廃材の恋
フランスはひたすら上機嫌だった。いっそ鼻歌でも歌い出したいくらいなのか、滅多に見ないようなきらきらした目をして、随分軽快に両手を動かしている。フランスが何かする度、ベッドのスプリングが軋んで嫌な音を立てた。
フランスはその国内に幾つか家を持っていて、今いるのはその中でも一番利用頻度の低い、古びたフラットだった。主な仕事場からすこぶる近いので、仕事がどうしようもなく切羽詰まると使う、そんな部屋だ。しかしそのせいでフランスの中で「この部屋に泊まるときは大抵ろくでもない状態にある」という感覚が深く根差したらしく、彼はあまりこの部屋を好いていない。勿体ないことだ。そして何と馬鹿らしいのだろう。
とにかく、そんな随分身勝手なフランスの感情のせいで、この部屋はかなり冷遇されている。このベッドだってそうだ。本当はもっと前から修理してやるべきだった。それに、ベッドカバーやら枕やら、そういった寝具だって、本当ならもっと気をつかう必要があった。けれど、家主であるフランス自身が、これでいいと思っているのだから仕方ない。使い古されて、ぼろぼろのみすぼらしい状態になって、それでも替えないと、このままでいいと思われているのだから、もうどうしようもない。
大体フランスにはいまいち理解しがたい性癖があって、俺は何かある度にそのことを思い知らされてはどうしたものかと考える羽目になる。この杜撰さなどは正にその筆頭だった。普段のフランスは実に飽きやすく、その好みを主張することも厭わずに、時に残酷な程「不必要」と判断したものをぽいぽいと手放していく。なのに、時々妙に投げやりになることがあって、その「不必要」という判断すら放棄してしまうのだ。彼の美学に反するものをそのままにしておくことなど、普段の彼からは考えられないのに。……否、もしかしたら、彼は分かっていて、あえてそのように振る舞っているのかも知れない。すると彼の杜撰さはつまり、究極の無関心ということになる。
ぺたんと膝を折って大人しく座っているのも飽きてくる。埃っぽく乾いたシーツを足の爪先でなぞりながら、無関心の反対はなんだったかとぼんやり考えた。気付かない内に顎が下がっていたらしく、フランスがちょんと頬をつついてくる。従順に目線を上げてやれば現金な男は満足げに微笑んだ。
「もうちょっとだから」囁かれてようやくフランスの指が仕事を終えたことに気付く。改めて自分の格好を確かめてみれば、余りの滑稽さに噴き出しそうになった。丸襟のシャツワンピース。素材はシフォンで薄く、中に着込んだ黒いキャミソールが花柄のワンピース生地から少しだけ透けて見える。腰のところで絞りが入っていて、そこに緩くリボンがかかっていた。裾は膨らむデザインなのか、ふんわりとしている。フランスはそのワンピースのボタンをひとつひとつ丁寧に留めていたのだった。可愛らしいワンピースを、可愛くも何ともない男に着せる、唯それだけのために。
古びた部屋で、壊れたベッドの埃っぽいシーツに座り込んで、真新しくてぴかぴかの服を身につけて、醜さ極まりない女装をする。そんな状態を愚かと言わずに何としよう。俺の唇を丁寧に筆先でなぞっていくフランスの指が視界の端で揺れ動く。肌に塗られたファンデーションやチークの匂いがやたらと鼻について不快だった。
俺のよりも数段器用な手はしばらく迷いなく動いていたが、あるときふと間違いを起こしたらしい。「ん、はみ出した……」囁いた男はそろりと俺の唇を塞いで、その唇でグロスを拭い去る。そうして顔を離し、自身の唇についた紅を親指で拭き取りながら、やり直しだねと情けなく笑った。
そうして再度唇に乗せられる明るめの口紅。この色いいよね、と呟くフランスの手には、こういった分野には疎い俺でも知っているようなメーカーの新商品がある。新作というなら今俺を飾り立てるものは全てそうだった。化粧品から身につけるものまで、全て。この倒錯的な着せ替え人形ごっこが始まったときに聞かされた。
れっきとした男に女装させるのだから当然といったらそうなのだが、俺がこんな格好をするのには下着から何から買い集める必要があった。フランスは喜々としてそれをこなした。馴染みの店でひとつずつ見繕ったというから恐れ入る。『どれがいいかなって、似合うの探したんだよ』俺の服を解き、下着を懇切丁寧に着せてきながらフランスは楽しそうに言っていた。だからほら、これもそれも全部、きらきらして綺麗でしょう？
