首輪に繋がれた猛獣の話
ましてやこんな子供に負わせようなどとは考えたこともない。
静雄は肉体的にはどれ程非常識であっても、そういった面では非常にまともにできていた。
けれども、自らの力を自覚してから始めて得た存在が嬉しくて、心地よくて、ついこんなことを望んでしまう。
「ずっとこうして繋いでいて欲しいな……」
掛け値なしの本心を吐露すれば、腕の中の飼い主は素っ気無く言い捨てた。
「もう起きてお仕事に行かないと。そのときはちゃんと外しますからね」
「………」
「そんなに可愛くふくれてもダメです。絆されませんよ。田中さんも仰っていたでしょう。お仕事のときはダメだって」
「……言われたけどよぉ……」
「社会人としてのけじめだって。僕にはまだ静雄さんを養えるだけの収入はないんですから、今はまだちゃんとお仕事に行って下さい」
「……おう」
なにやら将来の展望が明るそうな帝人の言いまわしに、静雄はようやく腕の中の幸福を手放す気になれた。
がっちりとホールドしていた腕を解いて起き上がると、帝人ものそのそと身を起こした。
帝人が身に着けている海の色のパジャマは彼自身が持参した物だ。
このパジャマも、昨日脱いだ下着やシャツも、洗濯しておくという名目で預かろうと静雄は決めていた。
自宅で着る分が足りなくなると言われたら、首輪をしていないときに買ってやればいい。歯ブラシや洗面用具もだ。
帝人の日用品を自室に置いておくことで、帝人がいない日にも彼に飼われている幸せを少しでも感じたいという女々しい心理だ。
そして、また今度泊まりに来るようにとの無言の催促にもなる。
静雄は帝人に飼われているという現状に、非常に満足していた。
この立場を崩す気など毛頭なかった。
邪魔する者がいれば本気で殺しに掛るだろうと思える程に執着していた。
しかし、時々、ほんの少しだけ、思ってしまうことがある。
もしも首輪をしていなかったら。
もしも少年が飼い主でなかったなら。
彼を頭から丸ごと喰らってしまうことができるのにと。
一晩同じベッドでなにもせずに眠るなどという拷問を受けずに済んだのにと。
昨日トムから受けたばかりの忠告(未成年者にエロイことすんじゃねーぞ、犯罪だからな!)は、まったく静雄の頭に入っていなかった。
(飼い主に噛み付くのも怪我させんのもマズイけどよ、ベッドん中で襲うのはさすがに違うよな。もうそりゃ飼い主とペットとかゆー関係じゃねえし。いくらなんでも捨てられちまうよなぁ……)
理性に忍耐を強いられた夜の苦痛と、今の幸福。秤に掛ければ幸福の方が遥かに重い。
性欲を解消する相手ならば適当に見繕うこともできるが、帝人のような存在はこの先一生現れないかもしれない。
だからなにがあっても捨てられるような真似は慎まねばならないのだ。
(――でも、食っちまいてえよなぁ……マジで美味そう。てか、ぜってえ美味いだろ。――味見だけならいいよな。まだ首輪してっから)
着替えようとしてパジャマを脱ぎ掛けている肩にそそられて、かぷりと軽く歯を立てる。それからねっとりと舌を這わせると、帝人はくすぐったそうに笑った。どこまでも子供の反応だ。
「悪戯はダメですよ、静雄さん。ホラ、静雄さんもちゃんと着替えて、髭も剃らないと」
「もう少し、味見」
「僕も着替えないと、ご飯が作れませんよ。そんなところを舐めていても、お腹はふくれませんよ?」
「――メシ」
「パンと卵を買ってきましたから、それでいいですよね? 卵はどうします? 目玉焼きですか?」
「――オムレツ」
そんな物よりも帝人の方が余程美味いだろうと思ったが、確かに腹は膨れない。
それに帝人の手料理は嬉しかったのでそうリクエストすると、少年は楽しそうに笑った。
「じゃあ離れて下さい。それから静雄さんも仕度をして。野菜はサラダにしますか? 温野菜がいいですか?」
「あー……生野菜はあんま好きじゃねえ……」
「じゃあ少し加熱しましょう。さ、洗面所は先に使って下さい」
忙しなく追い立てられながらも静雄は、こんな朝が毎日繰り返されていれば良いのにと心底思った。
だから口に出して言ってみた。
「なあ、帝人。ここに住まねえか?」
「ダメですよ」
「……そう、だよな――」
「静雄さんを飼える部屋を僕が借りられたら、一緒に暮らしましょう?」
「――おう」
一旦落ち込んだ気持ちが直後に急浮上する。
「静雄さんを飼い始めてから、色々本腰入れて稼ぎに走り始めましたから。色々壊した場合のことも考えなければいけませんからね」
「――危ねえ真似はしてねえだろうな?」
「大丈夫ですよ。証券会社との契約や口座の名義は親の名前にしていますけれど」
「……大丈夫なのか? それ」
半分呆れながら、半分心配しながら問えば、静雄の飼い主は白い首輪を撫でながら、飛び切りの笑顔で答えた。
「大丈夫ですよ。飼い主としての務めを果たす為ですから」
そのひと言で舞い上がりそうなぐらい幸せになった静雄は、自分に尻尾が着いていたら千切れる程振っているだろうにと、可笑しな自覚をした。
作品名:首輪に繋がれた猛獣の話 作家名:神月みさか