無償の愛
——こうして太陽の紋章は 再び王家の手に戻り 太陽宮へと封印された
——その瞬間 この地に長らく失われていた 真の太陽の輝きが
——大地を 草木を 渡る風を 生きとし生けるものすべてを 優しく温かく包み込んだ
——あぁ だがその影には 美しき黄昏の乙女の 尊き犠牲があったのだ
「な~にが、尊き犠牲だか!」
ハンッという鼻息とともに、荒々しくビールジョッキが机にたたきつけられた。その衝撃に、いかにも年季の入った安物の木の机がきしむ。
「ヴィルヘルム・・・」
ミューラーは机の上に激しく飛び散ったビールを見て、さらには勢いあまって自分の顔にまで飛んできた滴を乱暴に腕でこすった。
人は違えど何度も同じような目に遭ってきたに違いない机のほうは、拭き取る間もなく木の板に染み込んで新たなシミを作っていく。
「なんだよ、ミューラー。おまえだってそう思うだろ? あんなけったくそわりぃ歌、なんで皆喜んで聴いてやがるんだ」
ヴィルヘルムが指差す先には、酒場のステージで楽器の弦を爪弾きながら、朗々と声高に謳い上げる吟遊詩人の姿がある。その周りを取り囲む様にして、ヴィルヘルムらと似たり寄ったりの決して品が良いとは言えない連中が、やんややんやと野次やら喝采やらを飛ばし、大騒ぎしていた。
「阿呆なヤツらなどほっとけ。あれはクズだ」
ミューラーの切り捨てるような鋭い口調に、ヴィルヘルムは気勢をそがれたようにステージを差していた指を引っ込め、そのまま頬を掻く。
「おまえって、相変わらず口わりぃな」
どこか感心しているような響きのこめられたセリフに、ミューラーは冷ややかな視線を向けた。
「悪いか」
「いんや。口の悪くないおまえなんか、想像しただけで気持ちわりぃからな!」
何がそんなにおもしろいのか、ガハハハハハと大口を開けて笑う相方を、ミューラーは相変わらず冷めた眼差しで眺める。
ステージからは延々とファレナ女王国で起きた内戦を物語る歌が紡がれ続けていた。
あの血で血を洗う内戦から数ヵ月。
それを早いと感じるのか、それとも遅いと感じるのか、ミューラーにはよくわからない。
どちらにしろ戦場を渡り歩いて生きる自分たちにとっては、ファレナの内乱は単なる通過点の1つにしかすぎず、とくに気にとめるべきことでもなかった―――はずなのだが。
たとえ何度経験したとしても、やはり共に戦った仲間の死は痛い。
「まだあんなに若くてピチピチなリオンちゃんが、命を落とさなきゃなんねぇなんて、もったいねぇよなあ。将来は絶対すっげぇ美女になっただろうに」
まるでこちらの考えを見透かしたようなヴィルヘルムのセリフに、ミューラーはジロリと相手を睨みつけた。
ヴィルヘルムは知ってか知らずか、「あ~あ」と大げさにため息をついている。
まったく、こいつほどタチの悪い男はこの世に2人といない。
「あ~! ミューラーさんっ、眉間にしわ」
・・・いや、もう1人いた。
ミューラーはこぼれそうになるため息をなんとか呑み込んで、額に突きつけられた人差し指をむんずとつかんだ。そのまま逆手に捻り上げると、セリフとは裏腹にのほほんとした極楽ノーテンキな声が続く。
「イタ、イタタタタタ。ミューラーさん、指折れるぅ」
本気でそう思っているのかはなはだ怪しいところだが、ミューラーはひとまずつかんでいた指を放した。
こいつを相手に本気になるだけ無駄だし、戦うことしか能がないのに指を折ってしまっては、逆にこちらが損をするだけだ。悔しいが今では彼は、自分たちリンドブルム傭兵旅団ヴィルヘルム支隊の切り込み隊長となっている。頭の中身は空っぽのくせに、なまじ腕が立つ分始末に悪い。
「お、リヒャルト。もう隊長からの呼び出しは済んだのか?」
「はい」
ヴィルヘルムの言う“隊長”とは、総勢5000名からなるリンドブルム傭兵旅団の頭であるリンドブルムその人のことだ。
彼らヴィルヘルム支隊は、数年ぶりにゼアラントにある傭兵旅団の本拠地へと戻り、リンドブルム隊長との再会を果たしていた。
先ほどまでリヒャルトはそのリンドブルム隊長から呼び出しを受けて席を外していたのだが、彼自身はそんなことなどどうでもいいように、ヴィルヘルムの問いにもおざなりに答えるだけだ。さっさと空いている席に陣取ると、机の上に両肘をつき、その上にあごを乗せてニコニコと笑顔でミューラーを見た。その溢れんばかりの笑顔からは、ありもしない尻尾がちぎれんばかりに左右に振られている様さえ見えてきそうだ。