筆をしまい込みながら、フランスが鏡見る、と聞いたけれど首を振った。フランスもそれ以上は何も言わずに、ひとつだけ頷いた。そうして、ベッドの端に置いていた山のような紙袋の中から、がさがさと何かを取り出して、それをこちらに差し出してくる。
首を捻りながら受け取ればそれは何の変哲もないタイツだった。真っ黒い布を手に俺が呆けていると、フランスは空になった紙袋を片付けながら、それ穿いて、とごく軽く告げる。「それでおしまいだから。最後だけちょっと自分でやって？」手は止めずに言って、目線だけをこちらに投げて笑う。
真新しいタイツは随分手触りがよくて、そのことがかえって現実味をなくす。ベッドから腰を上げて、一度足を伸ばすようにして座り直した。タイツをくいくいと手繰って手元にまとめ、引っ掻けないように気をつけながらそっと爪先を差し入れる。一旦ふくらはぎのところにたぐまった生地をゆっくりと引き伸ばしていく。骨張った足を包む、薄く透ける黒色。
気付けばフランスは片付けを終えて、後ろ手をつきながらにやにやと俺の様子を見つめていた。その態度を見ていると多少苛立ち、タイツを膝上まで引き上げたところで俺は体を起こした。ゆっくりと膝立ちで移動し、片足を立てて座るフランスのすぐ傍に体を寄せる。大きく瞬いたフランスへ向け、意識して見下すような笑みを唇に乗せた。視線は外さずに、するするとタイツを上へ上へと持ち上げる。
腰を動かしながら少しずつタイツを身につけて、途切れ途切れにフランスの名を呼ぶ。自分ひとりじゃ上手く着れない、そう懇願するかのように。途中からフランスの視線は俺の顔ではなく足へと釘付けになった。いい気味だと心のどこかが哄笑する。
結局フランスは、俺がワンピースをたくし上げたところでとうとう手を出した。軽く頼りない生地を持ち上げた俺の手はそのままに、あと僅かのところまできていたタイツをぴたりと俺に着せてしまってから、もう裾いいよ、と囁く。
言われたとおりにすれば腰を引かれて、胡座をかいたフランスを跨ぐような格好にさせられる。俺の胸に顔を押し付けたフランスは、腰に回した手はそのままに、あいた右手で右足の膝裏から太腿を撫で上げた。筋張った大きな手で優しく揉み込む動きに喉が情けなく鳴って、ぎゅうっとフランスの頭を抱きしめる。苦しいよと言う声に力を緩めたらフランスがこちらを見上げて、そのまま深いキスをした。
フランスはその国内に幾つか家を持っていて、今いるのはその中でも一番利用頻度の低い、古びたフラットだった。主な仕事場からすこぶる近いので、仕事がどうしようもなく切羽詰まると使う、そんな部屋だ。しかしそのせいでフランスの中で「この部屋に泊まるときは大抵ろくでもない状態にある」という感覚が深く根差したらしく、彼はあまりこの部屋を好いていない。勿体ないことだ。そして何と馬鹿らしいのだろう。
とにかく、そんな随分身勝手なフランスの感情のせいで、この部屋はかなり冷遇されている。このベッドだってそうだ。本当はもっと前から修理してやるべきだった。それに、ベッドカバーやら枕やら、そういった寝具だって、本当ならもっと気をつかう必要があった。けれど、家主であるフランス自身が、これでいいと思っているのだから仕方ない。使い古されて、ぼろぼろのみすぼらしい状態になって、それでも替えないと、このままでいいと思われているのだから、もうどうしようもない。
大体フランスにはいまいち理解しがたい性癖があって、俺は何かある度にそのことを思い知らされてはどうしたものかと考える羽目になる。この杜撰さなどは正にその筆頭だった。普段のフランスは実に飽きやすく、その好みを主張することも厭わずに、時に残酷な程「不必要」と判断したものをぽいぽいと手放していく。なのに、時々妙に投げやりになることがあって、その「不必要」という判断すら放棄してしまうのだ。彼の美学に反するものをそのままにしておくことなど、普段の彼からは考えられないのに。……否、もしかしたら、彼は分かっていて、あえてそのように振る舞っているのかも知れない。すると彼の杜撰さはつまり、究極の無関心ということになる。
ぺたんと膝を折って大人しく座っているのも飽きてくる。埃っぽく乾いたシーツを足の爪先でなぞりながら、無関心の反対はなんだったかとぼんやり考えた。気付かない内に顎が下がっていたらしく、フランスがちょんと頬をつついてくる。従順に目線を上げてやれば現金な男は満足げに微笑んだ。
