on your mind
きみにだけは、目を逸らされたくない。
そう言ったら、どうしますか。
on your mind
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「で、どう思う? オデコくん」
「アンタは阿呆ですか」
「……言うと思ったよ」
昼下がりの成歩堂なんでも事務所。稼ぎ頭たる少女は義務教育中、その保護者は……よく理由は知らないが、外出中。
ただ今の事務所内人口は2名、内訳は所員1名と来客1名。つまり、ぼく。
「オデコくんはドライだよね。ぼくはこんなにきみを愛しているのに」
「異議あり! ……というかアンタの存在そのものに異議を申し立てたいんですけど」
「却下」
「……裁判長でもないくせに」
「どうせ司法試験には受かってるんだし、同じ同じ」
「それならオレも同じなんですが」
「きみ、知ってる? 裁くのは裁判長じゃなくて、検事なんだよ」
「はあ?」
「昔、そんなことを断言した検事がいたって、聞いたことがある」
「……今、その人はどうなってるんですか」
「さあ? 少なくとも、ぼくは実際に見たことないね」
「…………とりあえず、牙流検事」
ひとつ深いため息をついて、彼はくるりと振り返った。片手にハタキを持って、頭にはホコリ避けだろう、白い布をかぶっている。
その特徴たるピンと立った前髪のせいで、まるでステレオタイプの幽霊みたいな感じに見えるけれど、その布のすみっこに赤い糸で不器用に刺繍された、「なるほどうみぬき」という名前。
それに気づくと一気に微笑ましさが押し寄せてきて、思わずぼくは笑ってしまった。
「なんですか、いきなり」
「いや、ゴメンゴメン。つい」
む、と眉間に皺を寄せる彼の顔もなかなか悪くないけれど、これ以上笑ったら本格的にご機嫌を損ねそうな気がするから、急いで表情をなだめるものに変える。
いつも通り、牙流響也の完璧な笑顔に。
「とにかく。オレは今、忙しいんです」
「そうみたいだね。それ、今日中に終わるの?」
「……こういうのは、日々の積み重ねが大切なんです」
「つまり、終わらないんだ。つまんないの」
「あなたの感想は聞いていません」
「オデコくん、冷たいね」
「そう思うのなら、どうぞお帰りください」
言いながら、ハタキで扉をひと指し。何の洒落っ気もない朴訥といっていいくらいの仕草だけれど、入った力のせいなのか、それは妙なくらいに大仰に思えた。
つられたように(というかお義理、だね)視線だけはそちらに向けたけれど、それもすぐに彼の顔に戻して、それこそ芝居のようにおおげさに肩をすくめて見せる。
「仮にもお客様に、その態度はどうなの?」
「お客様相手ならこんなことするわけないじゃないですか」
そもそも、お客だと言うのなら、呑気に掃除なんかしてないでお茶のひとつも淹れています、という王泥喜法介は、相手に動じる気配がないのを見てとるや、心底忌々しげに舌打ちして、再び掃除に精を出し始めた。
小さな黄色いハタキで丁寧に家具の上を払い、積もった埃を落としていく。
彼の視線の先にあるのは、きちんと読まれているのか非常に疑わしい(そのくせ妙に質の揃った)書籍の類いであったり、ぼくには、恐らくは彼にも用途の不明ないくつかの突拍子もない代物であったり。
優しげな手つきに、うっかりロウ細工のスパゲッティナポリタンに嫉妬を覚えてしまう。
例えそれが彼の仕事の一環だから、なのだとしても、ほんの束の間なのだとしても、彼の視線を独り占めして、彼に手ずからきれいにしてもらえるなんて、それは何と言う幸福なのだろう。
しかもそれがルーティンワークだと言うのなら、それさえ、それこそ、願ったり叶ったりではないか。
「……牙流検事」
「なんだい?」
「妙なことを考えるのはやめていただけませんか」
「何のことかな?」
「あのですね。丸わかりなんですけど」
はあ、とひとつため息を聞いて、ようやく君の視線が戻ってきた。
これで今日この事務所に来てから、通算2分は突破かな? 別に正確に数えてるわけじゃないけど。
まあ、考えるのをやめろいうお達しだし。黙って考えるのはやめにしようか。
「ねえ、オデコくん」
「何ですか」
「ぼくがこの事務所にいたら、きみ、ぼくのことも毎日きれいにしてくれる?」
「……はあ?」
「だって、それがきみの毎日の仕事なんだろう」
「…………オレはときどき、切実に、あなたの頭の中身を食器洗浄機にでも放り込みたくなるんですが」
「あ、その方法は愛がないね。是非ともきみの手でお願いしたいな」
「じゃ、なくて、ですね」
ふと、オデコくんはなぜか手にしたハタキを一振りした。軽く手で撫ぜてから、改めて、というようにぼくに突きつける。
「オレが掃除するのは、事務所の備品だけです」
「だから、ぼくが事務所の備品になったら、ってハナシ」
「何が湧いてるんですか、あなたのその頭の中には」
「とりあえず、オデコくんへの尽きせぬ愛がこんこんと」
「そん中に焼けた石炭でも放り込んだら、少しはマトモになるんですかね」
「どうだろうね。そうしたらきっと蒸発したぼくの愛が世界中に広がっていくんだろうね。それはそれでいいかも」
「人々の耳のみならず肺や脳まで汚染するつもりですかあなた」
「……オデコくん、すっごく地味にひどいんだけど、それ」
それは知っているけどね。彼がロックの類いが苦手だってことくらい。ついでに言えば、その中でもガリューウェーブの曲が特に嫌いだってことくらい。
だけれどその言い様はないんじゃないかと、正直、常々、思っている。
クッションもとうに潰れて硬いばかりのソファだってのに思わず沈み込みかけた。ときどき、彼の言葉は心にイタイ。……たぶん、ときどき。ということにしておく。主にぼく自身のために。
頭を振って気を取り直して、ついでだから立ち上がることにした。
黙ってソファに座っていたら、まずもって、彼は視線も関心も向けようとはしてくれない。
途切れずに話しかけたって、素っ気ない相槌が返ってくるだけ。だったらもう、後は行動に移す以外に選択肢なんてない、よね。
不審げな目でこちらを見ている彼の頭の角度が、近づくにつれて上がってくる。
成人男性としては妙に小柄な彼は、近距離でぼくと目を合わせるためには、けっこう見上げなくてはならなくて、そのことに、知らず笑みが浮かんでいたらしい。
彼の眉間に小さく眉が寄ったことで、自分がどんな顔でいるのかを自覚させられた。
だって、ね。仕方ないじゃないか。
嬉しかったんだから。
「ねえ、オデコくん。さっきから、ぼくは言っているんだけど」
何が嬉しいって。当然、彼の目が、ぼくに向けられていること。
作品名:on your mind 作家名:物体もじ。