Küss mich nicht!(Don't kiss me
───その日。
この上なく厳かに、きっぱりと、竜ヶ峰帝人は宣告した。
「静雄さん」
「あん?」
「ちゅー禁止です」
「………え…」
【Küss mich nicht!】
静雄の頭は物理的にテーブルに沈んでいた。
新羅はその派手な金髪の頭を眺め下ろしながらコーヒーを一口啜り、心底しみじみと呟いた。
「諸行無常、世は無情だね。まさかあのシズミカップルに破局のときが来ようとは」
「破局してねえ…」
静雄が蚊の鳴くような声でテーブルの内側から言った。破片が散る。それを手で払ってセルティがPDAを差し出した。
『新羅、新羅、そのしずなんとかってなんだ?』
「ああセルティ! 率直に言って君は知らなくっても全く問題ない無駄知識だが尋ねられたら答えざるを得ない! シズミカは静雄と帝人くんの合成語で、そこにカップルを足したのが"シズミカップル"という言葉らしいよ! プロデュースドバイ狩沢嬢!」
新羅は無駄にきらきらした笑顔でセルティに答えた。セルティは首を傾げる。
『よく分からないんだが…』
「うん、俺もよくわからない! なんでも彼女が言うには、彼女たちの世界では誰かと誰かが恋人同士になるとその名前なんかの頭文字をとって3、4文字程度の略称でカップル名をつけるそうだよ。コブ○ロみたいなもんだね。で、この場合静雄と帝人くんだから、」
『おお、シズミカだ!』
「その通り! ついでに周りの人間が地に沈むような脱力感を与えるから"沈みカップル"もかかってます☆だってさ。私も全面的に賛成だね!」
『すごいな彼女…!』
セルティはいたく感動して両手を合わせている。きっと首があったらその目はキラキラ輝いているに違いない。新羅はそんなデュラハンの様子を見てこの上なく満足げにうなずいた。
「その、周りにあれだけの被害をもたらした静雄と帝人くんが破局とはねえ。人生何があるか分かんないね」
「…だから破局してねえっつってんだろ…」
静雄がごりごりと音を立てて顔を上げた。ぱらぱらとテーブルの破片が顔から落ちる。傷一つないのがいっそ不気味である。
その不気味さに輪をかけるのがこの世の終わりが3回ほど続けてきた上に一族郎党死に絶えたかのような不景気な表情であった。
端的に言って凹んでいる。この上ないほど。
「とてもそうは見えないけどね」
新羅が言うのにもほとんど動きを見せない。ただ破片をつまんで弾き、新羅の額に青痣を残すばかりである。
『しかし、何があったんだ?』
悶絶する新羅をよそにセルティがPDAを掲げた。
静雄は低く呻いて顔を覆った。
「わかんねえ…ゆうべ帰ったら部屋の前に帝人がいて、…言って帰ってった…」
「ちゅー禁止だって?」
「てめえがちゅーとか言うな気持ち悪いんだよ新羅ァァ!!」
やめてやめてもげる!もげちゃう! と悲鳴をあげる新羅を無視して、セルティは無い首をかしげる。
『キス禁止ってことは、静雄、お前帝人になにかしたんじゃないか?』
「何かってなんだよ」
『…言うのもはばかられるようなこととか』
セルティは顔を背けてPDAをそっと差し出した。
「ああ恥じらうセルティもかわいい! でも静雄、本当にその可能性は高いよ。君、何かしたんじゃないの、帝人くんに」
「だから何かってなんだよ!」
「高度なプレイを要求したとか」
こりない新羅は再び静雄によって床に沈められた。
セルティはそれをずるずると回収しながら言う。
『本当に心あたりはないのか? だってお前たち、すごくうまくやってたじゃないか』
「…俺もそう思ってたよ」
昨夜までは。
───前日の晩、静雄は上司と別れてだらだらと家路を辿っていた。
月が明るい。都会でも案外月ってな見えるもんだな、と静雄は感心する。
ぷかりぷかりと煙草をふかしながら部屋の前まで来ると、そこに小さな人影を見つけた。
「帝人」
人影は振り返る。月明かりと、廊下の蛍光灯に照らされた顔は年下の恋人のものだった。
静雄を認めてきゅっと眉根が寄せられる。
それを怪訝に思いながら、静雄は足早に自分の部屋の前で立ち尽くしていた恋人に歩み寄った。
「どうしたんだ、もうおせーぞ」
「…静雄さん」
中入っていいですか、と恋人が言うもので、静雄は慌てて鍵を取り出す。
冷えた部屋に灯りをつけて振り返ると、帝人は玄関に立ったまま、この上なく厳かに静雄の名前を呼んだ。
「静雄さん」
「あん?」
静雄は上がんないのか、という意味も込めて片眉を上げた。
しかし帝人は、静雄のこの世で一番大切な子供は、きっぱりはっきりと言い放った。
「ちゅー禁止です」
