Monster
石田三成が校舎の三階の特別教室から飛び降りた。
その情報は瞬く間に広まった。
ただし、二階部分に張り出した手すりに当たって減速したため、意識は失ったものの全身の打撲程度で済んだ。
だが彼を取り巻く状況は同学年ならほぼ全員が知っていた。その特別教室に、確執の原因たる徳川家康がいたことで、一層口さがない噂が駆け廻った。
「お前に突き落とされたとか言い出したら、」
家康の友人は、少し青褪めながらも力づけるように言った。
「絶対嘘だって、教師にも警察にも言ってやるから」
それよりもずっと、紙のように真白い顔をした家康は、弱弱しく首を振った。
「きっとワシが落としたようなもんだ」
あの瞬間、家康が名を呼ぼうとした瞬間に、三成は箒を捨てて両耳を塞いだ。そして獣のように咆哮しながら、家康が立ち尽くしていた教室の入り口とは反対側へ――窓へ向かって、そのまま少しも速度を緩めず空中へ身を投げた。
家康は三成が走り出した瞬間に駆け寄ったが、伸ばした手はかすりもしなかった。
その後のことは悪夢のようだ。
だが、意識を取り戻した三成は落下の原因を問われて「自分から落ちた」と断言した。
そもそもの落ちた理由を問われても、「わからない」とだけ言っているという。
そのことを家康は友人のひとりから聞いた。「アイツもたまにはまともなんだな、」友人はほっとしたように、放心して呟いていた。
家康はその日、陽が落ちてから、養父に黙って家を抜け出した。
三成は病室で天井を見詰めていた。
病院の天井は、どこか施設の天井にも似ている。
無機質だといわれる造りは案外慣れていて心地よく、三成はうとうととしながら天井を見詰めている。だが、次の瞬間、三成はその眉間に皺を寄せて、「誰だ」と硬質な声で訊いた。
答えはわかっていたが。
「……怪我は、大丈夫か、」
声は、扉越しの廊下から聞こえてきた。面会時間はとっくに過ぎているはずだが、三成はそれを無視して嗤った。
「貴様に問われる筋合いはない」
漏れてくる気配がぴんと張り詰める。
「―――どうして、ワシのせいだと言わなかった?」
三成はまたしても腹の底で怪物がうねるのを感じた。怒り、憎しみ、それだけでは表現できないほどの黒々とした感情が三成を捕まえて離さない。
――――――なぜだ?
この感情は、どこからうまれる?
三成は、それまであえて無視していた問いを心の中で呟いた。
「貴様のことなど口にもしたくない」
それは本心だった。廊下の人物は、しばらく沈黙したのちに、そっと尋ねた。
「……名前を呼んでもいいか」
「厭だ」
「…………呼んでも、今は、飛び降りないだろう?」
苦い、くるしい、つらい、そう叫びだしそうな口調だ。三成は薄らと目を細めた。
「三成」
だから一度くらいは黙殺した。
「教えてくれ。話をしてくれ。
こんなことが続くのは耐えられない。
どうしてなんだ。
何で、お前はワシを憎むんだ」
三成は、天井を見詰めながら答えた。
「私が知るか。」
家康もまた気付いていたのだろう。驚愕の気配はなかった。
確たる理由もなく、些細なきっかけすらなく、それでも三成は廊下で立ち尽くす少年の存在がゆるせない。
「だが、貴様のせいだ。
それだけは確かだ」
家康はそっと目を閉じて、閉じたきりの病室の外でうなだれた。
彼もまた、知っていた。
そう、それだけは確かだった。