妖鬼譚
「け、謙也さん!?」
「………」
「大丈夫ですか!?手、痛いんですか?」
「ちゃうんや、手は痛くなんかない、そうやない」
そう言いながら、ポロポロと後から後から溢れ出す涙を拭いもせず、俯せに倒れている白石の身体を仰向けにすると、穏やかな表情を浮かべて永遠の眠りに付いている彼の手を、傷付いて血に塗れた自分の手で取る。
「コイツん事、嫌いや言うてたけど……やっぱり、俺ん中に好きやって気持ちも何でか分からんけどあんのや……」
今の俺やなくて、多分過去の『忍足謙也』の気持ちなんやろうけどな、と、指の傷口が開いてしまうのも構わず、強く白石の手を握り締める。
「白石なんか嫌いやのに、何で殺してまったんやって……いや、死んでええねん、ちゃう、殺すなんて嫌や!!……ああああああ、もう頭ん中ぐちゃぐちゃで訳分からん!!」
と、あれだけ憎んですらいた筈の白石の死を受け入れられないのか、自分の中を荒れ狂う感情の嵐を整理する事が出来ない謙也は、頭を激しく振ってみせる。
そんな姿に、光は黙って立ち上がると、懐から新たに一枚の深緋色の札を取り出して、静かに混乱の渦の中にいる謙也へと呼び掛けた。
「謙也さん、少しそこから離れて下さい」
「財前?」
「ええから早く」
「お、おん……」
光の言葉の迫力に圧されるまま、謙也は立ち上がって白石から数歩距離を取る。
それを確認した処で、光は手にしていた符を鬼門の額へ貼ると、静かに数言の呪を唱えた。
―その瞬間、額の符から噴出した炎が白石の身体を包み込んだ。
「財前!?」
燃え盛る業火の中に無防備に投げ出された白石の亡骸は、謙也が息を呑む間にも燃え尽きて白い灰へと変わっていく。
「な、何すんねん、お前ッ!?」
「……"酒呑童子"白石蔵ノ介を消滅させたんはアンタやない、俺です」
錯乱した表情で胸倉を掴む謙也に対し、堅い表情を浮かべた光は、淡々と突き放す様に言葉を続ける。
「謙也さんがこの鬼門殺しの業を背負う必要は無いです。素直に俺を憎んで下さい、アンタの大切な者を殺した奴として」
その言葉を聞いた瞬間、今迄何処か虚ろだった謙也の瞳にはっきりとした意思の光が宿る。
そして、その瞳にはみるみるうちに透明な膜が張ると、堰を切ったように涙が零れ落ちた。
「……ッ、ド阿呆ォッ!!そないな事、出来る訳ないやろ……」
「謙也さんがそれで楽になるんやったら、俺は構いません」
「お前、阿呆や、ホンマに阿呆や……」
「好きな人が苦しむ姿なんて、見たないんです」
―せやから、そないに泣かないで下さい。
そう言って手を伸ばして愛しい人の頬を伝う涙を微笑む光。
その優しい指先を受けて、謙也は涙を堪えると、一度きちんと頭を下げてみせた。
「おおきにな、財前。でも、ちゃんと白石を殺したんは俺やって、受け止めてやらんと、死んだ白石も浮かばれへんし、それに俺の中の『忍足謙也』も納得せんよ」
「でも、アンタはそれでえぇんですか!?」
「ホンマ、お前は優しい奴やな。俺、財前の……光の事を好きで良かった」
「別に俺は……って、い、今、アンタ、何て言うたんですか!?」
「……一回しか言わんから、もう言わへん!」
「ちょっ、ちゃんともう一回言うて下さいよ!!」
慌てた表情を浮かべた光に対し、弾けたように笑った謙也の顔には、もう迷いや憂いの陰は残っていない。
その笑顔を受けたかの様に、真っ白な灰が花弁の様に風に舞って、二人を取り巻いたのだった……
〜了〜