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彼と未来と、約束と。

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「ええ―!!一君て子供いたの?!」

屯所に戻ってきた斎藤の腕には、白布に包まれた赤ん坊。その後本降りとなった雨から守りながら連れて来たらしく、しっとりと髪や服に水分を含む斎藤に対し、赤ん坊は一粒の雨にすら濡れた形跡はない。まだ量の少ないふわふわとした黒髪に、ぷっくりと丸い頬。両手をぎゅっと握り締め、すやすやと眠っている。
藤堂の出した大声に何事だと永倉や原田も奥の部屋から抜け出して集まって来た。

「おわっ!何でンな赤ん坊がここにいるんだよ!」
「あーあ、とうとう責任取れって押し付けられちまったんだな」

其々に過剰な反応を見せ好き勝手な言葉を紡ぐ永倉と原田を尻目に、斎藤はひとつ溜息を吐き腕の中から赤ん坊を玄関先へと下ろした。

「俺の子ではない……落ちていた。この雨に打たれればすぐに体温も奪われ、一堪りもないだろうからな」

自分自身、多少言葉不足ではあると感じながらも簡単な説明を告げ、まだ背後で降り止む気配を見せない雨にチラリと視線を送った。
集まって来た3人は赤ん坊の周りへと集まり、物珍しそうに寝顔を眺め口々に何か言っている。

「ふ…ぇ……」

その時だった。赤ん坊の頭上で騒ぐ男達の声が、どうやら寝た子を起こしたらしい。眠そうな瞳をゆっくり開いたと思ったら、すぐにその顔をくしゃりと歪めぐずり出した。
ギク、と騒いでいた男達の顔色が一瞬にして焦りに変わる。どう対処すればいいのか3人があたふたとしている間にも赤ん坊は更に大きくぐずり、とうとう大声で泣き始めてしまった。

「よ、よし…俺に任せろ!こんなガキ、すぐに泣き止ませてやるっ!」

永倉が子供を抱きあげ上に下にと揺らしあやしてみるが、泣き止む所かその声は大きくなるばかりだ。匙を投げた永倉が、赤ん坊を原田の胸に押し付けた。

「だぁああっ、やっぱ無理!」
「お、おい…俺に渡されても……よ、よーしよし…?」

泣きじゃくる赤ん坊を腕に抱いた原田も、ぽんぽんと背中を叩きあやしてみるが全く効果はない。自分にも無理だと悟ると、原田は赤ん坊を藤堂に無理矢理抱かせた。

「俺よりお前の方が歳も近いんだし、通じるモンがあるだろ」
「はあ?!こんな赤ん坊と何が通じるってんだよ、ちょっ…!」

藤堂が不満も露わに張り上げた声に反応し、赤ん坊はいよいよ火が付いたように泣きだす。

「わぁっ、ごめん、ごめんなっ?!あーもう…一君、頼んだ!」

激しさを増した泣き声に最初からあやす事を放棄した藤堂は、不器用に抱いていた赤ん坊を再び斎藤の胸元に押し付けた。

…………。

抱かれ心地に安心したのか、赤ん坊は先程までの大泣きが嘘のように静かになった。涙で睫毛を濡らしたままではあるが、包まれた白布の中で足をじたじたと動かし、何かを掴もうと両手で空を掻く。

「おお…」

傍で見ていた3人が揃って感歎の声を漏らしパチパチと拍手をした。当の斎藤も、予想外の事態に黙ったまま赤ん坊を見下ろしている。

「やっぱり斎藤の子供だったりしてな」
「ねえ、さっきから何の騒ぎ………!!??」

永倉が斎藤を揶揄した次の瞬間、沖田も姿を現した。
今まで眠っていたかのように後頭部を掻きながら間の抜けた声で問い掛けたのだが、キラキラと雨粒に輝いて見える斎藤の腕には……赤ん坊。流石に沖田も状況が読めず動揺し、翡翠色の瞳を見開いている。

