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可愛いあの子

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「きり丸ーっ! お前なぁっ!」

「ひぇぇっ! 勘弁してくださいよぉせんせーっ! 俺だって、学費のために仕方なくやってんすからぁっ!」

「アルバイトはそうだろうが、女装は違うだろう女装はぁっ!」

ごっつん、ととうとう頭にどでかい一発を喰らって、きり丸はやむなく地面に沈んだ。
土井に見つからないようこっそり勝手口から出ようとしたが、気配を察したらしい土井の行動は忍術学園の教師というだけあってさすがに素早い。慌てて飛び出そうとした襟首を掴まれ、引き戻された後はご覧の通りだ。

「女装の何が悪いんすかぁっ! 山田先生だってしてるじゃないすかしょっちゅう!」

「山田先生は忍術として必要に迫られて女装なさっているんだっ!」

「絶対趣味ですよあれは……」

じとー、ときり丸に見つめられては、土井も返す言葉がない。思わずうっと詰まった。

「それに、必要に迫られてるってんなら俺も同じです! 女装の方が圧倒的に儲かるんすもん!」

「しかしなぁ!」

身を乗り出してきたきり丸に押されまいと、土井も同じように身を乗り出す。
長屋の勝手口で、教師と生徒が早朝から顔を突き合わせてにらめっこだ。

きり丸はひかない。ひくわけにはいかないのだ。
今日は既に花売りのバイトを取り付けてある。花売りなんてのは当然女の子でなければ務まらない。しかも、今日のアルバイトは完売したら報酬を割り増ししてもらう約束までしているのだ。これはもう、絶対にひくわけにはいかない。

なんとしてでも行かせてもらう、と固い決意をこめた目でじーっと土井を見上げ続けていたきり丸だが、ふと土井の様子がおかしいことに気がついた。

「……?」

にらめっこをしていたはずの土井の視線が、どこか焦点の合っていない気がして、きり丸は不思議に思って首を傾げた。反応のない土井の目の前で、ヒラヒラと手を振ってみる。

「……せんせー?」

「ハッ!」

あからさまな声をあげて、土井は我に返った。ばっと身を引き、何やら慌てた様子でぶんぶんと手を振ってくる。

「違う! 違うんだきり丸!」

「はぁ? 何が違うんすか?」

突然の土井の行動が理解できず、きり丸は思いっきり顔をしかめて首を傾げる。
その反応に土井はパチクリと目を瞬かせて、それからなんとも歯切れの悪い返事をした。

「い、いや……別に何でも……」

「ふーん。じゃ、俺行きますからっ」

「あ、あぁ……。……って、違う! きり丸っ、まだ話はっ!!」

再び慌てる土井を尻目に、完全に好機を捉えたきり丸は既に長屋を飛び出して行ってしまっている。要領の良さは、自覚している。





「やー、賄いまで貰っちゃって、今日はいい日だったなー! 来週もお願いされちまったし、いやーバイトの予定が入ってるって幸せだなぁ〜」

帰り道。
ほくほく顔のきり丸は、両手に小銭袋とお土産にもらった野菜かごを抱えてご機嫌である。
長屋が見えてきたところで、自分たちの住む一室のお勝手からふわふわと湯気が漂っていることに首を傾げた。料理は専ら自分の担当である。担当、というよりも、ドケチゆえに食材を他人に触らせないと言った方が正しい。

「ただいまぁー!」

慌てて上がり込むと、予想通りお勝手で土井が炊事をしている。飛び込んできたきり丸を見ると「おかえり」と言って頭をかいた。

「すまん、どうにも暇を持て余してな。たまには夕飯でも、と思って」

「なんすかもー、それなら内職のバイトでも手伝ってくれてればよかったのに」

「〜〜お前は、何か他に言えんのかっ」

「いやいや、冗談っすよ〜。俺だって先生のご飯嫌いじゃないっすもん。ただぁ、合計いくら使ったのかなぁって……」

「お前は、まーたそれかっ」

たまりかねた土井の一発が、今日もきり丸の頭にごつんと響く。いってー、と泣いてみせながらきり丸は土井の隣から火にかけられた鍋を覗き込んだ。

「おっ、おでんだぁ! 俺大根が好きなんすよね〜」

「昔はよく作ってたんだが……お前が来てからは任せっきりで味付けも忘れてしまったよ。自信がないんだが、ちょっと味見してくれないか」

「ん、どれどれ」

お玉に口をつけて、きり丸はちょいと小首を傾げた。

「んー、うまいんすけど、あれっす。砂糖っす」

「砂糖? おでんに砂糖を入れるのか?」

「隠し味っすよ。コクが出るんです。本当は勿体ないんで嫌なんすけどぉ、今日は先生が作ってくれたから特別です」

言いながら、きり丸は土井を押しのけて砂糖を加え、味見をし再度その辺の調味料を慣れた手つきでパッパと放り込んだ。その際に、商売道具の女装用小袖を汚さないように裾をサッと押さえるのも忘れない。
今日は儲かったし野菜のお土産もある。多少の贅沢は目を瞑ろうと、きり丸はドケチの葛藤と戦いながら「ダシ、もうちょっと」と考えた。

「先生、そこの昆布取ってください」

丁寧に灰汁を取りながら呼びかけた。
だが、反応がない。あれ? と思ってきり丸は隣に立つ土井を振り返った。土井は確かにそこにいてこちらを見下ろしてきていたが、どこかポカンとして気の抜けた様子だ。

「……先生?」

首を傾げ、眉をひそめてじーと覗き込むと、土井は一度パチクリと瞬きをして、それから大仰に仰け反った。

「なっ!! なんだっ!?」

「そりゃこっちの台詞っすよ! 先生、どうしちゃったんですか? 朝から何か変っすよ、ボーッとしちゃって」

ポイと昆布を放り込んで、きり丸は土井にしっかりと向き直り腰に手をあて覗き込んだ。
じとー、と教え子に睨まれて、土井はますます慌てた様子で後ずさる。

「い、いや何でもない。何でもないんだ」

「何でもないってこたないでしょ。朝も急にボケッとしちゃって、まぁ俺はそのおかげでバイト行けて助かりましたけどぉ」

「あっ! そ、そうだ! お前っ、あれほど言ったのにまたその格好でバイトに!」

「おっとっと、沸騰しちゃう〜はいはい、先生おでん出来ましたよ〜」

都合良く鍋に向き直り、にへ〜と確信犯の笑みを浮かべてくるきり丸に、土井はハァ、と全身でため息をついてみせた。





「いただきます」

向き合って座る、いつもの食卓。
だがひとつ、普段と異なる点がある。

椀に口をつけながら、土井はチラときり丸に視線をやった。

「……きり丸」

「あい?」

モグモグと大根を頬張りながら顔をあげたきり丸に、土井はしかめ面で返す。

「……何故、それを脱がんのだ」

「え? ……あぁ〜」

何のことかとキョトンとしたきり丸は、それからようやく己の格好を指していると気づいて頷いた。

「どうせ今日着たら洗おうと思ってたんで、勿体ないから風呂に入る直前まで着てようかと」

「……食べ終わったらすぐに風呂に入りなさい」

えー、ときり丸は口を尖らせた。

「なんでですかー。どうせ洗うなら今日一日ギリギリまで着てた方が得じゃないですか〜」

「……大事な商売道具なら、なるべく消耗しない方がいいんじゃないか」

ピン、ときり丸の背筋が伸びた。

「それもそうっすね! 早く風呂入って着替えます!」
作品名:可愛いあの子 作家名:黒霧ねお