【11/3ディノヒバオンリー新刊】セルロイド
●SAMPLE1
ちらついた粉雪が、彼の頬や髪にかかって体温に溶け、一瞬にして、ただの滴となる。
車の通りも人の通りも少なく、冬の並盛は静けさばかりが闊歩していた。すこし前までこの界隈を騒がせていた大型トラックの群れも、今は鳴りを潜めて寒々しさに一役買っている。
ただ、静けさは寂しさまでも取り出して清澄させる。厚いコートで閉ざしても、隙間を見つけて冬の寒さは生き物を痛めつけようとするのだ。
もう少し時がたてば、きっと心は鈍化して今の寒さも痛みもすべて痒さくらいには変換されていくだろう。おそらく、今までどおりやっていけるはずだ。
恋愛というファクターを除けば接点も少なく済むだろうし、元の恋愛を含有しない形に戻るだけなのだ。
そこまで考えて今ここにある別離を認識する逃避行動だと気づく。その証拠に、寒さを感じるよりディーノの胸は心の痛みに感覚を研ぎ澄まされているというのに。
黒い瞳の光はどこまでもまっすぐで、縋ることもなければ責めることもなく、ただ静かにディーノを見つめるだけで、感情は僅かにも感じられない。
最後の像として、自分を焼き付けているのだろうか。雲雀の揺らがぬ目線とは対照的にディーノのものは移ろう。
並盛の街も白く雪の絵の具を乗せられていて、太平洋近くのこの街の暖かい空気も、冬の息吹きであっという間に静寂へ変えられていた。あと少し経てば、電柱も標識も、温かさを内に溜め込む家々も、すべてがこの色一つをかけられる。
しかしその少しの変化も、もう二人で見ることはできない。あと数分で、二人の関係全てが終わってしまうのだ。
無常に時間が過ぎ去って、ただ別れを彩る言葉も出てこない。何か端を発せば、そこからとめどなく購いや垢のついた上滑りのやさしさがあふれ出て、醜さを更に上塗りしていきそうな気がしたからだ。
「体に気をつけて」
深く思い悩んだ末に出てきたのはありきたりの別れの台詞で、そんな自分を情けなく思いながらも、彼の解けかけたマフラーに手をかけた。マフラーを巻きなおす自らの仕草が、白い雲雀の喉元を締め上げているように錯覚して、思わず指を止める。
躊躇した指をはずしたのは雲雀からで、いつまでも躊躇していることを悟られていたのかもしれない。
「あなたもね」
言葉は穏やかに冷たい空気へと放たれていく。言葉尻を隠すように重そうなトラックがエンジンを慣らして二人の別れの空気を押しつぶしていく。
雲雀はセンチメンタルが伝播していくことを逃れてか、それともいつまでもまとわりつく未練に嫌気がさしたのか、雲雀の指はどこまでも潔くディーノから離れさせていった。
その離れていく指は、今までよりずっと力を持っているように見える。
もう雲雀にとっては、わずらわしいことから開放された感覚なのだろうか。黒いコートに固められた細い体を眺め返すが、瞳の色は全てを収めることはできない。
とうとう雲雀の爪先が方向を変え、ぼんやりと立っているだけのディーノを置いてきぼりにしようとする。言葉もないことを寂しく思ったが、当たり前のことだ。今生分の別れの儀式は、今さっきしてしまったのだから。
雲雀が歩道を伝って信号を渡りきると、二人の間を断絶するように、また平凡な灰色のセダンがゆるいスピードで横断していく。
そこで雲雀の十年間の恋が死んだ。
彼が暖め続けてきた想いは全て止まった。明日からは十年前そうであったように、ただの特別なものを何一つ含有しない関係に戻る。
他ならぬディーノ自身の手で、息を止めたのである。
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ほんの一瞬、視線を絡ませてまたすぐにそれをほどく。このような仕草は十年前よく見せていたもので、ディーノは懐かしさで思わず頬が緩んだ。頭の丸いフォルム、黒さが際だつさらさらの髪、そういった要素一つ一つが如実に表すように、間違いなく、十五歳時の雲雀恭弥である。
データとしては彼らの来訪を知ってはいたが、こうして自分の網膜に直接写し取るとやはり鮮やかさが違う。一つ嘆息の息を吐いて、もう一度自分の視界にはっきりと雲雀を捕らえる。
屋上のコンクリートは足にも慣れた感触で、ディーノの心地にも懐かしさを落とした。
絶え間なく続き熱も煽られるミルフィオーレとの戦いに、ようやく本戦地である日本に到達できたころには、並盛によく知る雲雀の姿はなかった。代わりに出会った頃の彼の姿があったのだ。綱吉たちと比べ、比較的遅いタイミングでこの戦いに投入された雲雀は、まだ事実と自分の感覚がよく判別が付いていないらしい。