「ぼ…僕の子?」
「……総司、寝言は寝てから言え」

半ば冗談なのは分かっているが、いつもの落ち着いた口調で沖田の言葉を一蹴して斎藤は深い溜息を吐いた。





 それから数刻、濡れた着物を着替え髪の水分を拭い、赤ん坊と共に斎藤は自分の部屋に居た。右腕に抱いた赤ん坊に、汁と呼ぶに近い粥を匙で掬い食べさせている。
初めは、それこそ幹部である斎藤に子守りをさせる訳にはいかないと、見兼ねた他の隊士が面倒を見ようとするのだが、斎藤以外に抱かれる度に赤ん坊が大泣きする。
赤ん坊は泣くのが仕事のようなものだが、あまりの泣き声に土方の我慢も限界となり、そのまま斎藤が面倒をみる事になったのだ。

「……総司、こんな所で油を売っていていいのか」
「いいよ。別に何もする事ないし」

赤ん坊を抱く斎藤の横には、うつ伏せに寝転がる沖田がぴったりとくっついていた。赤ん坊の口に粥を運びながら、斎藤はまたひとつ溜息を吐く。

「それにさ、一君のそんな姿滅多に見れないし…貴重だから、しっかり目に焼き付けておかないと」

これまでに斎藤と子供が好きかどうかなど、話した事はない。しかし、不満そうな溜息を零しながらもしっかりと赤ん坊をその腕に抱く姿を見ながら、斎藤は案外子供が好きなのかもしれないと、自分の腕を枕に寝そべりながら沖田は何となく頬を緩めた。

「いいお母さんになれるよ、一君」
「総司」

にこにこと笑みながら嬉しそうに紡ぐ沖田を、斎藤がちらりと視線を向け咎めるような口調で呼ぶ。

――なぜ俺がこんな事を…。こんな暇があるのなら、他に成すべきことは沢山あると言うのに。

無駄な時間の浪費。斎藤の頭の中はそんな気持ちで溢れ、自由に動けない事に若干の焦りも感じていた。だが、同時に腕の中で自分を必要とするこの小さな存在も、放ってはおけなかった。
暫く粥を与えると、腹いっぱいになったのか赤ん坊はまたうとうとと瞼を落とし始めた。空を掻く小さな手が、ぎゅっと斎藤の髪先を握る。

「あ、寝ちゃったね。可愛いなぁ」

はは、と隣で笑う沖田を尻目に、斎藤は匙を盆の上へと戻した。手拭で口元を拭いてやると、無意識ながらも反射的に開く赤い唇が愛らしい。

「はーじめくんっ、その子の事分かったかもー」

静かに赤ん坊の寝顔を見ていた二人の元に慌ただしく藤堂がやって来た。障子を開けた途端、即座に唇に指を押し当てしーっと押し黙るような沖田の仕草に、藤堂も慌てて口を噤みこくこくと何度も頷く。

藤堂の持ってきた話はこうだった。
露天商をしている女が、眠った赤ん坊を売り物を入れた藤籠で寝かせていた所、藤籠ごと盗まれたと京都町奉行所に駆け込んできたと言うのだ。子供を探して欲しいと奉行所の門前で慌てふためき懇願する女から、たまたま巡察で通りがかった隊士が何事かと話を聞いて来たらしい。

何かと弱い存在が犠牲になるこの世で、この赤ん坊が親に見捨てられたのではないと分かり、斎藤の胸中に小さな安堵が過る。

赤ん坊の母親らしき人物は暫く京都町奉行所に留まると言う話を聞いて、近藤と土方に相談の上、赤ん坊を届けに行く事になった。奉行所には先程伝令を向かわせたので、母親はきっと今か今かと待っているはずだ。
しかし、新撰組の組長が赤ん坊の子守りをしているなどと噂が立っては困る。京に於いての新撰組の評判は、まだ良いとは言えない。そのような不甲斐ない噂が立てば侮蔑の視線を向けられるのは明らかだった。

短い思案の末、斎藤は赤ん坊を贈答品用の大判風呂敷で包み隠す事にした。白布の上からくるりと包み、呼吸が苦しくないよう顔を僅かに覗かせる。念の為にと高級な西陣織の絹風呂敷で包んだせいか、外見は本当に小振りの壺か花瓶を包んでいるように見えた。

準備が整うと、残念そうに手を振る沖田に見送られながら斎藤は屯所を後にした。
作品名:彼と未来と、約束と。 作家名:香 雨水