ヒーローの泣き言
アメリカは大怪我をしていた。
平日昼間の自由で怠惰な時間を満喫していた矢先、鳴らされたチャイムに
応えて開けたドアの向こうにはぐるぐると腕にも手首にも包帯を巻いて、
Tシャツの肩口からも白いガーゼを覗かせたアメリカだった。
そうしてあっけにとられて絶句した俺に、ハイ!プロイセン、元気そうだねと
高らかにいって更に俺の疑問を煽ることを宣った。すなわち、
「しばらく泊めてよ。反対意見は認めないんだぞ!」
である。
「え、おい!アメリカ!」
呼び止める声をさっぱり無視して俺の脇を通り過ぎ、ずかずかとアメリカは我
が家へ上がりこむ。その遠慮の欠片もない歩調はなんなんだと小一時間は
説教をかましてやりたいが、年上の口煩さには耐性があるアメリカのこと。
言うだけ疲れ損だ。
同じようにデカくても弟とはまた違う趣の背中を追う。
ずんずん迷いなくファミリールームへ向かえるのはなんだかんだと大西洋を
超えて本人曰くの「暇つぶしさ☆」に来ては、イギリスのみならずフランス
やヴェストも巻き込む事があるからだ。
ベルリンにふらりと現れるアメリカに「アポを取れと言っているだろう」とガ
ミガミやる割に、無碍に追い返したりはしていないらしかった。古参ばかりの
欧州勢よりも、多少なりとも年の近いアメリカの方が意気投合することもある
のかもしれない。
アメリカと俺との接点はそう多くない。軍制改革の立役者が世話になっただと
か、センスを疑う名前の艦を買ってやっただとか―もちろん早々に改名した―
取り立てて強調する程でもない繋がりだ。
最近では何度も煮え湯を飲まされた相手だから、再統一後にぎゃあぎゃあガキ
のじゃれ合いじみた言い合いをヴェストとしているのを見た時は意外に思った
ものだった。それも今では懐かしい話だ。
リビングより先にキッチンへ向かい、氷を入れたグラスに注ぎレモンを半分絞
り入れる。2つ用意して更に赤い十字の描かれた箱を手に戻ってみると、アメ
リカはローテーブルを囲んだソファのうち、一人掛けのものを選び座面に両足
を乗せ上げて丸く膝を抱えていた。
ちらりと覗いた足首にも白が見えた。どこでこんな満身創痍になってきたのか
と考えて、すぐに思い当たった。こいつはあの砂の舞う地で戦っているのだ。
「ほら飲めよ」
「………サンクス」
そして玄関口でのいつものオーバーダンな勢いはどこへやらアメリカはちらっ
と顔を上げただけだった。両膝を抱えた腕に顔をうずめたままだから、「いき
なり来て悪かったね」なんてせっかくの殊勝な台詞もくぐもって聞き取り辛い。
テーブルを挟んだ向かいのソファに座ってしまうと全く聞こえなくなりそう
だったのでアメリカからは直角に位置する3人掛けのソファに腰を下ろした。
タンブラーを傾ける。ゴクッと自分の喉の鳴る音がやたら大きく響く。
そのままくるくるとタンブラーを揺らすと、氷が澄んだ音色をたてた。
危うい程に薄いガラスのこのタンブラーは目の前で凹みきっている男からもら
ったものだ。重々しいガラスに価値を置く欧州勢とは違い、新しい技術で作り
出したものをどんどん重用するアメリカらしい贈り物で、見た目に反して頑丈
で使い勝手が良く気に入っている。
カラカラと何度か回して、もう一度冷えた炭酸水を口に含む。それから溜め
息をそっとアメリカに気付かれないように吐くと、フワンと呼気からレモンが
香った。
「アメリカ、巻き直してやるから腕だせ」
そのまま身動きもせず一言も口を開かずしばらくたって、俺は自分のグラスを
空にしてから声を掛けた。
ソファから身を乗り出してやや強引にアメリカのむき出しの二の腕を引っ張る。
あちこちの包帯は解けてはいないものの、まさに巻き付けただけの代物で、
医療の心得のない人間が施したことが一目瞭然でありとても見過ごせない。
「ほら顔上げろ、んでこっち座れ」
俺の座る広いソファを示してみるが、アメリカは動かない。自分から押し掛け
といて何て奴だと思わないでもないが、これが初めてではないし、とやかく言
うほどの不快でもない。
ぐい、ともう一度腕を強く引いて促せばアメリカはのろのろと脚を下ろし立ち
上がった。玄関でのやり取りが嘘のようにひどい顔色だ。疲れた目元、引き
結んだ口唇、瞳は迷いをそのまま表すように揺れている。
今度はそっと手を引いて、隣に座らせ腰を捻って向き合う。アメリカはまた俯
いてしまうがそれに構わず、右腕の包帯からくるくる解いて下のガーゼも剥が
す。テープが皮膚を引っ張る感覚にだけ、わずかに片眉を潜めたがあとは表情
