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めかくしセカイ

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十月〜「衝動」或いは「逃避」〜


 
 衝動


 なぜだか最近、半助があまり来てくれなくなった。
 扉をぼんやりと眺めながら、利吉は今日何度目だかの溜息を吐いた。午前中は相変わらずの閑古鳥で、客も姿はない。唯一自分以外にいる人である店長は、奥で新聞を広げながら、ゆったりとした様子で自分が淹れたコーヒーを味わっていた。そのため利吉は一人カウンターの中に立ちながら、手持無沙汰をグラス磨きで解消しているところである。
 九月の終わりごろから、半助の来店頻度が減った。それまでは週に二度は来てくれていたというのに、週に一度くるかこないかといった程度になったのである。
 やはり九月中旬に飲んだあの時に、夢について聞いてしまったのがいけなかったのだろうか。
 と、不意にからんころんと鈴の音がなり、利吉は勢いよく扉のほうを見た。そこに立っていたのは見慣れた常連客の姿であったが、半助ではなかった。
「いらっしゃいませ」
 あからさまに落胆してしまう自分をなんとか隠しながら、接客用の笑顔を引っ張りだす。
 結局この日は半助が来店することはなく、帰り際に会うこともなかった。自分でも気にしすぎだとは思うが、落ち込む気持ちを抑えることはできない。気持ちのマイナスに影響されたのか、頭まで痛み出し、利吉は深く溜息を吐いた。今日はすぐに寝よう。そう心に決めながら、自宅マンションの鍵を開けた。




「もう行くのかい?」
 一人、ひっそりと家を出ようとした利吉は、背後から聞こえてきた声に、苦笑をしながら振り返った。寝ている姿を確認してから出たが、どうやら気付かれてしまったようだ。流石というべきなのだろうか。
「はい、そろそろ依頼主と約束した刻限になりますので」
 言いながら、まだ朝の気配すら感じられない暗闇に包まれた空を仰いだ。
 依頼主からは、夜明け頃に来てほしいと言われていたのである。待ち合わせ場所はこの町からそう遠くはない場所にある廃寺なので、今から駆ければ充分に間に合う距離だった。
「今度の任務は長いんだったか。できる限り、怪我なんてしないように気を付けるんだぞ」
 半助が歩み寄ってくる気配を感じ、利吉は空に向けていた視線を戻した。それから至極真面目にこくりと頷く。
「もちろんです。任務が終わり次第、真っ先に会いに来ます」
「会いに来てくれるのは嬉しいけど、私より先に、山田先生に会いに行くべきじゃないかい?」
 相変わらずの半助に、利吉は困ったように眉を下げ、それから彼の手を、まるで大事なものに触れるように、両手でそっと包んだ。忍術を扱うその手は硬く節くれだっており、間違っても柔らかい女性の手とは比べようもない。だというのに、どんな売れっ子の遊女よりも愛すべきものに思えるのだから、自分は相当に彼へ惚れこんでしまっているようだ。
「つれないことを仰らないでください。父上にも勿論会いに行きますが、私は誰よりもまず貴方に会いたいんです」
「……相変わらず直球だね、君は」
 呆れ声で言われるが、それが半助の照れ隠しであることは利吉にも察しがついた。嬉しさに頬が緩む。
「ははは、ありがとうございます」
「別にほめたわけじゃないぞ。……ほら、私なんかと無駄話をしていないで、さっさと行っておいで」
 急かすように背を叩かれ、思わず数歩たたらを踏んだ。相変わらず容赦がない彼に、思わず苦笑を浮かべながら振り返る。
「本当につれない方だ。……それではまた後日、お会いしましょう」
 彼へとそっと触れるだけの接吻を送ると、今度はぽんと優しく背を叩かれた。励ましてくれているのだろう。
 利吉は名残惜しさに髪をひかれながらも、見送ってくれる半助へと小さく手を振り、任務の地へと駆けて行った。廃寺の方角を確かめながら、夜の街をひた走る。
 と、不意に意識がぶれた。ずきんと大きな痛みが走る。なんだと考える間もなく、利(・)吉(・)の意識は覚醒へと向かっていった。


「……っ!」
 ひどい頭痛で目が醒めた。ずくん、ずくんと、まるで後頭部が殴打されたような痛みが利吉を襲う。どっと冷や汗があふれてきて、利吉は堪らず布団の中で額を押さえた。
 思わず夢の内容など忘れそうになるが、利吉は首を振り、痛みを堪えながらも今見たばかりの夢を思い返すことで、細い記憶の糸を手繰り寄せることに成功した。
 これも半助から聞いていた夢の話の影響なのだろうか。随分と古臭い風景のなかで、なぜか半助は平服姿で、自分のほうが忍び装束をまとっていた。どうやら自分も半助と同じく忍びという設定らしい。二人の口ぶりからして、これから任務に向かうようであった。
 自分の中にそうした事を夢で見るような感情があったことにも驚いたが、何よりも驚いたのは、夢の中の自分と半助の関係であった。
 あの夢の中で、自分は確実に半助を好いていた。友愛ではなく、恋愛として。少なくとも利吉は、彼を愛しいと思う強い気持ちが胸の中に溢れていた。半助もキスを拒まなかった所からみるに、同じ気持ちを抱いてくれていたのだろう。
「……まさか、そうなのか?」
 ある種、絶望にも似た気持ちを抱きながら呟く。
 自分でも、半助に対してここまで執着するのはおかしいと思っていた。今までは、兄弟のいない利吉にとって初めて出会った兄のような存在だからだと自分を納得させていたが、それだけでは説明がつかない事も解っていたのである。その点、純粋に相手を好きになっていたからだと思えば、全ての説明がつく。
 利吉は脱力し、長く、深い溜息を零した。やはり、自分は半助の事が好きなのだろう。……だが、そうしたら、これまで築いてきた半助との友情はどうすればいいのか。
 男から恋愛的に好かれて喜ぶ男というのは一握りしかいないうえに、半助はいたってノーマルな性癖の持ち主だ。前に好きな女性のタイプについて話したことを思い出す。万に一つも可能性はない。
 とるべき道は一つ、気持ちを押しかくして今後も付き合っていくことのみだ。半助と会わないようにすることも解決策にはなるが、それは絶対に嫌だった。会えない苦しみよりは、会って気持ちを押し隠す苦しみのほうが良い。
 そこまで思い、利吉は不意に自嘲交じりの笑みを浮かべた。思考が先走っている事に気付いたからだ。
「……落ち着け」
 自分に言い聞かせるように、ゆっくりはっきりと呟く。
 今、利吉の胸に渦巻く半助への思いは、夢の影響でそう思っているだけかもしれない。もしかすると、顔を見たら「ああやっぱり恋愛なんかじゃないな」と思うことだってありうるだろう。とりあえず会ってみない事には、どうしようもない。会ったところで思いを自覚するだけかもしれないが、確認しない事にはどうしようもないではないか。
 壁にかけられたカレンダーへ視線をやる。今日は日曜日。もっとも半助が来る確率が高い日だ。会って話して、それから考えよう。そして可能なら、半助が見るという夢についても聞いてみよう。利吉はそこまで決めてから、時計へと視線をやった。午前四時。まさに夢の中と同じような時刻である。まだ自分がおきるには早いと、再び布団にもぐりこみ、襲ってくる睡魔に逆らうことなく利吉は瞳を閉じる。頭の底から響くような痛みは、眠りにつく瞬間まで続いていた。

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作品名:めかくしセカイ 作家名:和泉せん