月華
結論が出たのだろうか? そう思った瞬間、やつは大きく息を吸い、殴りかかってきた。
懲りない。軽く受けとめ、そのまま非常口の扉に押しつける。緑色の光が、やつの顔に陰影をつけた。
今度は、集中がたりなかったのだろう。先ほどの、能面のようなかおではない。悔しそうな表情で、おれを睨む。
「――誰が、かかってこいと言った?」
片手で、手首を一まとめにし、頭上ではりつける。やつの背で、扉がギィと不快な音をたてた。遠く、今日最後のチャイムがなる。
「試してみなきゃわかんないじゃん」
口唇のはしが歪む。いささか狂暴な笑いかと、浮かべているおれにも自覚はある。てのひらのなかの手首に、震えが走った。
*
おれの女神は、周期的に、おれを超高性能の発電機(ダイナモ)にしたてあげる。確かに、汲めども尽きせぬ彼女からの力がなければ、とうのむかしに「不死身の狼男」の看板をおろしてリタイアしていただろう。
だが、彼女はすこしばかりいじわるで、高性能の運動能力をおれにもたせているときは、いくつかの人生の楽しみをうばいさる。
ひとつが、タバコやアルコール、カフェインなどと、愛すべき有害物質。
もうひとつが――
「ふっ……う……」
舌にかみつくくらいは、やりそうなものだが。激しくやつの口腔を犯しながら、おれはそう考えた。それとも、蹴り上げてくるか?
顎をつかんでいた手をおろし、タバコを落とす。そして、腰をひきよせた。わき腹をなでおろしてやると、大きく身体が震える。喉の奥、くぐもった声で鳴いた。
いきつぎくらいはさせてやるか。おしつけた身体の下、やつが感じているのがわかる。腕をはなしてやると、ずるずるとすべりおちるように、地面にしゃがみこんだ。
弱々しく咳き込む姿からは、見境のない凶暴性は見うけられない。
「最強であるこつを教えてやろう」
おとしたタバコの火を確かめ、拾い上げる。
「かなわない相手を見極め、さっさと逃げることだ」
弱々しく、奴は首を振る。大きく深呼吸をして、おれをみあげた。少し開いた唇が、赤く濡れている。目元が上気し、潤んでいた。まるで小学生に悪戯したような気分になって、少し罪悪感に囚われた。
満月期は、エネルギーをもてあましているせいか、必要以上に活動的だ。
やつは、口元をこぶしでぬぐった。
「じゃあな」
きびすをかえし、校舎に入る。やつの目線が、おれを追っていた。
*
女神が奪い去る人生の楽しみ。それは、愛すべき有害物質と、セックスの快楽だ。
暖かな肌も、やわらかく包み込む濡れた洞窟も、感覚をプラスティックでコーティングされているようなおれには、なんの感銘も与えない。
もちろん、感覚が鈍くなっていたが故の恩恵も、やまほどうけている。
だが、今度は、少しばかり残念だった。
緋勇龍麻、か。
細い手首の感触を思いだし、おれは口元を歪めた。
fin.