───静雄が我に返ったのは、帝人の足音が廊下の奥遠くに消えて行って、更に暫ししてからだった。
『うーん…』
「なんだよ、俺なんか悪いことしたかよ…」
その後、ふらふらと一夜を明かした静雄はふらふらと岸谷家へ彷徨い到り、何事かと慌てふためくセルティと面倒くさいと顔に大書した新羅の前で、ずーんと擬音でもつけておきたいくらいの分かりやすい凹みっぷりを晒している。
「悪いことしたんじゃなきゃあの帝人くんがそんなこと言わないだろうね。あの、ていうかこの静雄とお付き合いしてたくらいの子だし」
やっぱ破局? と首を傾げる新羅に、静雄はもはや突っ込む気力もないらしい。力ない声で「帝人…」と呟いている。
セルティは腕を組んで天井を見上げ(る素振りをし)、ぽん、と手を打った。
『やっぱりここは本人に聞くしかないだろう』
「何言ってくれちゃってんのセルティさんよ…」
恨めしげな目をする静雄に、セルティは諭すようにPDAを揺らす。
『だが静雄、とにかくどうしてキス禁止なのか、聞いてみないことには分からないぞ。帝人がほんとにお前と別れたくてそんなことを言ったのか、お前とキスするのが厭になったのか、それとも他に何か理由があるのか。お前だって知りたいだろ』
「…しりた…くない…こともない…かもしれなくもなくもな」
『やかましい』
セルティはぐじぐじ言う静雄の額をぺんと叩いた。男前だ。
そのままううう、と呻く静雄をよそに、セルティは携帯電話でぽちぽちとメールを打ち始める。5分もしないうちに彼女はぱちんと携帯を閉じると静雄を見やってPDAを掲げた。
『30分で来るそうだ』
「ッ!!」
静雄はがばりと跳ね起きた。
新羅がおお、と感嘆の声を漏らす。
「さすが僕の愛しいセルティ、段取り上手だね!」
『いいか静雄、帝人が来たらちゃんと聞くんだぞ。キレるなよ、お前の今後の人生はこの一番にかかってるんだからな』
セルティは喜んでいるのが尻込みしているのか、凄まじく複雑な顔をした静雄を見やって言う。静雄は神妙に頷いた。
「ほんとに分かってんのかな君は」
新羅がぼそりと呟く。静雄は新羅を射殺しそうな目で見て、「分かってるよ」と言った。
言ったのだが───…。
「帝人っ!! 帝人帝人帝人みかど!!」
「…全然分かってないじゃん」
新羅は額を押さえて呻いた。その横でセルティが渾身の力で医学書をフルスイングした。静雄の頭に。
この上なく厳かに、きっぱりと、竜ヶ峰帝人は宣告した。
「静雄さん」
「あん?」
「ちゅー禁止です」
「………え…」
【Küss mich nicht!】
静雄の頭は物理的にテーブルに沈んでいた。
新羅はその派手な金髪の頭を眺め下ろしながらコーヒーを一口啜り、心底しみじみと呟いた。
「諸行無常、世は無情だね。まさかあのシズミカップルに破局のときが来ようとは」
「破局してねえ…」
静雄が蚊の鳴くような声でテーブルの内側から言った。破片が散る。それを手で払ってセルティがPDAを差し出した。
『新羅、新羅、そのしずなんとかってなんだ?』
「ああセルティ! 率直に言って君は知らなくっても全く問題ない無駄知識だが尋ねられたら答えざるを得ない! シズミカは静雄と帝人くんの合成語で、そこにカップルを足したのが"シズミカップル"という言葉らしいよ! プロデュースドバイ狩沢嬢!」
新羅は無駄にきらきらした笑顔でセルティに答えた。セルティは首を傾げる。
『よく分からないんだが…』
「うん、俺もよくわからない! なんでも彼女が言うには、彼女たちの世界では誰かと誰かが恋人同士になるとその名前なんかの頭文字をとって3、4文字程度の略称でカップル名をつけるそうだよ。コブ○ロみたいなもんだね。で、この場合静雄と帝人くんだから、」
『おお、シズミカだ!』
「その通り! ついでに周りの人間が地に沈むような脱力感を与えるから"沈みカップル"もかかってます☆だってさ。私も全面的に賛成だね!」
『すごいな彼女…!』
セルティはいたく感動して両手を合わせている。きっと首があったらその目はキラキラ輝いているに違いない。新羅はそんなデュラハンの様子を見てこの上なく満足げにうなずいた。
「その、周りにあれだけの被害をもたらした静雄と帝人くんが破局とはねえ。人生何があるか分かんないね」
「…だから破局してねえっつってんだろ…」
静雄がごりごりと音を立てて顔を上げた。ぱらぱらとテーブルの破片が顔から落ちる。傷一つないのがいっそ不気味である。
その不気味さに輪をかけるのがこの世の終わりが3回ほど続けてきた上に一族郎党死に絶えたかのような不景気な表情であった。
端的に言って凹んでいる。この上ないほど。
「とてもそうは見えないけどね」