「そんなことよりミューラーさんっ。これどうしたんですか、これ」
リヒャルトが笑顔のまま自分の額を人差し指でつついて見せると、ミューラーはあからさまに嫌な顔をした。
「原因はアレだ、アレ」
ミューラーが答える代わりに、ヴィルヘルムが吟遊詩人のいるステージを親指で差し示す。リヒャルトは体ごと指差されたほうを振り返った。
「うわ~、なに、アレ? 派手な人!」
リヒャルトの素直な感想に、ヴィルヘルムが楽しそうに大口を開けて笑う。
「おう!確かにその通りだな! アレは吟遊詩人の兄ちゃんだ」
「“ギンユーシジン”ってなんですか?」
「あぁ? おまえ、前にもどっかの街で見ただろ? 人様の英雄譚を、まるで我がごとのように誇らしげに語って聞かせるやつらだよ。覚えてねぇのか?」
「そんなのすっかり忘れちゃったよ。ミューラーさん以外の人のことなんて、どーでもいいし」
「ああ、そうだった、そうだった。おまえはそういうヤツだったな」
はたから聞けばとんでもないリヒャルトの暴言にも、ヴィルヘルムは気にしたふうもなく当然のように相づちを打つ。
慣れとは恐ろしい。
そんな2人の息の合ったトークを、ミューラーは完全無視することに決め、黙々とビールジョッキを口に運ぶ作業に専念した。
会話が途切れ、沈黙が落ちる。
その沈黙を待ち構えていたかのように、周囲の雑音の間を縫って、吟遊詩人の歌声が3人のところにまで流れてきた。
——王子に捧げた黄昏の乙女の愛は 夜露となって 闇夜を彷徨い
——やがて黎明の輝きに溶け込んで 雫となって 静かに散った
過剰なまでに装飾をほどこされた華美な言葉の数々が、物語の最終章を彩る。
吟遊詩人が最後の音を奏で終えると、観客からは割れんばかりの拍手が起こった。なかには酔いの勢いも手伝って、涙を流す者までいる。
ミューラーはその様を見て反吐を吐き出したい気分になったが、実際には口の端で「ケッ」と毒づくだけにとどめておいた。
「おいおい、好き勝手放題言いやがってよ。リオンちゃんも可哀想に」
ヴィルヘルムもミューラーと似たり寄ったりの感想を抱いたらしく、眉をひそめてつぶやく。すると、背後のステージを物珍しそうに眺めていたリヒャルトが、彼らのほうを振り返って尋ねた。
——その瞬間 この地に長らく失われていた 真の太陽の輝きが
——大地を 草木を 渡る風を 生きとし生けるものすべてを 優しく温かく包み込んだ
——あぁ だがその影には 美しき黄昏の乙女の 尊き犠牲があったのだ
「な~にが、尊き犠牲だか!」
ハンッという鼻息とともに、荒々しくビールジョッキが机にたたきつけられた。その衝撃に、いかにも年季の入った安物の木の机がきしむ。
「ヴィルヘルム・・・」
ミューラーは机の上に激しく飛び散ったビールを見て、さらには勢いあまって自分の顔にまで飛んできた滴を乱暴に腕でこすった。
人は違えど何度も同じような目に遭ってきたに違いない机のほうは、拭き取る間もなく木の板に染み込んで新たなシミを作っていく。
「なんだよ、ミューラー。おまえだってそう思うだろ? あんなけったくそわりぃ歌、なんで皆喜んで聴いてやがるんだ」
ヴィルヘルムが指差す先には、酒場のステージで楽器の弦を爪弾きながら、朗々と声高に謳い上げる吟遊詩人の姿がある。その周りを取り囲む様にして、ヴィルヘルムらと似たり寄ったりの決して品が良いとは言えない連中が、やんややんやと野次やら喝采やらを飛ばし、大騒ぎしていた。
「阿呆なヤツらなどほっとけ。あれはクズだ」
ミューラーの切り捨てるような鋭い口調に、ヴィルヘルムは気勢をそがれたようにステージを差していた指を引っ込め、そのまま頬を掻く。
「おまえって、相変わらず口わりぃな」
どこか感心しているような響きのこめられたセリフに、ミューラーは冷ややかな視線を向けた。
「悪いか」
「いんや。口の悪くないおまえなんか、想像しただけで気持ちわりぃからな!」
何がそんなにおもしろいのか、ガハハハハハと大口を開けて笑う相方を、ミューラーは相変わらず冷めた眼差しで眺める。
ステージからは延々とファレナ女王国で起きた内戦を物語る歌が紡がれ続けていた。
あの血で血を洗う内戦から数ヵ月。
それを早いと感じるのか、それとも遅いと感じるのか、ミューラーにはよくわからない。
どちらにしろ戦場を渡り歩いて生きる自分たちにとっては、ファレナの内乱は単なる通過点の1つにしかすぎず、とくに気にとめるべきことでもなかった―――はずなのだが。
