妖鬼譚
*****
――翌日。
血の様に紅い夕日に照らされたある家の前に白石の姿があった。
静かに佇む白石の視線の先にある表札には『忍足』の文字。
初めて訪れる場所の筈なのにも関わらず、何処か感慨深そうにその文字を暫くの間眺めていた白石だったが、やがて一つ小さく頷くと、その家の備え付けのインターフォンへと手を伸ばす。
ボタンを押すと、ピンポンという甲高い電子音の後、はっきりとした口調の女性の声が流れてきた。
『はい、どちら様でしょうか?』
「謙也君の友達で白石と言います。謙也君に少々お話したい事があるんですが、今ご在宅中でしょうか?」
『白石君?そんな名前、あの子から聞いた記憶あらへんけど……』
と、謙也の母親らしき声は、自分の記憶に無い息子の友人を名乗る者に不信感を抱く。
凶悪犯罪の多い昨今、いきなり見知らぬ者と対面する様な真似をするつもりはないらしい。
そんな警戒心の強い女に内心舌打ちした白石だったが、気を取り直すと一度息を深く吐き出してから、ゆっくりと再度自分の名を名乗る。
「白石蔵ノ介です、分かりませんか?」
『白石、蔵ノ介……』
「そう、忍足謙也の友人の白石蔵ノ介。俺は謙也の友人、せやから家に上げるのを拒否する必要は無い」
『白石、蔵ノ介は、謙也の、友人……せやから、家に上げるのを、拒否する必要は、無い』
最初のハキハキとした声とは打って変わって、うわ言の様に白石の言葉を繰り返す謙也の母。そこへ鋭い口調で疑問が投げ掛けられる。
「さあ、女。俺は謙也に逢いたい。お前はこれからどうすればええんや?」
『私は、白石蔵ノ介を、忍足謙也に、逢わせる為に、この家の中へ、入れる……』
「そう、それでええ」
自分の呪に上手く掛かった事に、満足して薄く微笑みを浮かべた白石がパチンと指を鳴らすと、今のやり取りを忘れてしまったのか、謙也の母は元から知っていた人間を相手にする様に喋り始めた。
『そうやったわ、白石君、久し振りねぇ』
「はい、おばさまは相変わらず声から若々しいですね」
『ややわぁ、白石君はホンマにお世辞が上手いんやから』
クスクスと笑う謙也の母の声を遮る様に、白石は本題を述べてみせた。
「それで、謙也君は今家に居るんですか?」
『ごめんねぇ、まだウチの子、帰って来てへんから、中で待ってて貰ってもええかしら?』
「ええ、構いませんよ……その方が都合がええですから」
『都合?』
「すみません、何でもないですわ」
『そう?ほな、扉開けるさかい、待っててな』
その言葉と共に通話がプツンと切れるなり、中からパタパタと軽やかな足音が近付いてくる。
そして、すぐにドアの鍵の外される音がして、静かに扉が開かれた。
三和土に立つ女性の姿を視界に捉えた瞬間、白石はニィと唇の端を歪めて、醜悪としか言えぬ笑みを浮かべて見せた……。