妖鬼譚
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ガタンと派手な音を立ててベッドの上から転がり落ちた謙也は、目を見開くと、一瞬呆けた後、我に返って周囲を見渡す。
全身がびっしょりと噴き出した汗に濡れている自分が着ているのは、制服ではなくパジャマ。
そして自分の周りを包むのは赤い夕焼けの光ではなく、夜の漆黒の闇。つまり、先程の見た恐ろしい出来事は全て。
「…ゆ……め?」
呆然と呟いた謙也は、ブルリと恐怖に全身を震わせる。
唯の『夢』と呼ぶには余りにも生々しい先程の『出来事』は、謙也の記憶の中にしっかりと焼き付いてしまっていた。
だが、何故だか分からないが、最近見続けている夢と同じ様に家族を惨殺したと思しき男の顔は、ぽっかりと思い出す事が出来ない。
その事に首を傾げた謙也だったが、その前に皆大丈夫なんか確認せな、と慌てて立ち上がると、まず部屋の隅のケージの中に視線を向ける。
そこでは、すやすやと寝床の中で安らかな寝息を立てる可愛い緑色のイグアナの姿があった。その姿に少し安心した謙也は、物音を立てない様にそっと部屋を抜け出ると、隣の弟の部屋のドアを開けて中を見る。
そのベッドの中では、少々生意気な弟が先程のイグアナと同じ様に穏やかな表情で眠りの世界の中を彷徨っている様があった。
更に念の為に両親の寝顔を確認した処で、謙也は少し悩んだ後、自分のベッド脇のテーブルの上に置いていた携帯を掴むと、ある番号を呼び出した。
既に日も変わっているにも関わらず、1コール目で呼び出し音は切れて、すぐに電話の向こうから不機嫌そうな声が聞こえて来た。
「財前!!」
『もしもし?もしかして鬼門でも出たんですか。それな……』
「いや、そうやないねん」
『そうやないんやったら、こない非常識な時間に電話せんといて下さいよ』
「あ……ごめん」
キツい口調で責められ、しょんぼりとなってしまう謙也。
まるでその様が見えているかの様に、一頻り受話器の向こうでクツクツという笑い声を上げた後、光は疑問を口にした。
『で、謙也さんは何でわざわざこない夜遅くに電話して来たんです?』
「いやな……めっちゃ嫌な夢見ててん」
『夢?』
と、光は怪訝そうな声を上げると、まさか、と躊躇い気味に口を開いてみせる。
『それって、怪獣に襲われて家が壊されたとか、世界史のテストで0点取って親に叱られたとか、そない下らないモンやないでしょうね?』
「いやな、家族とお前が……俺の家の中で殺されとる夢やねん。誰に殺されたんかは、分からんかったんやけど……」
『………』
「ごめんな、妙にリアルな夢やったモンやから、お前に何かあったんやないかって心配になってしもてん。でも、財前も何もなさそうで良かったわ」
『……謙也さん、アンタの家族、何とも無かったんですか?』
と、いきなりからかう様な雰囲気を一変させたかの様な真剣な声で訊ねられ、家族には何ら異変が起きていなかった事を告げると、光は安堵の息を零した。
その反応を不思議に思っていると、すぐにその答えが受話器の向こう側から聞こえてきた。
『夢ってモンは、ただの幻想なんかやないんですわ。知りたい事を夢として観てそれを読み解く【夢占】や何らかの情報を夢で観る【予知夢】なんてモンがあるように、夢は過去や未来を暗示するモンなんです。特に現実と区別が付かへん程リアルな夢は、何かの予兆を無意識のウチにアンタが感じ取ったって事に等しいとも考えられます』
例えそれが何の事なのかは本人には分からないにしろ、と、光は謙也に夢の可能性について説明する。
その言葉を聞いて、えっ、と謙也は血相を変える。
「つまり、あんな事が未来に起こるっちゅー事なんか!?」
『まあ、さっきはあないな事言いましたけど、【夢占】や【予知夢】なんてあやふやなモンは、専門の奴でも無い限りそう簡単には当たりませんし、普通に寝覚めの悪い夢観たって事でさっさと忘れた方がええと思います』
「……そやな」
さっさと寝て、嫌な事は忘れてしまおうと決めた謙也は、夜も遅いので電話を切ろうとしたが、それを呼び止める様に自分の名が呼ばれる。
『謙也さん』
「ん、何?」
『俺ん事、心配してくれて有難うございます』
「そない礼なんて言わんでや。単に俺が変な夢観ただけっちゅー話や」
『別に言いたかったから言っただけなんで、気にせんといて下さい。ほな、もう遅いんで寝ます。おやすみなさい』
「ん、また明日な〜」
切れた電話を再び机の上に戻して、ベッドに横になった謙也は、先程の光の言葉を思い返す。
『夢ってモンはただの幻想やない、何らかの過去や未来を暗示するモンなんです』
実はそれを聞いた時、謙也の脳裏に浮かんだのは、先程の恐ろしい『悪夢』ではなく、何時も観ているあの『夢』の存在。
あの繰り返し観る奇妙な夢にも、何らかの理由があるのだろうか、そう思いながら、今度はいい夢が見れるように願いつつ、謙也は目蓋を閉じたのだった。