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籠に鳥、雪には光り 花の舞う

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 あぁ、うつくしいですわね。と、女が言った。――とても、とても、とても、うつくしい――。一拍置いて同じ意味の言葉を声にした女の、けれどそれは強調の意味を持たず、ただ繰り返されただけのものだと山崎には知れた。そしてそれきり、女は黙ってしまう。――何か、話さなければ。何か、声を出さなければ――。そう思いはするけれど、女の真意をはかりかねている山崎には、気の利いた返事を返すどころか、相槌を打つことさえできず、結局ただ黙って女の横に座っているばかりである。
 そもそも、女はほんとうに自分へ話しかけたのだろうか。今聞こえた声は、ほんとうに現実のものだろうか――。山崎は、そんなことを考え始めていた。それというのも、女の口振りがまるで現実と乖離していて、ふわふわと、さわさわと、意味を持たない言葉を言っているように山崎へ感じさせるものであったからだ。確かに、女と山崎の眼前に広がる風景は、うつくしいものである。ひとの手によって、寸分の狂いなく整えられた樹木や草花、水の流れが、しかし嘘のにおいを感じさせず、当然の顔をしてそこにあり、ひららと舞い下りるのは、おおきく枝を広げた櫻の樹――そこから散る、花びらだ。更には、どんな神の趣向だろう、半ば融け、きららと光りを纏うしろい六花が、天から降り下りて――それは、一枚の絵のようにうつくしい庭園の風景だった。だから、女の言うことは決して間違ってはいない。間違ってはいないのだけれど、しかし女の言うそれは、この目に映るうつくしいものとはまったく関係のないもののように、山崎には聴こえたのだった。何か音がなければならなかったから、声を出した、とでもいう風に。
 それに――。山崎は、ちらりと女の顔を窺った。――それに、この女は睛が。だから。
 やまざきさん。と今度は、女は山崎の名を呼んでいた。山崎が意識を向けたのを感じ取ったようなタイミングだった。この屋敷を訪れ、女の住まうこの離れへ通されたときに、挨拶と共に名前は告げてあったから、女がそれを使って呼ぶのは当然のこと。それなのに山崎は、女がやわらかにそう呼んだ途端、何故かひどく落ち着かない気持ちになった。うつくしいというのなら、この庭もそうだが、女も、女の声もまた、そうなのである。女はその全体が、こわれものとして扱わざるをえない、硝子細工に似ていた。江戸の真中に建つ城に住まう、未だ幼い姫よりも尚――女がそのどこをとってもみても「少女めいた」とは表現しようのない見掛けである分、その儚さは際立つ。そしてそれが故の、女のうつくしさだ。山崎はざわざわとする胸を隠し、はい、と応えた。すこし、声が掠れた。
 緊張、しておられますね。女が言う。「ふふ」と、そう聞こえるのは、どうやら女は笑っているのだ。


 山崎がこの女の許を訪ねた用向き――それは言ってしまえば、『任務』の一言に尽きた。と言っても、聞き込みや何やという探索・監察に類される、通常のそれではない。そもそも正式な――例えば文書に残るような――それでもなかった。通常のそれよりも遥かに人目を憚る、非公式な存在への、非公式な訪問。そんな、非公式な任務。それが、今日の山崎の仕事なのである。書類の上では、山崎が訪れているのはこの屋敷ではなく、幕府の適当な他の機関になっている筈で、そこに書かれた訪問理由もそれに似たようなもの。何重にもこの現実は隠されていて、山崎が女の独白めいた言葉に現実感を感じなかったのも、もしかしたらそのせいかもしれなかった。
 ほんとうであれば、ここは山崎が来るような場所ではない。真選組が関わりを持つような場所ではないはずだった。しかし――現実として山崎は、庭を臨むこの縁側に座っていて、しかもそれは女のすぐ右隣である。山崎の任務は、つまり『伝令』だった。いずこかから出された女への手紙を渡し、その返答を受け取ったのち、帰還する。山崎の持ち帰った返答は、局長伝いにいずこかへゆく――。真選組本来の仕事から大きく逸脱していることは瞭かで、しかし局長直々のこの任務――山崎が密使に使われるということ自体が、偽装のひとつになっているのかもしれない。山崎はそう考えた。もとより山崎へ知らされていることはほんの僅かで、例えば手紙の内容を山崎は知らされていないし、おそらくそれは近藤も同じなのだろう。ただひとつ、山崎には訪れた先がこの屋敷だという時点で、知らされてはいないが知っていることがあった。監察という役のもたらした知識である。近藤よりも松平よりも更に上にいる、今回の任務を山崎へ与えた『彼ら』が、山崎がそれを知っているということを知っているかどうかは、定かではないが。
 どこから仕入れた情報かは朧だが、曰く――ここに住んでいるのは、未来視だと。


 ただ、女は、分かっている。山崎は何となく、そう感じていた。思うのでもなく、考えるのでもなく。
 やまざきさんは、こういうところははじめてでいらっしゃいますのね。どこか楽しげな色を含んだ声で、女が声を使った。女の声は、山崎のなかへしずくを落とし、さわわと紋を広げるように響く。はい、と山崎は同じ返事を返した。それが、精一杯だったのだ。女の言うように、自分は緊張している。そんな山崎にはお構いなしに、女は言葉を続けた。どちらからいらっしゃったのかは、わかりませんけれど。わたくし、ちょうどだれかとおはなしをしたいなと、おもっていたところでした。
 こんなところにいますと、いちにちくちをきかないでいることも、しょっちゅうで。――いいえ、ひとがいないわけでは、ありません。ただ、だれもわたしには、ちかよりませんから。なにか、そういわれているのかも、しれませんけれど、たまに、おきゃくさまがみえても、すぐ、かえってしまわれますし。
 山崎はそこで、やっと女の真意がわかった気がした。女の、独白のような話し方や、ふつふつと切れる言葉のわけが。――女は、喋り慣れていないのだ。
 すぐに帰ってしまうという客人の気持ちが、山崎にはよく分かる。山崎も、すぐに場を辞しようとしたひとりだからだった。返答はすでに貰っていた。盲目の未来視が、如何に手紙を『読』み、返答を『書』くのか。それらは山崎の目の前で行われたことではなかったから、山崎に知りようはないのだけれど、とにかくあとは、屯所へこの書簡を持ち帰り、局長へ手渡せば任務終了となる。だから、終わりを急ぐ気持ちはもちろんあった。しかし――踵を返して屋敷を出ようとしたその理由は、ただ、それだけのものではない。一刻も早くこの屋敷から――引いてはこの女から――離れたかった理由は、女が。
 それでは、確かに受け取りました。失礼します。定型の文句を口にして、座を立った――立とうとしたその瞬間を狙ったように掛けられた女の声がなければ、山崎は今頃、屯所への道を走る車の運転席にいただろう。
 おにわを、ごらんになっていかれませんか。――はい、と、やはり山崎はそう応えてしまっていて、微笑みの形に上げられた女の唇が、では、と山崎を縁側へ促した。そうして――山崎は、女と並んで座っているのだ。ひらら、櫻が舞い、きらら、遅い雪が舞い、さわわ、女の声が紋を広げる、庭を前にして。