も動かさなかった。ケロイド状の傷口に保護シートとガーゼを貼り直し、真新
しい包帯を巻いていく。
「もうちょっとマシな手当てしろよな。丸っきり素人じゃねーか」
「………悪かったね。そんなの教わらなかったんだぞ」
「自分で学ぶんだよ、ガキ」
「ガキだよ、どうせ」
拗ねているのか気が弱くなっているのか、アメリカは常の口癖みたいな反論も
しない。ガキ、とまた言い捨てて、右腕の次は左手首に取り掛かる。
避けた皮膚は縫われもしないでおざなりに塗り薬をぬっただけなのだろう。ピ
ンク色の皮膚がもり上がり醜い引き攣れになっている。しばらく無言でされる
がままだったが、不意に下を向いていた顔をますます喉に引っ付けて、深く顔
を俯けた。
「…………君たちから見ればそりゃ確かにガキだろうけど、だけどガキでも
何でも今の俺にしか出来ない事だってあるんだ」
絞り出した声は顔色に負けず劣らず酷いもので、揺らぎきった信念がそのまま
顕になっている。ガキ、と3度目は心の中で呟いた。
「俺……俺がやるしかないじゃないか、俺が守らなきゃ。……俺が守るから
もうみんな大丈夫なんだ……傷付かないんだ………あの人だって」
ひび割れた声で肩が震える。心の中の溜め息カウントがもう一つ加算された。
俺はソファの上で膝立ちになって、アメリカに腕を伸ばす。
「アメリカ、ほら上向け」
ぐっと頬に添えた手で緩やかに押して、上向かせる。掻き分けた前髪の隙間か
らちゅっと額にキスを落とす。一端離して、もう一度。ちゅ。
「大丈夫。お前は間違ってない、正義なんて一つきりじゃないんだ」
なるべく優しく言い聞かせるように。こめかみにもキスを。
「お前が正義だというならお前の正義はそれだ」
「俺の正義は世界の正義じゃないって言いたいのかい」
意外に理屈っぽいところのあるコイツは言葉の揚げ足取りもお得意だ。しか
しカチンとくる気持ちを堪えて、あくまで俺は柔らかい声音をつくる。これは
ディベートじゃない。ただ少し疲れて蹲ってしまった子供をあやしているだけ。
身体を張って戦っているのに、世界から後ろ指をさされる事に厭いてしまった
だけの、可哀そうな子供だ。
「世界の正義もひとつじゃないってことだ」
よく分からないよ、とまた泣きそうな声になるのを無視して、俺は頬にあてて
いた手を後頭部まで回し、アメリカの頭を抱き込んだ。
平日昼間の自由で怠惰な時間を満喫していた矢先、鳴らされたチャイムに
応えて開けたドアの向こうにはぐるぐると腕にも手首にも包帯を巻いて、
Tシャツの肩口からも白いガーゼを覗かせたアメリカだった。
そうしてあっけにとられて絶句した俺に、ハイ!プロイセン、元気そうだねと
高らかにいって更に俺の疑問を煽ることを宣った。すなわち、
「しばらく泊めてよ。反対意見は認めないんだぞ!」
である。
「え、おい!アメリカ!」
呼び止める声をさっぱり無視して俺の脇を通り過ぎ、ずかずかとアメリカは我
が家へ上がりこむ。その遠慮の欠片もない歩調はなんなんだと小一時間は
説教をかましてやりたいが、年上の口煩さには耐性があるアメリカのこと。
言うだけ疲れ損だ。
同じようにデカくても弟とはまた違う趣の背中を追う。
ずんずん迷いなくファミリールームへ向かえるのはなんだかんだと大西洋を
超えて本人曰くの「暇つぶしさ☆」に来ては、イギリスのみならずフランス
やヴェストも巻き込む事があるからだ。
ベルリンにふらりと現れるアメリカに「アポを取れと言っているだろう」とガ
ミガミやる割に、無碍に追い返したりはしていないらしかった。古参ばかりの
欧州勢よりも、多少なりとも年の近いアメリカの方が意気投合することもある
のかもしれない。
アメリカと俺との接点はそう多くない。軍制改革の立役者が世話になっただと
か、センスを疑う名前の艦を買ってやっただとか―もちろん早々に改名した―
取り立てて強調する程でもない繋がりだ。
最近では何度も煮え湯を飲まされた相手だから、再統一後にぎゃあぎゃあガキ
のじゃれ合いじみた言い合いをヴェストとしているのを見た時は意外に思った
ものだった。それも今では懐かしい話だ。
リビングより先にキッチンへ向かい、氷を入れたグラスに注ぎレモンを半分絞
り入れる。2つ用意して更に赤い十字の描かれた箱を手に戻ってみると、アメ
リカはローテーブルを囲んだソファのうち、一人掛けのものを選び座面に両足
を乗せ上げて丸く膝を抱えていた。
ちらりと覗いた足首にも白が見えた。どこでこんな満身創痍になってきたのか
と考えて、すぐに思い当たった。こいつはあの砂の舞う地で戦っているのだ。
「ほら飲めよ」
「………サンクス」
