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里海いなみ
里海いなみ
novelistID. 18142
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果て

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小股潜りという言葉は決して褒められた意味ではない。むしろ、相手の隙を見てつけ込んだり、小細工をして罠に嵌める、というような意味がある。それ故かこの男はどこか仙人然とした人とはどこか違うような雰囲気を持っていた。そして、百介は少なからずその男の、その雰囲気に惹かれている。もちろん百介に衆道の気があるわけではない。だが江戸一の野暮天と自負している事もあり女人にも関心はなかった。その感心は本や諸国の怪談奇談に向けられる。故に、今日も貸本屋から仕入れた本を前に養い家である蝋燭問屋生駒屋の離れで暢気に構えていたのである。見た事のある話もあれば、全く知らなかった話もあり時が過ぎるのも忘れてその本に没頭した。
―――りん。
本へと集中していた意識が、一挙に飛び散った。聴き慣れた鈴の音、顔を上げれば庭先に白い帷子と木綿の御行包みがぼう、と浮かび上がっていた。嗚呼もう夜なのかと、初めて戌の下刻だという事を知った。それほどまでに没頭していた様で一気に恥ずかしくなり、百介は庭先の御行へと声を掛けた。
「何か御用ですか、又市さん」
つい、と開く障子の隙間から入る風は矢張りまだ冷たく眉を寄せた。江戸は人が多いにも関わらず、冷たい。人が多いからこそ冷たいのだと百介は考えていた。
人が多い江戸よりも、もっと山里の方が暖かいと今まで色々と旅をしてきた中で体感してきた事だった。
「へェ、良い酒が手に入りやして。先生と飲もうかと」
「私とですか?治平さん達がいるのに、よろしいので?」
「冗談じゃねェや、治平なんかと飲んでたらすぐに無くっちまわァ。もったいなくていけねェ、…と、先生は甘い口だったか、饅頭もありやすぜ」
その相変わらずの言い方に、思わず笑みが零れてしまう。
「じゃあお上がり下さい、其処は寒いでしょう?」
ちゃぷんと音を立てる大きな酒の入った徳利―所謂貧乏瓢箪と呼ばれる其れを軽く揺すりながら見せてくる又市―御行の名だ―に更に身を乗り出して中へ入るように促す。
今にも雪が舞ってきそうな空の下、御行は薄い白帷子一枚で立っているのだ。幾分か前に此れが一帳羅だと言っていた事をぼんやり思い出しながらも手近に散らばっていた本を何冊か手に取った。そうしないと、百介の部屋は座る場所どころか足の踏み場も無いのだ。中を覗きこんだ又市は先程の百介の様に小さく笑った。見た所散らばっているのは矢張り女子供が好む様な妖怪幽霊怪談奇談の類の本の様だ、時折挿絵だろうか拙い手の妖怪の姿が見える。
「ど、どうぞ又市さん」
「お邪魔致しやす」
軽く頭を下げながらするりと上がり込んでくるその手際の良さにいつもの事ながら感心する。草履を片付けながら敷かれている座布団を横に寄せ、直接床に腰を下ろした。その様子に不思議そうに首を傾げる百介に、目を向ける。この男は何時になったら自分達との境界を理解するのだろう。
「奴みてェな下賤の者は床で充分でやすよ」
「いえ、床は冷たいですから。どうぞお気になさらず」
頑として譲らないのは百介だ。この男は何時も又市と自分を同じ立場で対等に扱おうとするのだ。それが、又市にとっては迷惑であり、また嬉しくもあった。どうぞ、と言いながら寄せられる座布団に知られない程度に苦笑を浮かべて大人しく其れに腰を下ろした。
ぐるりと首を巡らせて部屋の中を窺えば目に入るのは本の山。先々代からの蒐集が積もり積もった部屋だと言うが、それにしても多い。徳利を自分と百介の間に置きながら又市は感心したように溜息をついた。
「それで、又市さん本当のご用件は何でしょうか」
「…いや、普通に酒を飲みに来ただけでさァ」
「……新しい仕掛けの話ではなくてですか?」
本気でそう考えていたらしく呆けた様な其の顔に先刻とは違った意味で溜息が出た。
「今まで仕掛けの話する為に奴がこんな回りくどい方法なんて取った事ありやすか」
「…いえ…」
凝乎と見つめてくる又市の言葉に酷く自分が恥ずかしい事を言ってしまった様な気がして顔を伏せた。
偈箱から猪口を取り出しながらそんな百介を見やる。顔を伏せている百介には見えていないだろうがその目は何時になく優しいもので、今この場に仕掛けの仲間である山猫廻しのおぎんやら事触れの治平がいればそれはもう恐ろしいものでも見た様な顔をするだろう。
「先生、どうぞ」
「え、あ、有難う御座います」
差し出された猪口を受け取りつつ、顔を上げて又市の顔を盗み見た。表情は読めない。いや、本当ならば読めるのだろう単純に百介が鈍いだけだ。小さな其れを持ち直せば直ぐ様酒が注がれる。透明な其れからの仄かな甘い香りが鼻腔を擽り、一瞬間を置いて其れを飲み下した。すとん、と実に軽く喉を滑り落ちていった酒の味に軽く目を見開く。
「此れ、飲みやすい、ですね又市さん」
「言ったでやしょう、良い酒が手に入ったって」
此方もどうぞ、と薄い紙に包まれた饅頭を差し出す。百介も良く知っている大店の物で、其の店の味は誰もが認めている。見る間に童の様な嬉しそうな表情を浮かべた百介に差し出しつつ、喉を鳴らして笑った。普段は何処か抜けている様であり、時に酷く大人びていて妖艶な表情を浮かべる時もあり、なのに今は十にも満たない様な幼い表情を向ける。実に、素直なのだ。この山岡百介と言う男は。