「もうちょっとだから」囁かれてようやくフランスの指が仕事を終えたことに気付く。改めて自分の格好を確かめてみれば、余りの滑稽さに噴き出しそうになった。丸襟のシャツワンピース。素材はシフォンで薄く、中に着込んだ黒いキャミソールが花柄のワンピース生地から少しだけ透けて見える。腰のところで絞りが入っていて、そこに緩くリボンがかかっていた。裾は膨らむデザインなのか、ふんわりとしている。フランスはそのワンピースのボタンをひとつひとつ丁寧に留めていたのだった。可愛らしいワンピースを、可愛くも何ともない男に着せる、唯それだけのために。
古びた部屋で、壊れたベッドの埃っぽいシーツに座り込んで、真新しくてぴかぴかの服を身につけて、醜さ極まりない女装をする。そんな状態を愚かと言わずに何としよう。俺の唇を丁寧に筆先でなぞっていくフランスの指が視界の端で揺れ動く。肌に塗られたファンデーションやチークの匂いがやたらと鼻について不快だった。
俺のよりも数段器用な手はしばらく迷いなく動いていたが、あるときふと間違いを起こしたらしい。「ん、はみ出した……」囁いた男はそろりと俺の唇を塞いで、その唇でグロスを拭い去る。そうして顔を離し、自身の唇についた紅を親指で拭き取りながら、やり直しだねと情けなく笑った。
そうして再度唇に乗せられる明るめの口紅。この色いいよね、と呟くフランスの手には、こういった分野には疎い俺でも知っているようなメーカーの新商品がある。新作というなら今俺を飾り立てるものは全てそうだった。化粧品から身につけるものまで、全て。この倒錯的な着せ替え人形ごっこが始まったときに聞かされた。
れっきとした男に女装させるのだから当然といったらそうなのだが、俺がこんな格好をするのには下着から何から買い集める必要があった。フランスは喜々としてそれをこなした。馴染みの店でひとつずつ見繕ったというから恐れ入る。『どれがいいかなって、似合うの探したんだよ』俺の服を解き、下着を懇切丁寧に着せてきながらフランスは楽しそうに言っていた。だからほら、これもそれも全部、きらきらして綺麗でしょう？
筆をしまい込みながら、フランスが鏡見る、と聞いたけれど首を振った。フランスもそれ以上は何も言わずに、ひとつだけ頷いた。そうして、ベッドの端に置いていた山のような紙袋の中から、がさがさと何かを取り出して、それをこちらに差し出してくる。
首を捻りながら受け取ればそれは何の変哲もないタイツだった。真っ黒い布を手に俺が呆けていると、フランスは空になった紙袋を片付けながら、それ穿いて、とごく軽く告げる。「それでおしまいだから。最後だけちょっと自分でやって？」手は止めずに言って、目線だけをこちらに投げて笑う。
真新しいタイツは随分手触りがよくて、そのことがかえって現実味をなくす。ベッドから腰を上げて、一度足を伸ばすようにして座り直した。タイツをくいくいと手繰って手元にまとめ、引っ掻けないように気をつけながらそっと爪先を差し入れる。一旦ふくらはぎのところにたぐまった生地をゆっくりと引き伸ばしていく。骨張った足を包む、薄く透ける黒色。
気付けばフランスは片付けを終えて、後ろ手をつきながらにやにやと俺の様子を見つめていた。その態度を見ていると多少苛立ち、タイツを膝上まで引き上げたところで俺は体を起こした。ゆっくりと膝立ちで移動し、片足を立てて座るフランスのすぐ傍に体を寄せる。大きく瞬いたフランスへ向け、意識して見下すような笑みを唇に乗せた。視線は外さずに、するするとタイツを上へ上へと持ち上げる。
腰を動かしながら少しずつタイツを身につけて、途切れ途切れにフランスの名を呼ぶ。自分ひとりじゃ上手く着れない、そう懇願するかのように。途中からフランスの視線は俺の顔ではなく足へと釘付けになった。いい気味だと心のどこかが哄笑する。
結局フランスは、俺がワンピースをたくし上げたところでとうとう手を出した。軽く頼りない生地を持ち上げた俺の手はそのままに、あと僅かのところまできていたタイツをぴたりと俺に着せてしまってから、もう裾いいよ、と囁く。
言われたとおりにすれば腰を引かれて、胡座をかいたフランスを跨ぐような格好にさせられる。俺の胸に顔を押し付けたフランスは、腰に回した手はそのままに、あいた右手で右足の膝裏から太腿を撫で上げた。筋張った大きな手で優しく揉み込む動きに喉が情けなく鳴って、ぎゅうっとフランスの頭を抱きしめる。苦しいよと言う声に力を緩めたらフランスがこちらを見上げて、そのまま深いキスをした。