現実を嗤う
01.通り過ぎてしまった未来
(来るのが遅すぎる・ということ)
絶望という感情を知ったのは十四の時。本当に大切な人が死んでしまった時。「自分にもっと力があればこの人を助けられたかもしれない。彼を殺したのは自分だ。」そう自分を責めた。責めて責めて、責め続けた。そしてすぐにもう一つの絶望を知った。俺が自分をいくら責めて或いは死んでしまいたいと思ったところで、世界は変わらないのだ。生きる者は生き続け、死に逝く者は絶えない。それはもはや、本人の意思とは無関係に決まった事であるかのように思えた。変わらない世界を前にして、俺は自分を責めることを止めた。代わりに戦うことにした。死ぬ時は死ぬ。そうでなければ生きる。生きているということは生かされているという事だ。とてもシンプルで意味のある世界。だからこそ、目を背けずに戦う。そう決めた。そして長い時間をかけて、争いの日々は終わりを迎えた。どんな事にでも終焉はやってくる。これもまた死と同じだった。
それからまた何年も経った今、俺は絶望を超えて得た心をまた壊されたような気持ちになった。悟飯さんが生き返ったのだ。死者が蘇生するなんてありえない。ありえないと知っていたからこそ、俺は今まで生きてきたのだ。悟飯さんが生き返った事が嬉しくないわけではない。そんなの嬉しいに決まっている。けれど、それとこれとは違う。根本的に思想のあるべき場所が違う。
「トランクス。久しぶり、大きくなったね。」
名前を呼ばれた瞬間、その懐かしい声の響きに、今度は俺のほうが死んでしまうと思った。