*  *  *

それから半刻程経っただろうか、又市の持って来た徳利の中身は半分程無くなり、百介の意識はふわふわと混濁していた。酒は余り飲まない百介に次々と注ぎ、自身は飲みながらも全く酔っていない様な顔をしている。赤い顔をして上体を揺らしているそれを見計らったように、又市は口を開いた。
「…先生、前にも一度問いやしたがね、いいんですかい?奴達と一緒に行動しちまって。同心の兄上様が心配なさるんじゃねェですか」
凝乎と見つめる。
「…兄上がですか…?」
行き成り、どうしたのだろう。
どろりと白く濁った頭を軽く振り、又市を見れば真剣な目
に射抜かれ百介は更に首を傾げた。
一緒に行動 仕掛け 兄上 又市さん 心配
まるで言葉遊びの様に次々と言葉が浮かんでは消えていく。
「何時まで、奴達と一緒におりなさるおつもりで?」
瞬間、宙に浮いている様だった百介の頭の中に冷たく凝った氷が浮かんだ。冷やりとした其れは酒に酔い熱くなった頭の中を冷やしていく。聞き間違いでなければ、何処か拒絶の意を含んだ様な言葉で。思わず視線が泳ぐ。
「あ、の…それ、は、如何いった…意味、で…」
「聞いた通りですよ、先生は堅気のお方で兄上様は同心、    昼の世界のお方だ。其れに比べて奴達は裏の人間。本来なら相容れねェもんなんでやす。奴達と一緒にいりゃァ先生の身にも――…っ」
危険が。
言葉は息と共に喉の奥へと飲み込まれた。滅多に驚く事の無い又市の目が見開かれる。見開いた目の先には、百介の旋毛があり、僅かばかり遅れて今如何いう状況なのかを理解する。白帷子は薄く、相手の体温を直に伝えてくる。嗚呼、自分は今百介に抱きつかれているのだ、と理解した。自分は相手の身を案じて忠告をしていただけなのに何だこの状況は。
「…先生?」
「……嫌です、又市さん。私は、慥かに足手纏いです。で  も、それでも、皆さんと、一緒に居たいんです。私を、私の今までを…殺さないで下さい…」
作品名:果て 作家名:里海いなみ