籠に鳥、雪には光り 花の舞う
あぁ、うつくしいですわね――。女が、また繰り返していた。山崎の眼前に広がる庭園は、山崎と女がここへ腰を下ろしたそのときから、ひとつも変わらないうつくしさを見せていて、否、降る雪が樹木や草花へ降りかかり、それらへ緻かな水のしずくを纏わせたことによって、一層うつくしさは増したようだった。しかし、女の言葉はやはり、そんな夢幻にも似た現実とは乖離していて、また、無関係なものと山崎には感じられた。――とても、とても、とても、とても、うつくしい――。女はまるで何かの決まりごとのように同じ言葉をなぞったが、その語尾が、僅かに揺れていた。すこし違った色合いを見せた女の言葉に、山崎は顔を向ける。山崎の隣で、女はぴんと背筋を伸ばし、まっすぐに正面を向いていて、けれど、向けられた視線に気付いたのか、山崎へ振り向いた。――まっすぐに、山崎を。山崎だけを。
――あの、と。山崎がぎりぎりと絞るように、それでも声を出したのは、女が泣いていたからに他ならない。山崎を映していても、決して山崎を見ることのないその双眸が、ふかい湖のように潤んでいたからに他ならない。女は泣いていたけれど、しかし外側から見える変化といえば、それくらいのものだった。他はまるで普通で、それだけに、その睛が際立って見えて。山崎は、何か、見てはいけないものを目にしたような気になる。何か――何か、話さなければ。何か、声を出さなければ――。思って山崎は、これも繰り返しだと気付いた。なぞる形ばかりが同じ、繰り返しなのだと。
山崎が口篭っているうちに、女の頬を、つぅとなみだが一筋流れ落ちていた。女が、まばたきをしたからだ。すっと頬を転がり落ちたなみだが、縁の床板へ寄り添うぱたという音が、山崎には聞こえるようだった。――謐かなのだ、この場所は。思えば山崎は、女と自分のたてる以外の物音を、ここへ来てから聞いていない。これほどうつくしい庭なのに、そこを翔ける鳥の姿はなく、これほどうつくしい女なのに、そばへ添うものはいない。何故か。それは、女が。だから。――細かなことが胸へのぼり、ああ自分は動揺している、と山崎は感じた。
さきが。――口を開いたのは女のほうだった。――さきが、みえるのは。よいことなのでしょう、か。やまざきさん――。いま、わたくしのまえにいるやまざきさんのおすがたがみえず、さきの、うつくしいさきのことがみえるのは、よいことなのでしょうか――。そして山崎は、やっと女が何をしてうつくしいと、そう言っていたのかを理解したのだった。まっすぐに山崎へ向いていた睛は、こぼれたなみだを追うように下へ向けられていた。
ほろほろと、女がまばたきをするたびにこぼれるなみだを、これほどなみだしているというのに嗚咽を伴わないうつくしい女の声を、痛ましく思いながらも、山崎はそれを拭ってやることもできなければ、その背を撫ぜることもできない――女は、硝子細工のように、うつくしかったので――。あの、と、山崎はまた口を開いた。続く言葉は、未だ、見つかってはいなかったのだけれど、口を開かずにはいられなかった。なんでしょう、と応えた女は、またまっすぐに、山崎へ顔を向ける。なみだに濡れた頬が、雪に濡れた草花と重なった。
おれに。と。仕事向きの『私』ではなく、『おれ』を使ったのは、そう意味のあることではなかった。あの、――おれに、見えているものも。とても、とても、きれいですから――だから。だから――それ以上は、続かない。山崎は無力感にうつむいた。
ながく――ひきとめてしまいました。いえ、そんな。
口を開くのは、いつも女が先だった。女は、もう山崎へ顔を向けてはいない。山崎は気まずさから、左側を目に入れぬように縁を立った。失礼します――。言って、背を向ける。きし、とちいさく鳴った床板の音の向こうで、山崎のたてる足音の向こうで、女がまた、何か言ったようだった。――山崎は立ち止まり、はい、と応えた。声が掠れることは、なかった。
きかいが、ありましたら。また――よられてください。
屋敷の門を出て、公用車のステアリングを回しながら山崎は、女の声を思い出していた。約束が果たされることはおそらくないのだろう。しかし――。
次に来るときは、闇色の固い、隊服ではなく。もっと、やわらかなものを着て。
作品名:籠に鳥、雪には光り 花の舞う 作家名:アキカワ