訪れたディーノの話も半分に、本物のディーノであることの証明として戦うことをねだられたというわけだ。
雲雀のワイシャツの痛みも、頬に残った赤い擦り傷も、またディーノがひざにつけた汚れも全てその産物である。
飽きることもなく、彼は変わらずに強さを求める。その姿は記憶よりもやはり激しく、ディーノは目を細めさせた。
「おい、平気か?」
結局、屋上での邂逅は初めて出会った頃と同じように騒乱に満ちていて、ディーノは少しの戸惑いで雲雀に歩み寄る速度を遅くさせた。戦いの少しの合間にこうしてまた目的のない喧しさを混ぜ込む。
今しがた雲雀ディーノがはじけさせた戦いは、修行なんてものではなくただの確認作業だったのだ。
必要もない戦いは単に雲雀のわがままに過ぎないが、それに文句一つもなく付き合っているディーノも相当なクレイジーだ。歯を合わせると吹き上げた砂埃のせいなのか、不快な音を頭蓋に響かせる。
今はディーノから大きすぎる間合いを取って、手負いの獣よろしく、ぎらついた視線を向けていた。
「理屈ではわかってるんだけど」
フェンスで区切られた屋上に少年の声と風の音だけ響く。
断片的に口にする言葉に理解のスピードが追いついていかない。聞き直すためにうっかり顔を近づけると、後ろに大げさにとびのく。
小さな雲雀の過度な反応には、悲しみは全く含まれていない。当たり前だ。この十五歳の彼には別れの記憶などからだのどこにも刻まれていないのだ。
慣れたものより若干ほっそりとした肢体と丸みのある頬が、幼さと彼の持つ潔さの表れのように感じる。
こうして近い距離で眺めるのはどれくらいぶりであろうか。あの雪の日から、時間を胸の中だけで数えていって、しばらくしたところで余りの不毛さにやめてしまった。
懐かしさに目を細めたくなるが、過剰な意識に支配され距離も測りかねる彼にはそんな微笑ましさは理解できないだろう。
「あなたは僕が好きなあの人ではないのだから、平気なはずなんだ」
俯きながら雲雀は一気にそうまくし立てた。それは雲雀が自分を納得させるために積み立てているロジックであるらしい。
彼が懸命にこの不条理と未来の世界に自分の感覚の折り合いをつけようとしている姿は、見ていて胸の生傷を撫でられるようだ。
ちらついた粉雪が、彼の頬や髪にかかって体温に溶け、一瞬にして、ただの滴となる。
車の通りも人の通りも少なく、冬の並盛は静けさばかりが闊歩していた。すこし前までこの界隈を騒がせていた大型トラックの群れも、今は鳴りを潜めて寒々しさに一役買っている。
ただ、静けさは寂しさまでも取り出して清澄させる。厚いコートで閉ざしても、隙間を見つけて冬の寒さは生き物を痛めつけようとするのだ。
もう少し時がたてば、きっと心は鈍化して今の寒さも痛みもすべて痒さくらいには変換されていくだろう。おそらく、今までどおりやっていけるはずだ。
恋愛というファクターを除けば接点も少なく済むだろうし、元の恋愛を含有しない形に戻るだけなのだ。
そこまで考えて今ここにある別離を認識する逃避行動だと気づく。その証拠に、寒さを感じるよりディーノの胸は心の痛みに感覚を研ぎ澄まされているというのに。
黒い瞳の光はどこまでもまっすぐで、縋ることもなければ責めることもなく、ただ静かにディーノを見つめるだけで、感情は僅かにも感じられない。
最後の像として、自分を焼き付けているのだろうか。雲雀の揺らがぬ目線とは対照的にディーノのものは移ろう。
並盛の街も白く雪の絵の具を乗せられていて、太平洋近くのこの街の暖かい空気も、冬の息吹きであっという間に静寂へ変えられていた。あと少し経てば、電柱も標識も、温かさを内に溜め込む家々も、すべてがこの色一つをかけられる。
しかしその少しの変化も、もう二人で見ることはできない。あと数分で、二人の関係全てが終わってしまうのだ。
無常に時間が過ぎ去って、ただ別れを彩る言葉も出てこない。何か端を発せば、そこからとめどなく購いや垢のついた上滑りのやさしさがあふれ出て、醜さを更に上塗りしていきそうな気がしたからだ。
「体に気をつけて」
深く思い悩んだ末に出てきたのはありきたりの別れの台詞で、そんな自分を情けなく思いながらも、彼の解けかけたマフラーに手をかけた。マフラーを巻きなおす自らの仕草が、白い雲雀の喉元を締め上げているように錯覚して、思わず指を止める。
躊躇した指をはずしたのは雲雀からで、いつまでも躊躇していることを悟られていたのかもしれない。
「あなたもね」