たとえ何度経験したとしても、やはり共に戦った仲間の死は痛い。
「まだあんなに若くてピチピチなリオンちゃんが、命を落とさなきゃなんねぇなんて、もったいねぇよなあ。将来は絶対すっげぇ美女になっただろうに」
まるでこちらの考えを見透かしたようなヴィルヘルムのセリフに、ミューラーはジロリと相手を睨みつけた。
ヴィルヘルムは知ってか知らずか、「あ~あ」と大げさにため息をついている。
まったく、こいつほどタチの悪い男はこの世に2人といない。
「あ~! ミューラーさんっ、眉間にしわ」
・・・いや、もう1人いた。
ミューラーはこぼれそうになるため息をなんとか呑み込んで、額に突きつけられた人差し指をむんずとつかんだ。そのまま逆手に捻り上げると、セリフとは裏腹にのほほんとした極楽ノーテンキな声が続く。
「イタ、イタタタタタ。ミューラーさん、指折れるぅ」
本気でそう思っているのかはなはだ怪しいところだが、ミューラーはひとまずつかんでいた指を放した。
こいつを相手に本気になるだけ無駄だし、戦うことしか能がないのに指を折ってしまっては、逆にこちらが損をするだけだ。悔しいが今では彼は、自分たちリンドブルム傭兵旅団ヴィルヘルム支隊の切り込み隊長となっている。頭の中身は空っぽのくせに、なまじ腕が立つ分始末に悪い。
「お、リヒャルト。もう隊長からの呼び出しは済んだのか?」
「はい」
ヴィルヘルムの言う“隊長”とは、総勢5000名からなるリンドブルム傭兵旅団の頭であるリンドブルムその人のことだ。
彼らヴィルヘルム支隊は、数年ぶりにゼアラントにある傭兵旅団の本拠地へと戻り、リンドブルム隊長との再会を果たしていた。
先ほどまでリヒャルトはそのリンドブルム隊長から呼び出しを受けて席を外していたのだが、彼自身はそんなことなどどうでもいいように、ヴィルヘルムの問いにもおざなりに答えるだけだ。さっさと空いている席に陣取ると、机の上に両肘をつき、その上にあごを乗せてニコニコと笑顔でミューラーを見た。その溢れんばかりの笑顔からは、ありもしない尻尾がちぎれんばかりに左右に振られている様さえ見えてきそうだ。
「そんなことよりミューラーさんっ。これどうしたんですか、これ」
リヒャルトが笑顔のまま自分の額を人差し指でつついて見せると、ミューラーはあからさまに嫌な顔をした。
「原因はアレだ、アレ」
ミューラーが答える代わりに、ヴィルヘルムが吟遊詩人のいるステージを親指で差し示す。リヒャルトは体ごと指差されたほうを振り返った。
「うわ~、なに、アレ? 派手な人!」
リヒャルトの素直な感想に、ヴィルヘルムが楽しそうに大口を開けて笑う。
「おう!確かにその通りだな! アレは吟遊詩人の兄ちゃんだ」
「“ギンユーシジン”ってなんですか?」
「あぁ? おまえ、前にもどっかの街で見ただろ? 人様の英雄譚を、まるで我がごとのように誇らしげに語って聞かせるやつらだよ。覚えてねぇのか?」
「そんなのすっかり忘れちゃったよ。ミューラーさん以外の人のことなんて、どーでもいいし」
「ああ、そうだった、そうだった。おまえはそういうヤツだったな」
はたから聞けばとんでもないリヒャルトの暴言にも、ヴィルヘルムは気にしたふうもなく当然のように相づちを打つ。
慣れとは恐ろしい。
そんな2人の息の合ったトークを、ミューラーは完全無視することに決め、黙々とビールジョッキを口に運ぶ作業に専念した。
会話が途切れ、沈黙が落ちる。
その沈黙を待ち構えていたかのように、周囲の雑音の間を縫って、吟遊詩人の歌声が3人のところにまで流れてきた。
——王子に捧げた黄昏の乙女の愛は 夜露となって 闇夜を彷徨い
——やがて黎明の輝きに溶け込んで 雫となって 静かに散った
過剰なまでに装飾をほどこされた華美な言葉の数々が、物語の最終章を彩る。
吟遊詩人が最後の音を奏で終えると、観客からは割れんばかりの拍手が起こった。なかには酔いの勢いも手伝って、涙を流す者までいる。
ミューラーはその様を見て反吐を吐き出したい気分になったが、実際には口の端で「ケッ」と毒づくだけにとどめておいた。
「おいおい、好き勝手放題言いやがってよ。リオンちゃんも可哀想に」
ヴィルヘルムもミューラーと似たり寄ったりの感想を抱いたらしく、眉をひそめてつぶやく。すると、背後のステージを物珍しそうに眺めていたリヒャルトが、彼らのほうを振り返って尋ねた。