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多様性恋愛嗜好 おまけ

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「……さ……てく……」
 どこか、遠くの方から声が聞こえる。同時に身体が軽く揺さぶられる感覚もした。
「……さん、起き……い」
 声の持ち主は俺から安眠を奪おうという心積もりらしい。だが俺の意識は睡魔に支配され、それらに意識を向けることは出来なかった。むしろ穏やかな声と優しい振動は俺を一層安らかな眠りに誘おうしているようにしか思えない。
 ゆるゆると繰り返される声と振動に心地よさを感じながらより深い眠りに身を任せようとするとふと声と振動が止んだ。急に取り上げられた心地よさを追うように意識が外へと向かう。
「しょうがないな……」
 しょうがない? 何がしょうがないんだ? 耳に届いた小さな呟きを疑問に思う暇もなく耳元に何やら温かいものが当たる。ふっと吐息が耳をくすぐり、耳たぶが柔らかな何かに挟み込まれる感覚にぞくりと背筋が粟立つ。意識が一気に覚醒した。慌てて起き上がろうとするが肩が何かに……いや、古泉の手によって布団に押さえ込まれ起き上がることが出来ない。
「ようやくお目覚めですか? おはようございます」
 目を見開いた先、かなりの至近距離に古泉の笑顔があった。なんで古泉がいるんだ? というよりここどこだ? 状況が掴めず呆けた顔を晒している俺に古泉は更に顔を近づけると頬にちゅっと小さな音を立ててキスをした。頬に当たる柔らかな感触に顔に熱が集中するのがわかった。
「お、おま……っえ……」
「朝ご飯、もう出来てますから早く起きてくださいね」
 古泉は照れた様子も見せずいつもの0円スマイルでそう言うと軽やかな足取りで寝室を後にした。
「……あー、そっか」
 起きた直後はなにがなにやらで混乱したがなんてことはない、ここは古泉の部屋で俺は古泉の家に泊まったんだった。更に言うなら昨日の夜、俺と古泉は名実ともにいわゆる恋人関係なるものになったのであって……そう考えればさっきのキスも当たり前のこと、なのか? 昨日以前から友人を越えたスキンシップを繰り返していたが。
 もぞもぞと温かな布団に別れを告げて立ち上がる。ベッドサイドに置かれた目覚まし時計に目をやると針はまだ朝の8時を示していた。すぐさま布団の中に戻り再び夢の世界に旅立ちたくなったがそういう訳にはいかないだろう。朝ご飯出来てるっつってたし。なにより……。
「……」
 耳たぶにそっと手をやる。目覚める直前に感じたあの感触。あれが何であるかは……追及すまい。朝っぱらから古泉とやりあう気力は湧いてこない。っていうか恥ずかしい。古泉も恥ずかしいけど俺が。俺が恥ずかしい。
「ちくしょう」
 小さく悪態をつくと古泉の後を追って寝室を出る。今までと違ってやられっ放しになるつもりは毛頭ない。いつか仕返ししてやる。

「改めまして、おはようございます」
 リビングに入ると真っ先に古泉が声をかけてくる。まだパジャマ姿の俺とは違いしっかり着替えも済ませている。首筋に不自然に赤い何かが見え、なんだと思い凝視する。奇妙な半円で、何かの歯型だろうか……と考えたところでその正体に気づく。奇妙も何もない。俺の歯型だ。
「…………はよ」
 こちらの不自然な挙動には気づいたはずだが古泉は小さく苦笑しただけで「洗面所はあちらですので」と俺を洗面所に押し込んだ。
 冷たい水で顔を洗うと朝っぱらから高められた熱が引いていくのがわかった。無造作にタオルで顔を拭くとリビングに戻る。
 テーブルにはいくつかの皿を並べられているのが確認できた。古泉に促されるままに椅子に腰掛け、目の前に並べられている料理を改めて確認する。
 真ん中にハートの形の焦げ目がついたト-スト。目玉焼きもハートの形に成形されている。サラダはトマトがハートの形になるよう並べられ、コーンポタージュには粉末のパセリが綺麗にハートの形に浮かんでいた。
「……」
 古泉の前に並んでいる料理も確認する。メニューこそ同じだがハートのハの字も見当たらない。
「どうかいたしましたか?」
 こちらの顰めた顔を見て、喜々として聞いてきた。いつもと同じ爽やかな好青年スマイルだがにやにやという擬音が俺の耳には確かに聞こえた。
「……別に」
 努めて普段通りの態度を意識してトーストにかじりついた。古泉は俺の態度に「おや」と目を丸くし、すぐに苦笑に切り替えて自分もトーストにかじりつく。
 なんか、わかった。今の食事も含めて、古泉曰く「男のロマン」な恋人ちっくな所業は本人の憧れも確かにあるのだろう。しかしそれ以上にこいつはそれをした時の俺の対応を、俺の嫌そうな態度を楽しみにやっているのだ。
 その目的は……俺から一定の距離を取らせるためと、馬鹿馬鹿しくも腹立たしい理由か。あるいは古泉の性格が悪いだけか。
 ……前者なら、この後に及んでそんなことをやってもむしろこっちからお前の奇行を進んで受け入れる気概はあるのだとわからせてやる。が、なんか後者っぽいんだよな。どこか不満そうに、つまんなさそうに目玉焼き突っついてる様子見てると。まあ、こいつの性格が悪いのなんてとっくにわかっていたことだから問題は無いが。
 ふと、朝の耳の……あれと今までの奇行に仕返しをする方法を思いついた。目には目を、歯には歯を、である。
「古泉」
 トマトをフォークでざっくり刺すと声をかける。同時に古泉の口元にぐいとトマトを突きつける。
「……ぇ?」
 この顔は何が起こっているのかまるでわかっていないな。自分に突きつけられたものが何であるかすら認識しているのかすら怪しい。ゆらゆらと俺の顔とトマトに交互に視線を動かす。ぼけっとした顔がようやく動き、困ったように笑顔を作ると小さく小首を傾げた。
「これは、一体……」
「昨日お前もやったことだろ。ああ、台詞もつけた方が良いか?」
 はい、あーんと棒読みで告げて再度トマトを押しつける。だがそれでも古泉は口を開けようとはせず、逆に身をのけぞらせてトマトから逃れようとする。
「おい、逃げんな」
 こちらは身を乗り出してなんとか古泉にトマトを食わせようとする。それでもトマト攻撃を回避しようとするので「するよりされたいんだろ、大人しく口開け」と怒気をこめて言うと少し動きが鈍った。何か反論するためだろう、うっすら開いた口をこじ開けて無理やりトマトを押し込んだ。
「んぐ」
 呻くような声をあげ、しかし一回口に含んだものを吐き出すわけにもいかないのだろう。古泉は恨めしそうな目をしながらも大人しくトマトを咀嚼して飲み込んだ。
「いきなり、何をするんですか」
 呆れたように言うが最初にこれをやったのは古泉、お前だぞ。それとも昨日の晩飯のことをもう忘れたとか抜かすのか。
「そうだとしても一言断りを入れてから実行に移して欲しかったですね」
「一言断るどころか騙まし討ちで人の口に芋突っ込んだ奴に言われたくないな」
「……そもそもこんなことを、しかも自主的にやるなんてあなたらしくもない。一体どうなさったのですか」
 話をそらすな、てめぇ。まあ俺は目の前の男と違ってそこまで性格は悪くないつもりだ。見逃してやろう。
「だから、お前が昨日『あーんはするよりされたい』って言ったから可愛い恋人の望みを叶えてやったんだろ」