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Insomnia

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 うっすらと開けた自分の目に涙が溜まっている。じっとりと身体を苛む熱を持て余して、しめった息を吐き出した。身体をわずか離されて、あったかくなった手のひらに両頬を挟まれる。僕を見上げるノーレもまた頬を染めて、しかし癪なことに、僕とは違ってまだまだ余裕たっぷりだ。
「そういや、いつからだべな」
「え?」
「おめが俺を《お兄ちゃん》って呼ばんようになったのは」
「な、っ!」
 目を見開いて、僕はノーレから逃れようとするのだけれど、頬をがっちりと固定している腕はびくともしない。元ヤンの腕力は現在でも健在だった。
「な、なにそれ、信じらんない」
 どうして今、それを言う。よりにもよって熱烈なキスを交わしている合間の会話とは思えない。
「知らないよ!」
「知らんこだぁねぇだろ、おめのことだべ」
「ど、どうでもいいでしょっ」
「いんや、よがねぇ」
 ノーレを「お兄ちゃん」なんて呼んでいたのは遥か昔のこと。今は彼を名前で呼んでいる。ヒトは大人になるごとに、お兄ちゃんだなんて子どもじみた呼び方をしなくなるものだと決まっているのに。
 ノーレはこれで案外、一度こうと決めたら梃子でも動かない。しぶしぶ、僕は口を開く。
「最初は、ほんもののお兄ちゃんになってほしかった、から」
「ほんもの、け」
「……うん」
 何度もノーレをお兄ちゃんと呼び続けたら、僕の実の兄になってくれると、なかば本気で信じていた。子どもの考えそうなことだ、笑ってしまう。
「今は違うんけ?」
「違うよ!」
 強く否定すれば、ノーレが眉根を寄せた。不機嫌とも悲しみともつかぬ表情。僕は慌てて、しどろもどろになりながら弁解した。
「いや、ノーレが嫌いになったとか、兄じゃなかったらよかったとか、そういうことじゃなくって!」
 というか、なんで僕はこんな恥ずかしいことを言わされてるんだろう。
 身体の力を抜いてノーレにもたれかかった。より彼と接する面が大きくなって、じわりと熱が移ってくる。さらしたうなじにくすぐったい感触。そこに、キスをされている。
「キスとか、抱きついたりとか……そういうことするのって、そんなに好きだとも思ってなかったけど、さ」
「そうには見えねぇがなぁ」
 く、と息をのむ。「……そうだよ、ノーレ限定なんだよ!」
 ヒトと身体を重ねることはあっても、男性体として溜まるものをたまに吐き出すためのそれは、まあ気持ちいいのはいいけど、それだけのことだ。キスだってハグだって、あいさつ程度のもの。
「だから、DNA調査の結果を見た時は、びっくりした」
 おさない僕の願いは叶ってしまった。
 喜びと、同じだけの不安。
 すり、と身をすりよせる。今はここに誰もいない。僕たちのする秘めやかな触れ合いを咎め立てるひとは、誰も。
「ね、ノーレ」
「うん?」
「ほんものの兄弟なら、こんなことしちゃいけないんだよ」
 兄弟なのに。まるで恋人みたいな接触。でも、急に実の兄弟だなんて言われても、困る。それよりも、まがいものの兄弟だった時間の方が遥かに長いのだから。慣習なんて今さら変えられない。
 ややあって、「アイス、」と呼ぶ声。
「おめは、俺のことが好きか?」
「わかんない」
 肉親としてではなく、異性に向けられるべき《恋愛感情》をノーレに抱いているのか?――わからない。たぶん、違うと思う。あるいは、僕が自覚していないだけかもしれないけれど。
「そうけ」
 なぜか、納得したようにノーレは短くそう言う。
「『こんなことしちゃいけない』、だがら、俺がキスをせんようになると思ったんけ?」
 こくり。うなずく。そうなれば僕はまたあてどなく、僕の《安眠剤》を探さなければ。
 ふふ、とひそやかな笑い声が聞こえた気がした。あのノーレが声を上げて笑っている?顔を上げて確かめようにもそれはかなわない、彼の胸元に顔を押しつけるようにして、抱きしめられたから。
 ゆっくりと、腕に力がこもっていく。じんわりと。いとおしくて堪らない、そう言わんばかりに。
「俺も別に、《恋人同士》の睦み事の延長として、おめとこうしどる訳でもねぇ」
「え?」
「気持ちええから。それに、安心しきったアイスがめんげぇからな」
「な……!」
 またこのひとは、素でしれっと恥ずかしいことを!
 力づくでノーレの身体を引っぺがすと、彼は悪そうな顔をしてによによと笑っていた。いやらしい笑みを、ちょっとだけやさしげなそれに替えて。彼はするりと僕の頬を撫でる。
「眠れねぇ時は、いつだってこうしでやっがら。いつでも頼って来(こ)」
 嬉しくて、でもそれを覆い隠す不機嫌な顔を装って。
 僕はノーレの両肩に手をついて、反撃を試みる。
「それなら、あのね」
「うん?」
「ぐっすり眠るためには、適度な運動も効果的なんだよね」
 濃密なキスの先にあるべきもの。知ってる?と水を向ければ、ノーレは眉間にしわを寄せた。
「誰が入れ知恵したべ、んなこと」
「やだなぁ、僕たちもう子どもじゃないんだよ?」
 この先に何があるのか、どうすればいいのか、知ってるんでしょ?ねえ教えて。
 僕の誘いにノーレは――
「……アイス」
「んむぅ、」
 また唇に吸いついて。熱くなる呼吸の合間、ノーレは婀娜な笑みを浮かべる。
「調子に乗るでねぇ、いつか本当に喰われっど?」

 さて、この先に進むか否か。もっと強い安眠剤を処方してもらうか、それは僕の不眠症の具合にもよる。今はノーレがいるだけでよく眠れているから、まだ必要はなさそうだけれど。




End.
作品名:Insomnia 作家名:美緒