた。テーブルに置かれれば、からんと氷のぶつかる音がした。中身はサイダーだった。
「お茶の方がよかった?」
「これでいいです」
一口飲めば、炭酸の独特の風味が喉を刺激し、冷たくてとても心地が良かった。
「さっきはごめんね。妹たちが突然あんなことして」
「いや、驚いただけで、そんなに気にしていないというか、なんというか…あ、妹だったんですね、やっぱり」
やっぱりという部分に、臨也は首をかしげた。
「やっぱりって、そんなに似ているかな?」
「別に顔とかは似てないけど、雰囲気というか、動作というか」
「あぁ、…まぁ、結構俺の影響受けているからね、あいつら」
「確かに」
無意識のうちに、静雄はそう呟いていた。
「先輩ってことは、同じ学校なの?」
「はい、今さっき思い出しました」
「へぇ…」
そうかそうか、ふーん。
臨也はグラスに口を付けながら、同じようにしている静雄の方を見た。
――― まぁ、このことは後で考えることにしよう。今考えだしたら長くなりそうだ。
簡潔にまとめ、グラスをテーブルに戻した。
「さて、勉強しようか」
グラスをテーブルに置き、一つ手を叩いて、臨也はソファから立ち上がった。
「ここじゃ文字書きにくいからダイニングにでも移動しようか」
しかしすぐにまた腰を下ろすことになる。
「いえ、別にソファに座らなければ…いや、移動した方がいいですか」
「いや?俺は別にかまわないよ」
静雄はソファから降り、カーペットの敷かれた床の上に座った。ある程度幅があったので楽に座れた。鞄から参考書とノートとペンケースを出し、テーブルの上に並べた。
「今日は化学?」
参考書の表紙を見て、臨也は言った。
「構造推定の問題がまだ慣れなくて」
静雄は参考書とノートを開いた。
「そうだね、あれは結構面倒だと俺も思う。でもコツさえつかめばすぐに慣れるよ」
臨也も一段下がってカーペットの上に降りた。そしてテーブルの下の引き出しを開け、中から紙とボールペンを出した。
「この問題です」
問題番号を指で示し、静雄は臨也の方を見た。
臨也はしばらく問題を眺めた。そして考えがまとまったようで、臨也は構造式と説明を紙に書き始めた。
「この問題だったらまずA、B、Cの分子式がC8H10O2と与えられている。次に実験1を見るとAは水酸化ナトリウムでけん化されている。ここでAはエステル結合をもっていることがわかるから、ベンゼン環にカルボン酸とアルコールもしくはフェノールが一置換体で結合している。それらをジエチルエーテルに溶かして二酸化炭素を吹き込むと生成物Dが出てきて、実験2でその生成物Dに濃硝酸と濃硫酸を加えるとピクリン酸が出来上がるわけだから、生成物Dはフェノールであることがわかる。ここからさっきの物質Aはフェノールとカルボン酸のエステルだから構造を合わせると、C6H5OCOCH3ということになる…って具合かな」
臨也は一度もかむことなくつらつらと、ちょうど静雄が分からなかった問題の解説を進めた。しかし静雄は途中から意味が分からず、後半は殆ど聞き流してしまった。
「…ピクリン酸って、何だ?」
作品名:家庭教師情報屋折原臨也5 作家名:獅子エリ