現実を嗤う
05.息を止める
(始まりと終わりを同時に見たい)
夢の中にいるのだろうと思った。悟飯さんはその指で俺の涙を拭いて泣くなと言ってくれた。悟飯さんが優しくしてくれると、どこかで失ってしまったものが少しずつ蘇るようで俺はぞくぞくしていた。気がついたらその顔を見て「好きです。」だなんて言っていた。
心の中では自分を馬鹿だと自嘲する。俺を俺と思っていないくせに、と悟飯さんは言った。ご尤も、という意見で俺はただ悲しくなった。よく分からない言葉が口から流れ出た。一緒に涙が出たけれど、泣くなと言ってくれたので腕で隠した。次の瞬間には、自分にキスをする悟飯さんを見て、ああやっぱりこの人は死んだって変わらないんだなと思った。いつもいつも遠くを歩いているようなのに、どうしてかタイミングよく振り返っては手を伸ばてくる。そんな悟飯さんをずるいと俺は昔から思っていた。そしてそんな悟飯さんが、たまらなく好きだった。
目が覚めたら自分の部屋のベッドにいた。窓の外を見遣ると、もう辺りは暗くなっている。ベッドから降りて部屋のドアを開ければ、階下からは良い香りが漂ってくる。もう夕飯の時間だ、とぼんやりとした頭で考える。とりあえずおぼつかない足取りで階段を下りて、リビングへと向かう。その間に色々な事を考えるけれど上手く頭が回らない。果たしてどこまでが夢で、どこからが現実なのだろうか。まず外で眠ったことは間違いないのだけれど、はて悟飯さんは本当に俺の隣に腰を下ろしたのか?そして一体誰が自分を部屋まで運んだのか。・・自分を運べる力の持ち主といえば悟飯さんくらいだ。そうなればやはり悟飯さんがやってきたのは現実。
そこまで考えついたのと、リビングに到着したのと、悟飯さんとばったり出くわしたのは全て同時だった。この人は死んで、でも生き返って、そして俺にキスをした。そう思うとどんな顔をしていいか分からなくなった。
「夕飯が出来たから呼びに行こうと思ったんだ。気分はどう?」
悟飯さんは普通の顔をしてそう言う。その態度に少し安心して、俺も「大丈夫です。」と返す。何がどう大丈夫なのかは分からないけれど。食卓にはもう母さんが座って待っていた。俺が椅子に座ると、悟飯さんも席に着いて、いただきます!と勢い良く食事を始める。この食事の食べっぷりは昔のままだな、と思って、そこで初めて自分が目の前の人物を「昔の悟飯さん」と認識していることに気付く。いつの間にか新しく出逢った悟飯さんはどこかへ消えて、昔から知っているその人が座っていた。現実を知ると謂うことはこういうことなのか、と俺は母さんの作った温かなスープを飲みながら思った。いつだって現実は理不尽で不条理で、俺を翻弄するのだ。きっと俺に哲学は一生持てない。つまりそういうことなのだろう。
次の日の朝、悟飯さんは俺の目の前に立って言った。その目はちょっと緊張しているようで、俺は初めて見る悟飯さんのそんな表情をじっと見ていた。
「改めて言うけど、良かったら付き合おうか。」
俺が思わず、え、と言うと、悟飯さんも、え、と言った。改めてということはもしかして昨日も言われたのだろうか。全く覚えていない自分に焦りを感じる。しかし悟飯さんはまたいつものように、はは、とちょっとだけ笑って言った。
「付き合おうよ。」
その言い方がなんだか平和すぎて、俺もつられて「はい。」と言うしかなかった。まるで恋人同士ですね、と俺が言うと、恋人同士だよ?と悟飯さんは驚いた顔をしたので、もうどうする事もできなかった。どうやら恋というのは厄介なものらしく、今まで以上に生き死に敏感になってしまいそうな自分がいた。この人より早く死にたい、と思っていたのに、今は出来る事ならこの人と一緒に死にたいと願っている。俺の命は歯車をどんどんはめられて、知らない方へと転がってゆく。今はそれが心地良いだけで、今後生きていくためには戦うのではなく、恥ずかしさで肩を竦めるしかないのだ。そんな事を思った。