言葉は穏やかに冷たい空気へと放たれていく。言葉尻を隠すように重そうなトラックがエンジンを慣らして二人の別れの空気を押しつぶしていく。
雲雀はセンチメンタルが伝播していくことを逃れてか、それともいつまでもまとわりつく未練に嫌気がさしたのか、雲雀の指はどこまでも潔くディーノから離れさせていった。
その離れていく指は、今までよりずっと力を持っているように見える。
もう雲雀にとっては、わずらわしいことから開放された感覚なのだろうか。黒いコートに固められた細い体を眺め返すが、瞳の色は全てを収めることはできない。
とうとう雲雀の爪先が方向を変え、ぼんやりと立っているだけのディーノを置いてきぼりにしようとする。言葉もないことを寂しく思ったが、当たり前のことだ。今生分の別れの儀式は、今さっきしてしまったのだから。
雲雀が歩道を伝って信号を渡りきると、二人の間を断絶するように、また平凡な灰色のセダンがゆるいスピードで横断していく。
そこで雲雀の十年間の恋が死んだ。
彼が暖め続けてきた想いは全て止まった。明日からは十年前そうであったように、ただの特別なものを何一つ含有しない関係に戻る。
他ならぬディーノ自身の手で、息を止めたのである。
●AD.201x.11.xx
ほんの一瞬、視線を絡ませてまたすぐにそれをほどく。このような仕草は十年前よく見せていたもので、ディーノは懐かしさで思わず頬が緩んだ。頭の丸いフォルム、黒さが際だつさらさらの髪、そういった要素一つ一つが如実に表すように、間違いなく、十五歳時の雲雀恭弥である。
データとしては彼らの来訪を知ってはいたが、こうして自分の網膜に直接写し取るとやはり鮮やかさが違う。一つ嘆息の息を吐いて、もう一度自分の視界にはっきりと雲雀を捕らえる。
屋上のコンクリートは足にも慣れた感触で、ディーノの心地にも懐かしさを落とした。
絶え間なく続き熱も煽られるミルフィオーレとの戦いに、ようやく本戦地である日本に到達できたころには、並盛によく知る雲雀の姿はなかった。代わりに出会った頃の彼の姿があったのだ。綱吉たちと比べ、比較的遅いタイミングでこの戦いに投入された雲雀は、まだ事実と自分の感覚がよく判別が付いていないらしい。
訪れたディーノの話も半分に、本物のディーノであることの証明として戦うことをねだられたというわけだ。
雲雀のワイシャツの痛みも、頬に残った赤い擦り傷も、またディーノがひざにつけた汚れも全てその産物である。
飽きることもなく、彼は変わらずに強さを求める。その姿は記憶よりもやはり激しく、ディーノは目を細めさせた。
「おい、平気か?」
結局、屋上での邂逅は初めて出会った頃と同じように騒乱に満ちていて、ディーノは少しの戸惑いで雲雀に歩み寄る速度を遅くさせた。戦いの少しの合間にこうしてまた目的のない喧しさを混ぜ込む。
今しがた雲雀ディーノがはじけさせた戦いは、修行なんてものではなくただの確認作業だったのだ。
必要もない戦いは単に雲雀のわがままに過ぎないが、それに文句一つもなく付き合っているディーノも相当なクレイジーだ。歯を合わせると吹き上げた砂埃のせいなのか、不快な音を頭蓋に響かせる。
今はディーノから大きすぎる間合いを取って、手負いの獣よろしく、ぎらついた視線を向けていた。
「理屈ではわかってるんだけど」
フェンスで区切られた屋上に少年の声と風の音だけ響く。
断片的に口にする言葉に理解のスピードが追いついていかない。聞き直すためにうっかり顔を近づけると、後ろに大げさにとびのく。
小さな雲雀の過度な反応には、悲しみは全く含まれていない。当たり前だ。この十五歳の彼には別れの記憶などからだのどこにも刻まれていないのだ。
慣れたものより若干ほっそりとした肢体と丸みのある頬が、幼さと彼の持つ潔さの表れのように感じる。
こうして近い距離で眺めるのはどれくらいぶりであろうか。あの雪の日から、時間を胸の中だけで数えていって、しばらくしたところで余りの不毛さにやめてしまった。
懐かしさに目を細めたくなるが、過剰な意識に支配され距離も測りかねる彼にはそんな微笑ましさは理解できないだろう。
「あなたは僕が好きなあの人ではないのだから、平気なはずなんだ」
俯きながら雲雀は一気にそうまくし立てた。それは雲雀が自分を納得させるために積み立てているロジックであるらしい。
彼が懸命にこの不条理と未来の世界に自分の感覚の折り合いをつけようとしている姿は、見ていて胸の生傷を撫でられるようだ。
作品名:【11/3ディノヒバオンリー新刊】セルロイド 作家名:あやせ