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十五歳の女子高校生にして人妻であるワタナベ・カナコの声は、彼女の、年齢のわりにずいぶん成熟した体から発せられるためか、それともクラスメイトより一足も二足もお先に結婚という人生におけるターニングポイントを経験しているためなのか、どうしても無視が出来ない響きを持っていた。気だるい口調さえ魅力のひとつ。耳をふさいで周囲の音――カナコの声を含む全てを遮断するなんてこと、到底タクトには出来なくて、振り返りこそしないものの今日もまた彼女の甘ったるい声に耳朶をいいように擽られていた。
「ツナシ・タクトくん? もうすっかり授業は終わっているわよ?」
 こちらを向いてお話をしてくださらないの? と拗ねたように強請られても、カナコのほうへ顔を向けるわけにはいかない。いちいち反応する少年が面白いのか、カナコは授業中だろうと休み時間だろうと何だろうと一切気にすることなく、彼女にまつわる色々なことを前の席の少年に語って聞かせるのだ。少年が、願ったわけでも、頼んだわけでもないのに。
 つい先程終了した授業中も延々と、彼女の船のプールに住んでいるワニータ男爵がこの世に生を受けてから今日にいたるまでの変遷を滔々と語られてしまった。これが例えば他の誰かに向けて発信されているのであれば無視も出来ただろうが、タクトのみに向けられていると分かっているので、カナコの弁を取り合わないで過ごすというわけにもいかない。結果、タクトの机上に広げられた帳面の中身は散々である。
 そして黒板に残された先の授業の形跡は、今にも儚く消されようとしており、タクトは残滓だけでも帳面に書き写しておこうと必死であった。しかし、奥さまにとって庶民の都合など瑣末なことである。存在するとすれば、それは黙殺されるためにあるのだ。
「ねえ、タクトくん。ワニータ男爵のお部屋はね、二日に一度水を入れ替えなくてはいけないのよ」
「はあ」
 シャープペンシルの芯先が止まった。止まったものを再び動かすためには切欠が必要である。しかし、この奥さまは優しい性質ではなかった。うっかり後方のカナコへと向いてしまったタクトの意識の根っこを、その麗しい声で絡め取って離さない。
「タカシひとりじゃたいへんでしょう?」
「はあ……?」
「またうちでアルバイトしない?」
「えっ……!」
 海を泳いで南十字島へと渡る最中、今月の生活費の全てを魚の餌にしてしまったタクトである。アルバイト、つまり、現金を手に入れることに対して今の彼はたいへん貪欲であった。カナコの気紛れに存分に振り回されたことはすっかり忘却の彼方。今回のバイト代はいかほどかと勢いよく尋ねようとして、しかし、すっとさした影に遮られた。

作品名:3-a 作家名:ねこだ