そして玄関口でのいつものオーバーダンな勢いはどこへやらアメリカはちらっ
と顔を上げただけだった。両膝を抱えた腕に顔をうずめたままだから、「いき
なり来て悪かったね」なんてせっかくの殊勝な台詞もくぐもって聞き取り辛い。
テーブルを挟んだ向かいのソファに座ってしまうと全く聞こえなくなりそう
だったのでアメリカからは直角に位置する3人掛けのソファに腰を下ろした。
タンブラーを傾ける。ゴクッと自分の喉の鳴る音がやたら大きく響く。
そのままくるくるとタンブラーを揺らすと、氷が澄んだ音色をたてた。
危うい程に薄いガラスのこのタンブラーは目の前で凹みきっている男からもら
ったものだ。重々しいガラスに価値を置く欧州勢とは違い、新しい技術で作り
出したものをどんどん重用するアメリカらしい贈り物で、見た目に反して頑丈
で使い勝手が良く気に入っている。
カラカラと何度か回して、もう一度冷えた炭酸水を口に含む。それから溜め
息をそっとアメリカに気付かれないように吐くと、フワンと呼気からレモンが
香った。
「アメリカ、巻き直してやるから腕だせ」
そのまま身動きもせず一言も口を開かずしばらくたって、俺は自分のグラスを
空にしてから声を掛けた。
ソファから身を乗り出してやや強引にアメリカのむき出しの二の腕を引っ張る。
あちこちの包帯は解けてはいないものの、まさに巻き付けただけの代物で、
医療の心得のない人間が施したことが一目瞭然でありとても見過ごせない。
「ほら顔上げろ、んでこっち座れ」
俺の座る広いソファを示してみるが、アメリカは動かない。自分から押し掛け
といて何て奴だと思わないでもないが、これが初めてではないし、とやかく言
うほどの不快でもない。
ぐい、ともう一度腕を強く引いて促せばアメリカはのろのろと脚を下ろし立ち
上がった。玄関でのやり取りが嘘のようにひどい顔色だ。疲れた目元、引き
結んだ口唇、瞳は迷いをそのまま表すように揺れている。
今度はそっと手を引いて、隣に座らせ腰を捻って向き合う。アメリカはまた俯
いてしまうがそれに構わず、右腕の包帯からくるくる解いて下のガーゼも剥が
す。テープが皮膚を引っ張る感覚にだけ、わずかに片眉を潜めたがあとは表情
も動かさなかった。ケロイド状の傷口に保護シートとガーゼを貼り直し、真新
しい包帯を巻いていく。
「もうちょっとマシな手当てしろよな。丸っきり素人じゃねーか」
「………悪かったね。そんなの教わらなかったんだぞ」
「自分で学ぶんだよ、ガキ」
「ガキだよ、どうせ」
拗ねているのか気が弱くなっているのか、アメリカは常の口癖みたいな反論も
しない。ガキ、とまた言い捨てて、右腕の次は左手首に取り掛かる。
避けた皮膚は縫われもしないでおざなりに塗り薬をぬっただけなのだろう。ピ
ンク色の皮膚がもり上がり醜い引き攣れになっている。しばらく無言でされる
がままだったが、不意に下を向いていた顔をますます喉に引っ付けて、深く顔
を俯けた。
「…………君たちから見ればそりゃ確かにガキだろうけど、だけどガキでも
何でも今の俺にしか出来ない事だってあるんだ」
絞り出した声は顔色に負けず劣らず酷いもので、揺らぎきった信念がそのまま
顕になっている。ガキ、と3度目は心の中で呟いた。
「俺……俺がやるしかないじゃないか、俺が守らなきゃ。……俺が守るから
もうみんな大丈夫なんだ……傷付かないんだ………あの人だって」
ひび割れた声で肩が震える。心の中の溜め息カウントがもう一つ加算された。
俺はソファの上で膝立ちになって、アメリカに腕を伸ばす。
「アメリカ、ほら上向け」
ぐっと頬に添えた手で緩やかに押して、上向かせる。掻き分けた前髪の隙間か
らちゅっと額にキスを落とす。一端離して、もう一度。ちゅ。
「大丈夫。お前は間違ってない、正義なんて一つきりじゃないんだ」
なるべく優しく言い聞かせるように。こめかみにもキスを。
「お前が正義だというならお前の正義はそれだ」
「俺の正義は世界の正義じゃないって言いたいのかい」
意外に理屈っぽいところのあるコイツは言葉の揚げ足取りもお得意だ。しか
しカチンとくる気持ちを堪えて、あくまで俺は柔らかい声音をつくる。これは
ディベートじゃない。ただ少し疲れて蹲ってしまった子供をあやしているだけ。
身体を張って戦っているのに、世界から後ろ指をさされる事に厭いてしまった
だけの、可哀そうな子供だ。
「世界の正義もひとつじゃないってことだ」
よく分からないよ、とまた泣きそうな声になるのを無視して、俺は頬にあてて
いた手を後頭部まで回し、アメリカの頭を抱き込んだ。