麻多さん家の家庭事情
私は産まれて暫くしてから福島の麻多の家へと行った。いかされた、というのが正しいであろう。
それは母が行方不明になり京都にある本家の麻多の家は盆と正月が一緒に来たような慌しさであった。
自然の中でならいいのでは、と私は福島に行ったが兄は本家にいた気がする。
まだその時は、兄が頭首候補であったから。何かあった時のためにいたのだろう。
福島の麻多の家は昔ながらの縁側のある広い一軒家だった。
そこには2人の祖父母と呼べるような年齢の老夫婦が住んでいて私はそこに小学校入るまでお世話になった。
毎日が先程の言うとおり木登りをしたり虫を取ったり。冬には雪が降るので雪合戦をしたりスキーなどをしたり。
私の性格はお世辞にもおしとやかで大和撫子、と呼べるようなものではなかったから助かったは助かったのだが。
男子に混ざってやるのは良かったのだ。福島と言えども山の方なので自然しか無く、体を動かすのが好きな私にとっては男子に混ざるしか方法は無かったのだが。
休みになるとたまに柴村の娘が来るのも楽しかったがあの子は運動が得意じゃなかったから私にはいまいちだった。
福島での生活は楽しかった。
しかし、母が見つかると本家に戻され京都の方で兄と一緒に学校通うことになった。
それも苦労はなかった。ただ苦痛だったのは、習い事として習わされた芸くらいだった。
その時に妹が産まれたが驚いたのが母が自ら産んだということ。
ただ、あまりの痛さに自分の子供ではない、と言い張ってるようだが。
その後も何事もなかったように小学校を卒業し、中学、高校へと進んだ。
若干の変な噂もまとわりついたがそれは私の目つきの悪さが原因で色々と付いたようなので気にはしていなかったが。
ちょうど中学卒業した時、兄は渡仏した。
「自分が学びたいことは此処にはないから」と言って早々と一人フランスへと旅立った。
その後は私は東京の高校に入ったがその時くらいからだった。
自分の衝動が止められず。同級生やらにレイプされそうになった時。
呼び出された場所が悪かったというか。私は手にしたバッドを思いっきり横に振り回し、殺さないようにとたたきつけた。
その時が、私の血が騒いだというのか。
人を傷つけるのが、楽しいだなんて非道だわなんてもう気づいてる。
その後は自由な校風の学校がある、と聞いて私は銀誓館学園へと一歩足を踏み入れた。
…能力者の、学校だとは知らずに。
作品名:麻多さん家の家庭事情 作家名:むいこ