猛獣とその飼い主の話
『偉かった』などと言われて頬を緩めている静雄など、中学のとき以来見たことがない。
あの頃は可愛らしい後輩で済んでいたが、ここまででかくなってからでは素直に可愛いとは思えない。むしろ不気味だ。
静雄はいつも以上のペースでハンバーガーとポテトを食べ尽くすと、トムに向かってご馳走様と軽く頭を下げて、それから更に異様な行動に出た。
隣の席に座る少年の背後から左腕をまわし、右肩に顎を乗せるようにしてもたれ掛かった――というか、のし掛かってしがみ付いた。いや、抱きついたのか? 抱き締めたのか?
本日数度目の目を疑う光景に、トムは口に咥えていたナゲットを落としそうになってしまった。
静雄は妙に上機嫌な笑顔だし、ホールドされている少年もまた表情は柔らかい。
「重いですよ、静雄さん」
などと言葉では言っているが、左手を伸ばして金色の髪を撫でてやったりしている。ちなみに右腕は完全に押さえ込まれて動かせない状態だ。
いちゃついているバカップル、というよりは、飼い犬に懐かれている飼い主、といった感じだろうか。甘さや艶っぽさよりもほのぼのとした空気を感じる。――が、公共の場で見せていい光景とはとても言えない。
懐いている方が犬ではなくて人間だから、というのとも少し違う。唯の人間ではなくて平和島静雄だからだ。周囲の席の引き具合が半端ない。
止めるべきか突っ込むべきか、トムは迷った。
迷っている場合ではなかったのだということは、直後に判明した。
静雄がそれだけでは飽き足らず、少年の細い首筋に舌を這わせたり歯を立てたりし出したからだ。
「あのなぁ、静雄」
帝人が「駄目ですよ静雄さん」などと言いながらも髪を撫で続けているのを見て、自分が止めなければやめないだろうことがわかってしまったトムは、嫌々ながらも声を掛けた。
「なんすか?」
「人間の首を噛むのはやめとけ」
「大丈夫ですよ田中さん、甘噛みですから」
「いや、そーゆーモンじゃないんだよ、帝人君? 社会人としての問題だから」
「そう、なんですか? ――ああ、やっぱりそうですよね、すみません」
何故か注意した相手である静雄ではなく、帝人の方がしゅんと肩を落としてしまう。
それを見た静雄は帝人の首筋から顔を上げて、トムをじとりと睨んだ。怒気や殺気は込められていないが、非難しているような視線だった。
(いやいや、今のはお前に注意したんであって、その子を虐めた訳じゃねーべ?)
とは思っても口には出せない。
帝人は静雄の威嚇に気付いているのかいないのか、反省した面持ちで頭を下げた。
「やっぱり仕事中は駄目ですよね。確かにそのとおりです。静雄さん、やっぱり静雄さんがお休みの日か、お仕事が終わってからでないと、駄目ですよ」
「けどよ……俺が休みんときは、大概お前は学校だろ?」
「仕方がありません。お仕事中には学生が責任を持つのは無理ということなんですよ。週末の夜とかなら僕も大丈夫ですし、静雄さんも構わないのでは?」
「――それって、泊まってってくれるってことか?」
「おいおいおいおい」
会話の意味がまるでわからなかったが、最後の静雄の台詞に不穏なものを感じて思わず口を挟んだ。相手は未成年者だということを忘れないように、後で念を押しておかねばならないだろう。
静雄は顔を上げて少年の首筋に唇を押し当てるのこそやめたが、薄い肩は両腕で抱き寄せたままだ。
その大きな手を軽く叩いて、帝人は宥めるように笑って見せた。
「じゃあ静雄さん、ソレを外しますので、じゃれるのはここまでにして下さい」
「――せめてよ、休憩が終わるまで……」
「静雄さん」
「――わかった」
笑顔のままながらも有無を言わせない口調で名を呼ばれ、静雄はしぶしぶ腕を解いた。
その様は正に『待て』を言いつけられた大型犬そのもので、トムは(じゃれてた? ホントか?)という思いと共に疲れた表情で見守った。
少年の細い指が白い首輪を外して、静雄に手渡す。
静雄は残念そうに受け取ったが、すぐに帝人に押し返した。
「悪ぃ、仕事が終わるまで預かっててくんねーか?」
「邪魔になりますか? アタッシュケースに入れては――」
「汚したり壊したりすると悪ィからよ。帝人が首輪着けてくれてねえと、キレんの我慢できるか自信ねえんだ」
「――わかりました。じゃあ、お仕事が終わるまで預かっていますね」
帝人は少し考えてから頷くと、首輪をハンカチで丁寧に包んで自分の鞄に仕舞った。
その所作を真剣な目で見詰めていた静雄だったが、帝人が仕舞い終えるとおもむろに訊ねた。
「――仕事が終わったらよ、それ――」
「ちゃんとお返ししますので、メールを貰えますか?」
「――その、返して貰うのもだけどよ――」
「ああ、はい。静雄さんがいいんでしたら、また着けてあげますから」
「じゃあよ、今日は俺のとこに泊まっ――」
「さて! そろそろ出るか!」
静雄の言葉を遮るように、トムは声を上げながら立ち上がった。
もしかしたら深い意味のない言葉なのかもしれないが、拘っている様子が見えるので油断できない。
未成年者への淫行は犯罪だ。日頃の傷害や器物破損は流しているが、さすがにその手の犯罪は見過ごせない。
「じゃあ俺、これ捨ててきます」
重ねたトレイの上に昼食の残骸を積み上げて、静雄はダストボックスに向かった。
トムは帝人を促して先に店を出ることにした。
僅かな時間でもふたりきりで話したいことがあったからだ。
店外に出るとトムは抑えた声で少年に言葉を掛けた。
「帝人君? あの白い首輪は君が見立てた物なんだってな」
「無色の首輪です。何色にも染まっていないところが静雄さんには相応しい気がして」
《白》を《無色》と態々言い換えたところは、特別な拘りがあったのかもしれない。
しかしそこはトムの訊きたい部分ではなかったので軽く流して更に言葉を継いだ。
「その無色の首輪。帝人君が静雄に着けてあげてるのかい?」
「はい。着けるのも外すのも僕の責任ですので」
「なるほど。責任。――でもなあ、帝人君?」
「なんでしょう、田中さん」
「首輪で繋いだつもりでいても、襲われることも噛み付かれることもあるもんだよ? 特に静雄は、あの程度で縛められるような男じゃないからなぁ」
茶化すように、警告するようにそう言えば、帝人は大きな目を更に丸くしてトムを見上げた後で、にこりと笑った。
「襲われるのも噛み付かれるのも、飼い主の特権ですから」
「――なるほど」
どうやらこの少年は、見た目どおりの真面目で大人しいだけの子供ではないらしい。
静雄が店から出てきた為に、この場でそれ以上の話はできなかったが、トムは少しだけ安堵し、それ以上に不安を大きくした。
この子供なら大丈夫という思いと、この子供相手に静雄は大丈夫なのだろうかという思いで。
作品名:猛獣とその飼い主の話 作家名:神月みさか