グンジルート捏造
――もう、どうでもいい。
どうにでもなれ。そう思って地面に腰を下ろしシャッターに凭れた。錆びたシャッターが重みに反れ、軋む。頭上には僅かにひさしがあったが、雨を防ぐには小さすぎる。そもそも、雨を防ぐために座り込んだのではないからどうでも良かったのだが。
薄く水をはったような地面に掌からこぼれた血が溶ける。指先を伝って渦を巻き、ふわりと拡散する。
血液中でも同じだろうか。アキラはそう考えた。あいつの中に溶け込んだ俺の血も、こんなふうに溶けたのだろうか。
「……っ、」
泣けたら良かった。泣いたら楽になれる、という話に縋れたら良かったのに、と思う。でも涙を流したくても、肝心の涙は一滴もせりあがっては来なかった。出そうになったくしゃみが出ないようなもどかしさ。
背中がシャッターから滑って、気が付いたら雨空が頭上にあった。大粒の雨がびしょびしょ沈んでくる。首を捻った横で、投げ出した手がゆっくり血を溶かしている。
こんなふうに溶けてしまえたらいい。溶けて、拡散して、俺の形なんて無くなってしまえばいい。
目的もなく生きるのは、死よりも辛い。そう聞いた時、ただ、そういうものなのか、と思っただけだった。別に今目的を持っているつもりもないけど。そう斜に構えて見ていた。目的を喪う、ということの意味も判らずに、あの時、
俺は今確かに喪ったんだろう。あいつと一緒に、あの喧騒に戻りたいと思った。例え無意でも、あいつと一緒ならそれでもいいと思えたんだった。俺はあいつと、
――それももう全て終わったことだ。アキラは小さく首を振った。
終わらせたことだ。望んだにしろ、望まなかったにしろ。結果として、可能性をあいつを、殺したのは俺以外の何者でもなかった。
「……どうでもいい」
口に出した言葉が、すとん、と落ちた。ふと本当にどうでも良くなる。頭の中でない交ぜになっていたごちゃごちゃしたものが消える。伏せた目蓋に雨粒が当たって冷たい。伏せた途端、怒濤のように押し寄せてきた睡魔を振り払う理由は見付からなかった。
「♪うおーきんざさーんしゃー」
はっとして目を覚ますと、歌声が間近まで迫っていることに気付く。相変わらず雨は降り続いていて、迫る足音も水音を孕んでいる。そうしているうちに、ひょこり、と頭上に黄色い傘が覗いた。
「なーにしてんのっ」
ん?満面の笑みと共に首を捻ったのは、処刑人の片割れだった。名前は……何と言ったか。
「なにしてんの?」
ブーツの先がアキラのこめかみを叩いた。それでもアキラが返事をしないでいると、処刑人は大袈裟な溜め息を吐いて、アキラの横に腰を下ろした。
「こんな所でお昼寝してると、こわぁいオオカミさんに食べられちゃうかもよ???」
うひゃ、と処刑人は笑うと、アキラの言葉を促すためにまた首を傾げた。
「――どうでもいい」
「へえ?」
「……どうでもいいんだ、もう」
がしゃん。処刑人が傘を投げ捨てた。元々傷んでいたのか知らないが、少し離れて転がった傘はひしゃげ、何とも頼り無く雨に打たれていた。
「いいの?」
骨張った指が頬を撫でる。冷えきった俺と違い、僅かに体温を残した指先。
――生きてる。
人が生きている温度だ。俺があいつから奪ってしまったものだ。あいつには二度と、取り返せないものだ。
ぶるりと身震いしたアキラを、処刑人は誤解した。
「怖い?」
指先が顎を滑って、喉仏の上で止まる。思わず引きつらせた喉を処刑人が嗤った。
「猫ちゃん、行くとこねえならうち来いよ……っと、その前に」
処刑人は指を離して立ち上がると、早足に傘の方へ歩いていった。ひょい、と無惨にひしゃげた傘を意味もなく差して、アキラへ手を差し伸べた。
「ん」
「…………」
「だーっ!もう!」
処刑人は早くも痺れを切らして地団駄を踏むと、アキラの腕を掴んで無理矢理立ち上がらせた。そのまま腕を引いていく処刑人にアキラは大人しく従い、いつしか廃ビルへと連れ込まれていた。
「城に連れて帰ったらジジに先食われっかもしんねえからなァ?」
処刑人は困ったふうな溜め息を吐いて見せる。――そうだ、思い出した。こいつの名前は、
