妖鬼譚
「しら、石……?」
「お帰り、謙也」
全ての家族を失い、深く傷付いた謙也の心を癒す様な微笑みを浮かべる白石。彼は、両手を広げると呆然と佇む謙也へ向かって差し伸べてきた。
「謙也、迎えに来たで。一緒に帰ろう」
――此処は俺の家で、何処へ帰ろうというのか?
それは分からなかったが、白石は俺の帰るべき場所を知っている。
そして俺をずっと呼んでいたのは、他でもない、白石だ。
そう確信した謙也は、フラフラとsの元へと足を踏み出すと、そのまま彼の胸の中へと飛び込もうとした。
だがその刹那、凍り付いた様に動きを止める。
謙也の動きを釘付けにしたのは、前に逢った時には解れすら無かった筈の彼の左腕の繃帯に、幾つもベットリとこびり付いている赤黒い汚れ。
そう、それはまるで人を殺して、その返り血でも浴びたかの様な染み。
「白石、まさか、お前……」
「ごめんな、謙也。お前のご両親も弟君も、皆えぇ人達やった。せやけど、どうしても殺さなあかんかったんや」
「……ッ、何で、何で俺の家族を殺した!?」
自分を抱き締めようとする手を跳ね除けた謙也は、大きく飛び退いて距離を取ると、その視線で射殺す事が出来ると思わせる程の強さで悲しげな顔をする白石を睨み付けた。
そんな風に謙也に敵意を剥き出しにされた白石は、秀麗な顔に憂いを浮かべて謙也の質問に答える。
「謙也を元に戻すのには、謙也の『今の家族』の存在は邪魔やってん」
「邪魔、やと……?」
信じられない言葉を聞いたかのように、白石の言葉を繰り返す謙也。そんな謙也に対し白石は、懇願する様に言葉を続けた。
「お前と俺を阻む血の軛は、全て破壊したんや。なあ、謙也、俺の事、思い出してくれてもええやろ?愛してるのは俺だけやって、また前みたいに言うてや、なぁ!!」
「なっ、何言うてんのや、お前!?人殺しッ、お前なんか嫌いや、死ね!!いや、俺がお前を殺したるわ!!!!」
「謙也……」
「俺の名前を呼ぶなぁッ!!」
「白石、今は無理ばい、諦めるとよ」
必死に謙也を求める白石とそれを全力で拒絶する謙也の間に割って入る様に、いきなり窓の外から白石の行動を窘める声がする。
と、次の瞬間、窓からひらりと部屋の中に飛び込んで来たのは、謙也にとっては余りにも予想外の人物。
「千歳……!?」
「今日はもう帰るとよ、白石」
「何しに来たんや、千歳!?俺は謙也を連れて帰るんや!!」
嫌や嫌やと首を激しく横に振って、まるで幼子の様に駄々を捏ね始める白石に、千歳は呆れた様に深々と溜息を零す。
「白石、今謙也君に何て言われたか分かると?謙也君は白石が嫌いば言ったとね」
「嘘や、謙也が俺にそないな事言う訳ない!!」
「嘘じゃなかよ。ね、謙也君」
と、訊ねられた謙也だが、白石の仲間と思しき者に何も言うつもりはないのか、鋭く睨み返すばかりで何も反応を返そうとはしない。
そんな態度に、俺も嫌われてしまったとよ、と千歳は人の良さそうな顔に困った表情を浮かべた。
自分以外にも冷たい視線を向ける謙也に諦めがついたのか、白石は今にも泣き出しそうな表情で苦しげに別れの言葉を口にする。
「謙也、また迎えに来るから、ちゃんと俺の事、思い出してな」
「もう二度と俺の前に来んなや!!」
「謙也君、また今度な」
と、二人は開いていた窓の外に向かってその身を投げると、そのまま夜の闇の中へ溶け込む様に姿を消した。
「白石、蔵ノ介……」
誰も居なくなった部屋の中、家族の仇の名を、憎しみを籠めて呟いた筈の謙也だったが、何故かその言葉は甘く切ない響きを帯びている事に気付き、それを打ち消すように自分の頬を殴る。
そして、殺された家族を思い、漸く悲嘆の涙を零したのだった。