褒めないという愛情
臨也には、本来ならば学生生活の中で大半を過ごすはずの教室以外に、少なくはない頻度で足を運ぶ場所がふたつあった。
うちのひとつは、むしろ教室以上に居ることが多いのではないかと言えそうな、サボるためだったり昼食の際にだったりその他諸々だったりに使用する、来神高校の屋上で。
そこには大体、臨也が無理やりに付き合わせた門田とサボタージュしている姿や、昼食時のみ休戦協定を交わした静雄を含め、新羅も合わせた四人での昼食風景のほか、食後だからとサックリ協定を破り喧嘩を売る臨也と、それを般若もびっくりの形相で追いかける静雄とのリアル鬼ごっこの惨状だったりが広がっている。
しかし、主な出没個所であるその屋上に、臨也が現れない時もあった。
そういう日は、門田も昼食時に現れるくらいで、あとは授業を受けたり屋上ではないどこかしらへと姿を消している。
特に臨也の方は徹底していて、学校に来ていても授業には参加せず、かと言って屋上でサボタージュに耽るわけでもなく、それどころか昼食時にも姿を現そうとはしない。
たいてい、放課後を過ぎ部活も終わるような時間帯になってから、ふらっと教室に戻ってきて鞄を取り、そのまま帰宅していた。
頻繁ではないが、稀でもない頻度で、そういう日はたびたびあった。
新羅はそれをいちいち指摘するほどにお節介でも親切でもないし、静雄は静雄でちょっかいを出されないで済む平穏を素直に喜んでいたから、特に気にとめることもなく。
───だから、臨也が向かう教室でも屋上でもないその場所は、そういう日に同じように姿を消したりする、門田しか知らない。
「…出席日数、足りないんじゃないのか」
膝を抱えて座り込むその背中に、容赦なく体重をかけてよりかかり、門田も床に腰を下ろした。
重い、とくぐもった非難が聞こえるが、無視して読みかけの文庫本を開く。
しばらく無言のままで居れば、小さくため息を吐く音がして、よりかかった背中が居心地悪そうに身じろいだ。
「重いってば」
「知らん」
素っ気なく返す門田の声に、もう一度ため息が漏れる。
それは呆れというより諦めだ。
問いに答えない限り、その重さが退かないことは分かっている。
「……ちゃんと計算してるに決まってるでしょ」
俺を誰だと思ってんの、と呟くいつも通りの台詞に、いつも通りの覇気はない。
問いはしたが、答えなど最初から予想していた門田は、振り向いて臨也、とその背中を呼んだ。
相変わらず、男子高校生にしては薄くて細い肩が、ほんの少し揺れる。
「昼は食ったのか?」
「まだ」
「…朝は食ってきたのか?」
「俺が朝食べてこないの知ってるだろ、京平」
呼ばれる名前に、門田は嘆息した。
いつもいつも「ドタチン」などという失礼なあだ名で呼ぶくせに、この時だけは臨也は名前で呼んでくる。
それを、喜ぶべきか憂うべきか、門田はいまだに判断できない。
すこしは頼られているのだとは思う。けれど結局それは、「こういう時」だけだ。
自分で仕掛けて勝手に傷付いて、すべてが自業自得のくせに臨也がすこし疲れてしまう時、だけなのだ。
…体よく利用されているともとれる。
(甲斐甲斐しくコイツが食いそうなモン買ってきてるしな)
思いながら差し出すコンビニのビニール袋が、がさりと揺れた。
「適当に買ってきたから食え」
「いらない」
にべもない。いつものことだが。
こちらを振り向くどころか、いまだに顔を上げようともしないその頑なな姿に、門田は呆れも諦めもせず、また臨也を呼んだ。
「おい、臨也」
「いらない。腹減ってないし」
「臨也」
「…おせっかい」
そのお節介を待ってるのはどこの誰だ、と言いたいのを堪える。
さすがにそれは意地が悪い。
「泣いてるのか」
「うっさいよ」
黙れ、と悪態をつく臨也。
それでもいつも、彼は否定しないのだ。
「…お前も懲りないな」
「京平に言われたくない」
「素直になればいいだろ」
「なれないからヘコんでるんだよ」
「泣くくらい辛いなら、素直になるのなんか簡単だろうが」
「毎回毎回しつこいよ」
「毎回毎回言わせてんのはどこの誰だよ」
これは何度目の問答だ。
もうとっくに両手の数なんて超しているはずのやりとりに、門田は苦笑する。
「優しく慰めるとか出来ないわけ」
「ねえだろ、それは」
「………俺のことすきなくせに」
軽く言われた台詞に、門田は同じように軽く、鼻で笑って返してやる。
「だからだろ。なんでお前が静雄のことで泣いてるのに、俺が慰めなきゃなんねえんだ」
「意地悪いよ、京平……」
お前の方がもっと意地が悪い、と門田は心中でぼやく。
門田の想いを知っていて、毎度そうやって試すようなことを言うのだから。
…まあ、毎度毎度それに振り回されることを容認している自分も、つまるところ自業自得なのだろうが。