新羅が言うのにもほとんど動きを見せない。ただ破片をつまんで弾き、新羅の額に青痣を残すばかりである。
『しかし、何があったんだ?』
悶絶する新羅をよそにセルティがPDAを掲げた。
静雄は低く呻いて顔を覆った。
「わかんねえ…ゆうべ帰ったら部屋の前に帝人がいて、…言って帰ってった…」
「ちゅー禁止だって?」
「てめえがちゅーとか言うな気持ち悪いんだよ新羅ァァ!!」
やめてやめてもげる!もげちゃう! と悲鳴をあげる新羅を無視して、セルティは無い首をかしげる。
『キス禁止ってことは、静雄、お前帝人になにかしたんじゃないか?』
「何かってなんだよ」
『…言うのもはばかられるようなこととか』
セルティは顔を背けてPDAをそっと差し出した。
「ああ恥じらうセルティもかわいい! でも静雄、本当にその可能性は高いよ。君、何かしたんじゃないの、帝人くんに」
「だから何かってなんだよ!」
「高度なプレイを要求したとか」
こりない新羅は再び静雄によって床に沈められた。
セルティはそれをずるずると回収しながら言う。
『本当に心あたりはないのか? だってお前たち、すごくうまくやってたじゃないか』
「…俺もそう思ってたよ」
昨夜までは。
───前日の晩、静雄は上司と別れてだらだらと家路を辿っていた。
月が明るい。都会でも案外月ってな見えるもんだな、と静雄は感心する。
ぷかりぷかりと煙草をふかしながら部屋の前まで来ると、そこに小さな人影を見つけた。
「帝人」
人影は振り返る。月明かりと、廊下の蛍光灯に照らされた顔は年下の恋人のものだった。
静雄を認めてきゅっと眉根が寄せられる。
それを怪訝に思いながら、静雄は足早に自分の部屋の前で立ち尽くしていた恋人に歩み寄った。
「どうしたんだ、もうおせーぞ」
「…静雄さん」
中入っていいですか、と恋人が言うもので、静雄は慌てて鍵を取り出す。
冷えた部屋に灯りをつけて振り返ると、帝人は玄関に立ったまま、この上なく厳かに静雄の名前を呼んだ。
「静雄さん」
「あん?」
静雄は上がんないのか、という意味も込めて片眉を上げた。
しかし帝人は、静雄のこの世で一番大切な子供は、きっぱりはっきりと言い放った。
「ちゅー禁止です」
───静雄が我に返ったのは、帝人の足音が廊下の奥遠くに消えて行って、更に暫ししてからだった。
『うーん…』
「なんだよ、俺なんか悪いことしたかよ…」
その後、ふらふらと一夜を明かした静雄はふらふらと岸谷家へ彷徨い到り、何事かと慌てふためくセルティと面倒くさいと顔に大書した新羅の前で、ずーんと擬音でもつけておきたいくらいの分かりやすい凹みっぷりを晒している。
「悪いことしたんじゃなきゃあの帝人くんがそんなこと言わないだろうね。あの、ていうかこの静雄とお付き合いしてたくらいの子だし」
やっぱ破局? と首を傾げる新羅に、静雄はもはや突っ込む気力もないらしい。力ない声で「帝人…」と呟いている。
セルティは腕を組んで天井を見上げ(る素振りをし)、ぽん、と手を打った。
『やっぱりここは本人に聞くしかないだろう』
「何言ってくれちゃってんのセルティさんよ…」
恨めしげな目をする静雄に、セルティは諭すようにPDAを揺らす。
『だが静雄、とにかくどうしてキス禁止なのか、聞いてみないことには分からないぞ。帝人がほんとにお前と別れたくてそんなことを言ったのか、お前とキスするのが厭になったのか、それとも他に何か理由があるのか。お前だって知りたいだろ』
「…しりた…くない…こともない…かもしれなくもなくもな」
『やかましい』
セルティはぐじぐじ言う静雄の額をぺんと叩いた。男前だ。
そのままううう、と呻く静雄をよそに、セルティは携帯電話でぽちぽちとメールを打ち始める。5分もしないうちに彼女はぱちんと携帯を閉じると静雄を見やってPDAを掲げた。
『30分で来るそうだ』
「ッ!!」
静雄はがばりと跳ね起きた。
新羅がおお、と感嘆の声を漏らす。
「さすが僕の愛しいセルティ、段取り上手だね!」
『いいか静雄、帝人が来たらちゃんと聞くんだぞ。キレるなよ、お前の今後の人生はこの一番にかかってるんだからな』
セルティは喜んでいるのが尻込みしているのか、凄まじく複雑な顔をした静雄を見やって言う。静雄は神妙に頷いた。
「ほんとに分かってんのかな君は」
新羅がぼそりと呟く。静雄は新羅を射殺しそうな目で見て、「分かってるよ」と言った。
言ったのだが───…。
「帝人っ!! 帝人帝人帝人みかど!!」
「…全然分かってないじゃん」
新羅は額を押さえて呻いた。その横でセルティが渾身の力で医学書をフルスイングした。静雄の頭に。