「……グンジ、か」
「あ?なに?俺のファン?なんつってぎゃははははははっ!!」
ソファーに座っていたグンジが足をばたつかせて笑う。そして一頻り笑うと、唇に笑みを貼り付けたまま扉の前に立っていたアキラへ手招きした。そしてアキラを手の届く範囲内に入った途端捕まえ、ソファーへと組敷く。
「いただきます」
言うやいなや、グンジは掌をアキラのシャツの中に潜り込ませた。乾いた指先が濡れた皮膚を滑る。
「……あー、その、何?」
指先の感覚を辿っていた思考から引き離される。ぼんやりとしていた焦点を合わせると、何やら固まったグンジが目に入った。下から見上げているせいで、普段は髪に隠されている顔がはっきりと見えた。存外に綺麗な顔立ちをしている。
「…抵抗とか、しねえの?」
グンジの爪がアキラのベルトの金具を叩いた。アキラはその指を一瞥し、首を捻って視線を逸らす。
「……どうでもいい」
「は……」
かちっ。一際固い音でベルトが鳴った。
「はァ!?どうでもいい!?イミわかんねー!!!」
「…煩い」
「つまりてめえは、俺に切り裂かれようが突っ込まれようがどうでもいいってこと!?はあ!!??」
煩い。なんだか馬鹿らしくなってアキラは口を噤んだ。つられたように急に静かになったグンジを見上げると、どうやら放心しているらしかった。視線が合ってグンジは夢から覚めたように瞬きし、表情を消して立ち上がった。
「……ダリぃ」
僅かに背中を起こしたアキラに、舌打ちと一瞥をくれる。
「俺はさァ、お前みたいなヤツ嫌いなの。わかる?」
どうでもいい。思わずアキラがそう溢すと、グンジが急に表情を表して強かにソファーを蹴りつけた。衝撃にソファーがぐらぐらと揺れる。
「…気持ち悪いんだよ。その目がよ?てめえとヤるくらいならァ、ライン使ってるヤツら切り裂く方が全・然マシだぜ」
そういうとグンジは背を向けた。扉を乱暴に開けて、荒い足音で外へと踏み出す。扉の外では、まだ雨が降り続いていた。
叩き付けるように閉じた扉の衝撃に、黄色い傘が転がった。
どうにでもなれ。そう思って地面に腰を下ろしシャッターに凭れた。錆びたシャッターが重みに反れ、軋む。頭上には僅かにひさしがあったが、雨を防ぐには小さすぎる。そもそも、雨を防ぐために座り込んだのではないからどうでも良かったのだが。
薄く水をはったような地面に掌からこぼれた血が溶ける。指先を伝って渦を巻き、ふわりと拡散する。
血液中でも同じだろうか。アキラはそう考えた。あいつの中に溶け込んだ俺の血も、こんなふうに溶けたのだろうか。
「……っ、」
泣けたら良かった。泣いたら楽になれる、という話に縋れたら良かったのに、と思う。でも涙を流したくても、肝心の涙は一滴もせりあがっては来なかった。出そうになったくしゃみが出ないようなもどかしさ。
背中がシャッターから滑って、気が付いたら雨空が頭上にあった。大粒の雨がびしょびしょ沈んでくる。首を捻った横で、投げ出した手がゆっくり血を溶かしている。
こんなふうに溶けてしまえたらいい。溶けて、拡散して、俺の形なんて無くなってしまえばいい。
目的もなく生きるのは、死よりも辛い。そう聞いた時、ただ、そういうものなのか、と思っただけだった。別に今目的を持っているつもりもないけど。そう斜に構えて見ていた。目的を喪う、ということの意味も判らずに、あの時、
俺は今確かに喪ったんだろう。あいつと一緒に、あの喧騒に戻りたいと思った。例え無意でも、あいつと一緒ならそれでもいいと思えたんだった。俺はあいつと、
――それももう全て終わったことだ。アキラは小さく首を振った。
終わらせたことだ。望んだにしろ、望まなかったにしろ。結果として、可能性をあいつを、殺したのは俺以外の何者でもなかった。
「……どうでもいい」
口に出した言葉が、すとん、と落ちた。ふと本当にどうでも良くなる。頭の中でない交ぜになっていたごちゃごちゃしたものが消える。伏せた目蓋に雨粒が当たって冷たい。伏せた途端、怒濤のように押し寄せてきた睡魔を振り払う理由は見付からなかった。
