夜も忘れて
執事――クロードはといえば、まずは白手袋を外し、アロイスが驚いたことに三つ揃いのジャケットまで脱いでしまって隅におしやった。それからシャツの腕をまくって、桶の前に膝をつきアロイスのふくらはぎにまずは腕を伸ばした。洗うというよりもさすったり筋肉をほぐしたりするような手つきでふくらはぎから足の指の隙間までをゆったりと動かす。浴室には、しばらくの間ぴちゃぴちゃいう水音だけが響いていた。足元からあたためられているおかげでアロイスがうとうとし出したのを見てとると、身を乗り出したクロードがなにか重要事項を伝えるみたいに囁いた。
「もう少々ご辛抱ください」
「うん」
ふわあ、と欠伸を漏らしたくらいだったから、辛抱などしていなかった。それでクロードが桶から脚を持ち上げてタオルで拭きはじめたとき、アロイスはほんのちょっぴり失望した。
肌をすっかり乾かしたあとにはクリームが塗り込められて、クロードが毛布にくるんだアロイスを先程と同じように抱えあげる。もう一度欠伸をしたアロイスはこれも先程と同じく頭から上半身の殆どまですっかりクロードに預けてしまう。目をつむって、次に開くまで。一瞬で綺麗に調えられたベッドの上に下ろされ、いや下ろされそうになり、背中がシーツに触れた瞬間、アロイスはハッとして目をできるだけ大きく開いて金色の瞳に映った自分と視線を合わせた。
「クロードっ」
呼ぶまでもなく彼は動きを止めたけれど、言いたいことがまるっきり見つからずにアロイスは焦った。焦って、再び動き出そうとしたクロードの首元に両腕を回して齧り付いて耳に口を近付けて、
「抱いて」
いち早く口をついて出た言葉にアロイス自身が動転するはめになった。しかも、自分の本意からあながち遠くもなかったのが憎たらしい。青くなったり赤くなったり忙しい主人を尻目に、いつも通り冷静沈着な執事は眉ひとつ動かさずに仕事を続けた。つまり、アロイスをそっとベッドに下ろし、羽根布団をかけてやり、指示を待つために枕元に佇んだ。
その様子を眺めているうちにアロイスもすこしずつ落ち着きを取り戻した。がやはりなにか物足りなかった。自分がもういいよ、と一言口にすればクロードはおやすみを言っていなくなるだろう。どうすれば彼を留め置けるかがただただ分からない。結局は腕だけ伸ばして、掴んだ袖口を弄びながら見上げた。
沈黙が流れ、そして。
「あっは、ほんとうにしてくれるんだ、クロード!」
唇が離れるやいなや上半身を起こして目を輝かせたアロイスが小さく叫ぶのを執事は元通りベッドの中に押し込めた。聞こえなかったんじゃないかって思ったじゃないかクロードったら。言いながら引き寄せて自分から口付けてゆく様は小鳥が餌を啄む姿にも似ている。もっとも蝋燭の灯に照らされた少年の髪がオレンジに染まってちらつく様は青白い肌と相俟ってやはりどこか扇情的でもあった。ときどきわざとらしい瞬きをしてアロイスが声もなく誘っているかのように笑う。
そうしているうちにもクロードが寝間着の釦をわざとらしい緩慢さで外していき、すっかりあたたまった肌に這わされる手(いつの間にか手袋はまたもやどこかに消えてしまった)にアロイスがまだくすぐったがっているうちに囁きかけた。
「お疲れでしょうから、手早く済ませますよ」
「……うん」
今度のキスは長く、もはや戯れでない、主人が息も付けぬほどのに激しいものになった。結局つい先程の執事の言葉もたてまえでしかなかったのだった。