「♪うおーきんざさーんしゃー」
はっとして目を覚ますと、歌声が間近まで迫っていることに気付く。相変わらず雨は降り続いていて、迫る足音も水音を孕んでいる。そうしているうちに、ひょこり、と頭上に黄色い傘が覗いた。
「なーにしてんのっ」
ん?満面の笑みと共に首を捻ったのは、処刑人の片割れだった。名前は……何と言ったか。
「なにしてんの?」
ブーツの先がアキラのこめかみを叩いた。それでもアキラが返事をしないでいると、処刑人は大袈裟な溜め息を吐いて、アキラの横に腰を下ろした。
「こんな所でお昼寝してると、こわぁいオオカミさんに食べられちゃうかもよ???」
うひゃ、と処刑人は笑うと、アキラの言葉を促すためにまた首を傾げた。
「――どうでもいい」
「へえ?」
「……どうでもいいんだ、もう」
がしゃん。処刑人が傘を投げ捨てた。元々傷んでいたのか知らないが、少し離れて転がった傘はひしゃげ、何とも頼り無く雨に打たれていた。
「いいの?」
骨張った指が頬を撫でる。冷えきった俺と違い、僅かに体温を残した指先。
――生きてる。
人が生きている温度だ。俺があいつから奪ってしまったものだ。あいつには二度と、取り返せないものだ。
ぶるりと身震いしたアキラを、処刑人は誤解した。
「怖い?」
指先が顎を滑って、喉仏の上で止まる。思わず引きつらせた喉を処刑人が嗤った。
「猫ちゃん、行くとこねえならうち来いよ……っと、その前に」
処刑人は指を離して立ち上がると、早足に傘の方へ歩いていった。ひょい、と無惨にひしゃげた傘を意味もなく差して、アキラへ手を差し伸べた。
「ん」
「…………」
「だーっ!もう!」
処刑人は早くも痺れを切らして地団駄を踏むと、アキラの腕を掴んで無理矢理立ち上がらせた。そのまま腕を引いていく処刑人にアキラは大人しく従い、いつしか廃ビルへと連れ込まれていた。
「城に連れて帰ったらジジに先食われっかもしんねえからなァ?」
処刑人は困ったふうな溜め息を吐いて見せる。――そうだ、思い出した。こいつの名前は、
「……グンジ、か」
「あ?なに?俺のファン?なんつってぎゃははははははっ!!」
ソファーに座っていたグンジが足をばたつかせて笑う。そして一頻り笑うと、唇に笑みを貼り付けたまま扉の前に立っていたアキラへ手招きした。そしてアキラを手の届く範囲内に入った途端捕まえ、ソファーへと組敷く。
「いただきます」
言うやいなや、グンジは掌をアキラのシャツの中に潜り込ませた。乾いた指先が濡れた皮膚を滑る。
「……あー、その、何?」
指先の感覚を辿っていた思考から引き離される。ぼんやりとしていた焦点を合わせると、何やら固まったグンジが目に入った。下から見上げているせいで、普段は髪に隠されている顔がはっきりと見えた。存外に綺麗な顔立ちをしている。
「…抵抗とか、しねえの?」
グンジの爪がアキラのベルトの金具を叩いた。アキラはその指を一瞥し、首を捻って視線を逸らす。
「……どうでもいい」
「は……」
かちっ。一際固い音でベルトが鳴った。
「はァ!?どうでもいい!?イミわかんねー!!!」
「…煩い」
「つまりてめえは、俺に切り裂かれようが突っ込まれようがどうでもいいってこと!?はあ!!??」
煩い。なんだか馬鹿らしくなってアキラは口を噤んだ。つられたように急に静かになったグンジを見上げると、どうやら放心しているらしかった。視線が合ってグンジは夢から覚めたように瞬きし、表情を消して立ち上がった。
「……ダリぃ」
僅かに背中を起こしたアキラに、舌打ちと一瞥をくれる。
「俺はさァ、お前みたいなヤツ嫌いなの。わかる?」
どうでもいい。思わずアキラがそう溢すと、グンジが急に表情を表して強かにソファーを蹴りつけた。衝撃にソファーがぐらぐらと揺れる。
「…気持ち悪いんだよ。その目がよ?てめえとヤるくらいならァ、ライン使ってるヤツら切り裂く方が全・然マシだぜ」
そういうとグンジは背を向けた。扉を乱暴に開けて、荒い足音で外へと踏み出す。扉の外では、まだ雨が降り続いていた。
叩き付けるように閉じた扉の衝撃に、黄色い傘が転がった。